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第四章 幸せに

幸せな夜 ウォルター・ローダン卿 Side

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 私はウォルター・ローダンだ。

 披露宴で、多くの来賓と挨拶を交わすフラン妃の頭に燦然と煌めくティアラは密かに話題を集めていた。

 このゴージャスなティアラは結婚を機に制作したものだったが、発注とデザインに私も関わっていた。ウェディングドレスのデザインはフラン妃の中ではっきりと決まっていたようで、何度もフラン妃が試着をして細かく修正が入った。そのウェディングドレスに合わせて作られたゴージャスなティアラは、我が国の女王陛下の金庫がかつてないほど十分に潤っていることを各国にアピールできたはずだ。



 披露宴が盛況に終わった直後、各国からの来賓客の対応に追われていた私は、先程ジョージ王子の心の叫び声で、新婚のお二人の寝室に駆けつけざるを得なかった。

 ――うわぁぁぁぁっ!なんだ!誰だ!何をしている!?侵入者か?

 何事かと急いでフォーチェスター城内を走ってお二人の寝室に飛び込んでみると、泣いて動揺している新米侍女ベスと、ジョージ王子とフラン妃が立ち尽くしていた。ジョージ王子は上半身は裸で、フラン妃の美しいウェディングドレスは明らかに少し乱れていた。

 私は瞬時に事態を理解した。待ちきれずにお二人が勢いで事におよぼうとしたのだろう。挙式をあげたのだから、誰からもお咎めはないだろう。しかし、フォーチェスター城の未来の主人と女主人の初夜には、皆で考えられた順番があった。未来の国王と王妃の初夜は勢いではだめなのだ。

 私はジョージ王子を見つめて首をかすかに振ってみせた。ジョージ王子は唇を尖らせて少し不服そうな表情だったが、結局は手順通りにやることを了承した。

 ――待ちきれない!

 ジョージ王子の心の声が聞こえたが私は無視を決め込んだ。



 今宵、フォーチェスター城は特殊な興奮の中にいる。不夜城であるかのような消えぬ光と人々のさざめきをまとっていた。宝石のように夜空に煌めく星々と月が美しく地上を照らし、春の花の香りが漂っているさまは、おとぎの国のような美しさだった。城全体が目的に向かって邁進し続けていた。未来に向けて王朝を確かに存続させるために、今宵は大事な夜なのだ。

 

 そして数時間を経た今、私は新米侍女ベスの隣で静かに待機していた。湯を浴びたジョージ王子とフラン妃が夢見ごごちの様子で顔を輝かせて寝室に入っていくのを数分前に私たちは見た。

 微かに聞こえる程度だった愛をささやく甘い声が、フラン妃が乱されていることが分かる妖艶な嬌声にかわり、私は身体中が真っ赤になっているような気がした。

 隣で待機している新米侍女ベスは、とても若い侍女なのだが、頬を赤く染め上げて、唇を半開きにして、まるで神に祈っているかのように両手を胸のまえで握りしめて宙を見つめていた。

 ベスの呼吸はとても早くなっていて、神に祈るさまでありながら、額にはうっすら汗が滲み、熱があるかのように真っ赤に頬を赤らめている。


 ベスの気持ちがわかる。ただ、私はジョージ王子の『あっんっ』という嬌声を心の声として聞くなり飛び上がり、「失礼!」と叫ぶなり、猛然と走り出した。限界だ。

「エヴァ!エヴァ!」

 私はその名を叫びながら、春のフォーチェスター城の庭を横切るように走った。私は何がなんでも彼女に助けを求めなければならない気がした。なぜ私を救ってくれるのがエヴァなのかは、自分でもわかっていなかった。

 耳の奥で、実況中継のように幸せなジョージ王子の心の声が聞こえる。

 ――聞いてはダメだ!主君の幸せな瞬間を私などが聴いてはダメなのだ……!

 私は夢中でエヴァの名を何度も何度も呼びながら、芳しいライラックの香りに包まれるフォーチェースター城の月明かりの庭を駆け抜けた。

 ヘンリード校の生徒たちの部屋がある階に息をきらして駆けつけ、エヴァの部屋のドアをノックした。私はもう廊下の床に崩れ落ちそうだった。ドアを開けてくれたエヴァは驚きのあまりに目を見開いて私を見つめた。

 彼女のそばかすだらけの丸みのある頬とエメラルドの瞳がこれほど愛おしく私の目に映ったことはない。私は彼女に懇願した。



「私を飛ばしてくれないか。どうかお願いだ!」

 私は唐突なお願いをエヴァにした。突然の頼みにエヴァは小さくうなずいてくれた。その瞬間、私の体は廊下の宙に浮いた。そのままフォーチェスター城の廊下を飛んで庭に飛び出した。

 一際高い嬌声の波が過ぎると、私は耐えられずに耳をふさいだ。ジョージ王子の声が私に聞こえてしまったのだ。

「フラン、最高だよ。最高に可愛い」

 すぐ耳元で聞こえて、私は宙で足をバタバタとさせた。

 そのまま、ロングウォークの道なりに続くライラックの木とりんごの木の上を、私は急下降したり、急上昇したりしながら無我夢中で飛んだ。エヴァが庭にポツンと立ち、私を導いてくれたのだ。

 そのうち奇跡が起きた。私の頭にはもう、美しい月夜に浮かびあがるフォーチェスター城とエヴァの姿しか見えなくなった。他のことは考えられない。

 幸せだ。

 エヴァが私のそばにいてくれさえすれば、私は幸せなのだ。私はその瞬間に悟った。



 私、ウォルター・ローダン卿は濡れがらすと揶揄される、黒装束である流行りの貴族衣装の上着を脱ぎ捨てた。汗をかいたのと、流行りにこだわって夜に黒い衣装を着ているのがバカらしくなったからだ。何より、夜の闇に紛れてもエヴァに私が見えているのか不安になった。ふわりふわりと上着は落ちて行った。

 大きく腕を振りあげて、薄紫色のライラックの花をそっとつまんだ。エヴァに手を降ると、私の体は上着のすぐそばにすっとおりた。

 私は上着を拾い上げてまっすぐにエヴァの元に歩いて行った。

「ありがとう!エヴァ。おかげで助かった。君にこの花を捧げます」

 私はぽかんと私を見つめているエヴァに薄紫色のライラックの花を捧げた。

「綺麗だわ。ありがとう」

 エヴァは頬を緩めて笑ってくれた。

「今度、お礼に君が行きたいところに馬車で案内するよ」

 私は思っても見なかったことを話していた。

「えぇ?本当?」

 エヴァは長い船旅で私とも気心が知れた中になっていたが、初めての私の申し出にとても驚いた表情をした。

「もちろん。君が行きたい所に行こう」

 私はうなずいた。

「考えてみるわっ!」

 エヴァは私ににっこり微笑むと、月明かりに照らされたフォーチェスター城の庭を歩いて戻ろうとした。

 彼女はふと足を止めて、夜空を見上げた。

「ウォルター・ローダン卿、あなたのおかげで今日の星空がとても素晴らしいことに気づくことができました。ありがとう」

 私は黙ってうなずき、エヴァの肩に私の黒い上着をかけてあげた。

「ちょっと夜はまだ冷えるから」
「ありがとう」

 私たちは宝石のように煌めく星空をしばらく一緒に眺めていた。それはとても幸せな夜だった。


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