上 下
3 / 71
第一章 破綻と出会い フランと王子Side

婚約破棄と怖い裏切りと元婚約者の盗み

しおりを挟む
 庭に咲くデイジーの花は食べられるのだろうか。可愛い花びらを見つめても、お腹はいっぱいにならない。母の薬にもならない。今日も空は晴れている。空と反対に、私の心は曇っていた。どれほどお金を持っていても、望む薬は森でしか手に入らない。

 私は天を仰いだ。

 母が私たちを捨てるわけがない。私を捨てたのは、婚約者だったミカエルだ。ミカエルは聖人のようにできた人で、心ときめく容姿をしていて、私にはもったいないくらいの人だった。富豪貴族である公爵の子息だ。

 ミカエルのことを考えると私の鼻の奥は悲しみのあまりに激しくツンとしてきて、涙が止まらなくなる。だから、私は母のことに集中しなければならない。母の病と母の失踪のことが先だ。

 私は息を止めようとする。集中しなければ。今はミカエルのことを頭から追い出すべきだ。

 ミカエルのことを考えていられないほど、私は追い詰められているのだ。母を治す薬を手に入れなければならない。そして、ふらりと行方が分からなくなった母を探し出さなければならない。

 母は絶望したのだろうか。娘が婚約者に振られたことと自分の病が重なって、心に異変をきたしたのだろうか。

 母さえいてくれれば、私たちは幸せだった。いや、そんなことはない。ミカエルに振られたことも、病気の母がいた時から時間の問題だったのかもしれない。元々、ミカエルは私にはもったいないほどの人だったのだから。

 では、効果のある薬草はどうだろう。病が治り、元気な母さえいてくれれば、私たちは幸せだったのだろうか?

 私はその1点に集中した。
 母の病が治って母が元気ならば「幸せ」だと言える。

 ならば……

 ――ならば。薬草を採りに行こう!ついでに、お母様も探してくるのだ。お母様はいつものように森に入ってしまって、その時何かが起きたのかもしれないのだから。

 薬草を採りに行くのは森と決まっていた。母はいつもそうしていた。ただし、私たち三人は母から森に入ることを禁じられていた。危険だからという理由で。次女も従者も執事すら、森に入ることは禁じられていた。

 私が森に行こうと自分の気持ちを鼓舞していると、そこへ、従姉妹のアネシュカが我がロベールベルク公爵邸を尋ねてきた。彼女の頬は薔薇色に輝いていた。

 パンやミルクを入れたカゴを彼女は抱えている。貧民街に施しを行う時と全く同じ格好だ。

「差し入れよ」
「ありがとう、アネシュカ」

 アネシュカが差し出したパンのカゴをはありがたく頂戴した。うちには立派な料理人がいる。でも、今はもらえるものはもらおう。アネシュカの家の料理人も腕が良いと聞く。

「あなたがミカエルと別れたと聞いたの。あなたからフラれたとミカエルは嘆いていたのよ。で、報告なのだけれど、ミカエルと私は婚約したのよ」


 ――ミカエルとアネシュカが婚約!?

 ――彼は私に「君の甘えに愛想が尽きて愛を感じられないから別れてください」と言って私をこっぴどく振ったわ。その端から、もう私の婚約者だった彼はアネシュカに求婚したの!?

 ――まだ彼に振られて間もない私は彼に未練タラタラで泣いていたのに、事態は急展開しているわ。意味がわからない。全然わからない。それにしても、私の従姉妹のアネシュカだなんて……。


 私の心臓は凍りつきそうになった。耳が全く聞こえず、彼女の口がぱくぱく動いているのを私はひたすら見つめた。彼女の話す内容が頭に入ってこない。

 ――アネシュカは今何を言っているのだろう?そもそも、ミカエルの方から別れを切り出したのに。なぜ私がフったことになっているの。

 ……あぁ、私がワガママな公爵令嬢という評判だったからかしら。ミカエルはその悪評を利用して、自分が私にフラれたことにしたの?


 その時、私たちの所に10歳の弟が走ってきた。

 弟の姿を見ると、私の耳は音を再び捉え始めた。

「でね、結婚式は急ぐの」

 アネシュカは顔を真っ赤にして、言い淀んだ。

「捧げてしまったのよ」
「……捧げるって何を?」

「何って全てよ。ミカエルに全てを捧げてしまったから結婚式を急ぐの。急なんだけれど来月結婚式を行うことになったから、あなたも出席してね。招待状を送るわ」

 そこに、弟が私に飛びついてきた。私は銃撃されたような衝撃を受けたままよろめいた。

 ――私が彼に全てを捧げなかったから……私はフラれたの……?


「姉さん!アネシュカ姉さん、ようこそ。あ!パンだぁ、もらっていいの?」
「いいわよ、カール」
「ありがとう!」

 弟は私の手からパンの入ったカゴを受け取ると、「ルドルフ!」ともう一人の弟の名を呼びながら走って母屋に戻って行った。

「わかったわ」

 私は顔面蒼白だったかもしれない。でも、なんとか力強く聞こえるように祈りながら、声を絞り出した。

「ありがとう!あなたが彼をフったんだから恨みっこなしよ、フラン?」
「もちろんよ」

 私は笑顔を必死に作った。私の表情を気遣わしげに見つめたアネシュカはほっとしたように小さく笑った。

「ありがとう。じゃあ、これから式のドレスを仕立てる必要があるから、これでお暇するわね」
「パンをありがとう」

「このくらいなんともないわ。あ!それからね、ミカエルがロベールベルク家の土地の権利書を持っていたのだけれど、あなたたちミカエルに売ったのね?」

 私はポカンとした。そんな話は母から聞いたこともない。権利書なら母が持っているはずだ。持っているのは森の権利書以外にも沢山あるが、一番大切なのは森だけだ。いつも薬草を採りに母が行っていた森だ。

「私は知らないわ」
「そう、あなたのお母様から買ったとミカエルは言っていたわ」

 ――ミカエルに売った?
 ――売ったのならお母様はお金を手にしたはずわ……。



 私は思わず母屋に向かって走り始めた。頭の中で何かがぐるぐる回り始めている。母が森の権利書をミカエルに売るはずがない。売ったとしたらお金が手に入るはずだ。でも、母にはお金は必要ないし、そもそも母には森の薬草が必要だ。母の病はこのところ悪化していた。

 ――お母様が森を売るはずがない。お母様は一体どこに行ったのだろう?

 私は父の書斎に飛び込んだ。あまりの様子に二人の侍女も追ってきた。

「フランお嬢様、いかがなされましたでしょうか?」
「お嬢様、そんなに急がれて何かありましたでしょうか?」

 私は侍女の呼びかけに構わず、ひたすら書斎を突き進んだ。 
 父の大きな書斎は最近は母が使っていた。父は戦地に赴いていてから1年ほど消息を絶っていた。

 震える手で書斎の机の鍵をいつもの秘密の隠し場所から出した。気づけば、この書斎を使っていた父も母も行方不明になったのだ。私の目には涙が込み上げた。机の引き出しの鍵を開けようとした。震える手のせいで上手く鍵がはまらない。

「ねえ、どうしたのよ!?」

 アネシュカも私を追ってきて、書斎までやってきた。私はアネシュカにうまく説明できない。荒ぶる息を整えて、私はやっとの思いで、大事な書類をしまっているはずの引き出しを開けた。

 二人の侍女とアネシュカは私の様子にあっけに取られた様子で黙って見つめていた。

 引き出しの中は空っぽだった。

 引き出しの中は本当に文字通り空になっていた。あるべきはずの森の権利書がない。そもそも他の土地の権利書もない。母は父が戻るまで、森を売るつもりはないとはっきり言っていた。森については、父が戻っても森を売るはずがない。私たちは森の番人なのだからといつも言っていたのだから。

 ――ミカエルに盗まれた!?

 私は頭を殴られたような衝撃を受けた。フラれただけではない。盗みを受けたのだ。母の失踪とミカエルの盗みは無関係ではないような気がした。

 私は今、自分の頭に浮かんだ考えの恐ろしさに息を飲んだ。私を心配そうに見つめるアネシュカの姿にやっと我に返った。二人の侍女も何事かと心配そうな表情で私を見つめている。

「なんでもないわ、アネシュカ」
「そうなの?顔色が真っ青よ。何かあったのじゃない?それにしても叔母さまは一体どこに行ったの?」

「母がどこに行ったのかはよく知らないの。でもきっと大丈夫よ。来月の結婚式には行くわね」
「無理しないでね、フラン。何かあったらなんでも相談してくれていいのよ」

「ええ、ありがとう。アネシュカ。覚えておくわ。今は大丈夫」


 アネシュカは気遣わしそうに私の様子をしばらく見つめていたが、一旦は私の言葉を信じようと決めたようだ。小さく頷くと私を抱きしめてくれた。

「また来るわ。叔母さまが早く帰ってくるといいわね」
「ええ、本当にそう祈っているわ」

 私の背中を優しく撫でるアネシュカに、私は小さな声で囁き返した。

 アネシュカは「また来るわ」と告げて帰って行った。




しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

結婚式をボイコットした王女

椿森
恋愛
請われて隣国の王太子の元に嫁ぐこととなった、王女のナルシア。 しかし、婚姻の儀の直前に王太子が不貞とも言える行動をしたためにボイコットすることにした。もちろん、婚約は解消させていただきます。 ※初投稿のため生暖か目で見てくださると幸いです※ 1/9:一応、本編完結です。今後、このお話に至るまでを書いていこうと思います。 1/17:王太子の名前を修正しました!申し訳ございませんでした···( ´ཫ`)

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

美味しい料理で村を再建!アリシャ宿屋はじめます

今野綾
ファンタジー
住んでいた村が襲われ家族も住む場所も失ったアリシャ。助けてくれた村に住むことに決めた。 アリシャはいつの間にか宿っていた力に次第に気づいて…… 表紙 チルヲさん 出てくる料理は架空のものです 造語もあります11/9 参考にしている本 中世ヨーロッパの農村の生活 中世ヨーロッパを生きる 中世ヨーロッパの都市の生活 中世ヨーロッパの暮らし 中世ヨーロッパのレシピ wikipediaなど

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる

夏菜しの
恋愛
 十七歳の時、生涯初めての恋をした。  燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。  しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。  あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。  気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。  コンコン。  今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。  さてと、どうしようかしら? ※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。

兄にいらないと言われたので勝手に幸せになります

毒島醜女
恋愛
モラハラ兄に追い出された先で待っていたのは、甘く幸せな生活でした。 侯爵令嬢ライラ・コーデルは、実家が平民出の聖女ミミを養子に迎えてから実の兄デイヴィッドから冷遇されていた。 家でも学園でも、デビュタントでも、兄はいつもミミを最優先する。 友人である王太子たちと一緒にミミを持ち上げてはライラを貶めている始末だ。 「ミミみたいな可愛い妹が欲しかった」 挙句の果てには兄が婚約を破棄した辺境伯家の元へ代わりに嫁がされることになった。 ベミリオン辺境伯の一家はそんなライラを温かく迎えてくれた。 「あなたの笑顔は、どんな宝石や星よりも綺麗に輝いています!」 兄の元婚約者の弟、ヒューゴは不器用ながらも優しい愛情をライラに与え、甘いお菓子で癒してくれた。 ライラは次第に笑顔を取り戻し、ベミリオン家で幸せになっていく。 王都で聖女が起こした騒動も知らずに……

願いの代償

らがまふぃん
恋愛
誰も彼もが軽視する。婚約者に家族までも。 公爵家に生まれ、王太子の婚約者となっても、誰からも認められることのないメルナーゼ・カーマイン。 唐突に思う。 どうして頑張っているのか。 どうして生きていたいのか。 もう、いいのではないだろうか。 メルナーゼが生を諦めたとき、世界の運命が決まった。 *ご都合主義です。わかりづらいなどありましたらすみません。笑って読んでくださいませ。本編15話で完結です。番外編を数話、気まぐれに投稿します。よろしくお願いいたします。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

処理中です...