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関所(2)

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 今朝、皇太子妃である私は夫の秘密の別荘にいた。

 リジーフォード宮殿から少し離れた北の田園地帯の丘の麓にあり、目の前が丘で後ろが小さな山に挟まれた美しい別荘だ。明け方の青白い空には月が残り、太陽が昇る直前の澄み渡った空気に満ちていた。人っこ一人いない道を一人で歩き、わずかな護衛が立つだけの美しい別荘に私は静かにこっそり身を潜めていた。

 夫は私より二十歳も年が上だったけれども、女性をたぶらかすために普段から執拗に体を鍛えていた。寝室をそっとのぞくと、最初は夫の引き締まった体が見えたと思っただけだったのに。気づくと、服を身につけていない夫と愛人がもつれあう情事の場面に私は遭遇していた。驚いた私は思わず物陰に隠れた。

 二十一歳の愛人の甘く艶めかしい嬌声と淫らに揺れる大きな胸に私は足を踏み出す勇気を失った。

 あぁっんっン!いぃっ……あんっ!やぁっ……んっ!

 一糸まとわぬ二人の姿を目の前にすると、他人の情事を見たことが初めてなこともあり、衝撃のあまりにひるんでしまった。どうすべきか迷った瞬間に愛人によって夫を殺されてしまったのだ。


 物陰から、二人の情事のなれの果てを目撃した私は、その場から必死に逃げ出したのだ。

 明け方の青白い空の元、愛人の攻撃を止めきれなかった私は裏山を必死で登って向こう側に下った。

 私が見たものの意味することはただ一つ。クーデーターの成功だ。

 敵に、夫と義父の女好きをまんまと利用された。政権が一気に反対勢力にひっくり返されたと悟った私は、すぐにその場から逃げなければと思った。夫と私の間に子供はいない。チュゴアート王朝の王位継承権は現時点で夫止まり。

 つまり、今晩にでも反対勢力のバリイエルに乗っ取られる。

 皇太子妃の私も捕まれば、敵対勢力のバリイエル王朝の一門になぶり殺しにされるかもしれない。殺される時に、見せしめに大衆の面前に引きずり出されて大勢が見ている前で処刑されるかもしれない。もしくは想像すれのも嫌だけれども、拷問の代わりに体を捧げる、つまり誰かとまぐわう事を強要されるかもしれない。

 ――お願い。このまま都から誰にも気づかれずに離れることに、神様、力を貸して!

 私は神に祈った。

 私の魔力は封印されている。私にわずかな魔力があることを知っているのは一人だけ。私が初めて愛を誓った相手だけ。私が初めて愛を誓った相手は、夫ではないことを亡くなった夫は知っていた。けれども私には魔力があり、その魔力が封印されていることを死んだ夫は知らなかった。

 身を守るための魔力を解放するには、初恋の相手と会わなければならない。けれどもそれは出来ない。

 ――理由はっ……そんなことができるわけがない。

 夫にはすでに側妃が七人もいた。生粋の女好きにしては少ないと思う。子は一人もいない。夫は私の初恋の人を知っているので、彼の顔がチラつく私には近づかなかった。そこで私の務めとして、世継ぎ誕生のために身元の確かな女性を側妃に引き上げていく必要があった。先週、私は夫が入れ込んでいる愛人リリアの身元を調べさせた。

 そして昨晩、私は思わぬ真実に気づいてしまった。愛人リリアは反対勢力の一門の出だった。

 つまり、私の夫の皇太子は、金髪で麗しい瞳と魅惑的な体を持つ彼女に見事に騙されていた。

 彼女は敵対勢力の娘だった。私の夫は、護衛もつけずに無防備な状態で敵の一味に接近させ、いつ寝首をかかれてもおかしくない危険な状態に、敢えて自らの身を置いていたのだ。

 ――今まで無事だったのが不思議なくらいだわ。

 愛人リリアにゾッコンだった夫が知っていたことは、せいぜい彼女の名前がリリアだということぐらいかもしれない。夫はつける薬などおよそない女たらしだったのだから。

 もしも夫が皇太子でなかったら、夫は穀潰ごくつぶしとなじられる存在だったかもしれない。リジーフォード宮殿の国王の息子は、まともに働きもせず、女をたらしこむことだけには天才的な才能を持っているような男性だった。

 この状況は、敵の計略にはまっていることを意味した。謀略というべきか。政権転覆が起こり得る計画が密かに遂行されていることを昨晩遅くに私は理解したのだ。

 ――チュゴアート王朝の失墜が今まさに起きんとしているわ……

 リリアがこれほど夫に接近できたということは、皇太子の側近の誰かが敵対勢力に飲み込まれている可能性があった。誰にも知られずに夫に直接密かに警告するしかなかった。

 そこで、今朝早くのこと。私は愛人リリアの正体を夫に知らせようと夫の秘密の別荘に押しかけたのだ。

 でも結局、私は気づいていたのに、目の前で見ているだけで止められなかった。

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