5分前契約した没落令嬢は、辺境伯の花嫁暮らしを楽しむうちに大国の皇帝の妻になる

西野歌夏

文字の大きさ
上 下
6 / 68
第一章

大陸の果ての辺境伯の姿をした大国ジークベインリードハルトの未来の皇帝

しおりを挟む
 私がここで伝えなければならないことは幾つかある。

 大陸の果てにある辺境の地だと考えられていたコンラート地方は、やがて大発展を遂げるのだが、当時は誰にも予想もつかないことだった。

 リシェール伯の母君は陛下の妹だった。彼の母君は隣国の大国ジークベインリードハルトの皇帝の次男に嫁いだものの、そこで生まれた彼は叔父の元に送り込まれ、つまり我が国の陛下の元に送り込まれて十年あまりを修行に費やしていた。この十年あまり、陛下は甥っ子である彼を非常に可愛がっていた。

 事実は、隣国の大国で後継者争いが活発化し、それに巻き込まれることを心配した妹君から、実の兄である陛下に我が子の庇護を求められて、陛下が若い甥っ子の面倒を見ていたという背景があった。けれども、そんなことは当時のほとんどの人が知るよしもなかった。

 やがてリシェール伯の父君は、兄であった隣国の皇太子の暗殺に伴って隣国ジークベインリードハルトの皇帝となる。リシェール伯ラファエルは、大国の皇帝の嫡男となり、大国の皇位継承権第一位となってしまう。しかし、当時はそんな未来のことは私も含めて誰も想像できないことだった。正直に言うと、もしかすると唯一陛下だけはこのことを予測していたのかもしれない。

 この時はまだ、遥か辺境の地に居を構える素朴なリシェール伯爵としてしか、私は彼のことを知らない。

 貧しい没落令嬢であった私ロザーラ・アリーシャ・エヴルーは、かたきであった自分を死に追いやろうとした公爵家次男のジェラールを追い払ってくれた男性が、自分の夫になるという衝撃から立ち直れないまま、母と妹が帰宅して質問攻めにあっているところだった。

「ロザーラ、こちらの方は?」
「執事もまだお名前を伺っていないとか。あの……こちらは?」

 母と姉は執事と侍女の手助けを借りて、玄関で服に降り積もった雪をはたき落として、賑やかにおしゃべりをしながら暖かい暖炉の燃える部屋に入ってきたところだった。すぐに4名の騎士と一緒に暖をとっていたリシェール伯が、サッと母と姉に恭しく挨拶をした。

「お母様、お姉様……あの……こちらの方は私の夫になるそうです」

 母と姉は私の言葉に狼狽えて、言葉も出ない様子だった。

「あなたの夫と言ったの?ロザーラ!?」
「ええ、私もそう聞こえましたわよ、ロザーラ!?」

 やっと二人が絞り出すように言うと、私は手に持っていた陛下からの手紙のことを思い出した。
 
「あの……て……手紙がありますっ!陛下のお手紙がこちらにあります」

 私は母に駆け寄って手紙を渡した。母は震える手で広げて読み始めた。姉は母の肩に頬をくっつけて一緒に声をひそめて読んでいる。

 私はジェラールのことを二人に話すつもりは全くなかった。私の様子からリシェール伯も何かを悟ったらしく、そのことのついては黙っていてくれた。

 ――どうやら察しが良い方のようで良かったわ。

 私はそのことに心底ほっとしていた。公爵家の次男であるジェラールが私に何をしようとしたかについて母と姉に知られるのは絶対に嫌だった。母と姉には絶対に知られたくはない。私がそんな目にあったと知ればどれほど嘆き悲しむことだろう。


「『持参金は私が用意する。これは褒賞金の一部だ』なんですって……まあ……」

 母が驚きのあまりに危うく床に崩れ落ちそうな様子を見せたので、素早く私とリシェール伯と姉が母を支えて、椅子に座らせた。

「あ……ありがとうございます」

 私と姉はリシェール伯にお礼を伝えると、彼は「いえいえ、私を頼ってください」と小さくささやいてくれた。

 私と姉は顔を見合わせた。私は小さく姉にうなずいた。姉は、大きな瞳にみるみる涙をいっぱいに溜め込んで唇を震わせて私に抱きついてきた。

「あなた、受けたのね?」

 姉は小さな声で私に聞いてきた。

「ええ。受けたわ」

 私は姉の背中をとんとんと優しく叩きながら、答えた。

「ロザーラ、おめでとう」

 姉は涙を瞳から溢れ出させて嗚咽を漏らしながら、私を祝福してくれた。

「ありがとう、お姉様」

 私は泣く姉の涙をそっとハンカチで拭ってあげて、椅子に呆然と座り込む母の膝に手を添えた。床に膝をついて母の顔を見上げる。私は微笑んだ。

「お母様、陛下の申し出を受けますわ。私はリシェール伯の元に嫁ぎます。幸せになりますわ。とても素敵な方ですもの。私は必ず幸せになりますわ」

 私がそう母にささやくと、母は私の手を優しく握った後に、私の頬を両手で包んで私の顔をのぞき込んだ。

「ロザーラ、遠くに嫁ぐのね……」
「頻繁に手紙を書きますわ、お母様」
 
 母は、私たちの様子を見守っていたリシェール伯の方を向いてゆっくりと立ち上がって言葉を発した。

「動揺してしまい、先程は少しふらついてしまったところを助けていただいてありがとうございます。どうか、娘をよろしくお願いいたします。こんな勿体無いお話、本当にありがとうございます。私からも申し上げます。我がエヴルー家は陛下の提案を謹んでお受けいたします。あなたのようなご立派な方に娘をもらっていただいて、本当に嬉しく思います」

 母の言葉にリシェール伯はサッとひざまずいた。私のすぐ横にひざまずいてくれている。

「お嬢様を幸せにいたします。毎年は難しいかも知れませんが、数年に一度はこちらに戻って来れると思います。私も陛下に会う必要がございますため。ロザーラ嬢も一緒に連れて来られるよう、私も努力いたします」

 私はその言葉を聞いて涙が溢れてきた。

 ――ジェラールから助けてくれたこの人は、私が凍死する運命を回避してくれたわ。母と姉が安心できるような温かい言葉を言ってくれている。私は感謝しなければ……

「ありがとうございます」

 私は隣に一緒になってひざまずいているリシェール伯に感謝の言葉を心から告げた。彼はチラッと私の涙の溢れた顔を見て、一瞬戸惑った表情をして頬を赤らめた。

 彼は吸い込まれそうなほどの透き通った碧い瞳をもち、どこか影を感じさせる際立つ美貌の持ち主だった。長身で長い髪を後ろに束ねていて、堂々とした佇まいだった。まるで王者のような風格を備えていながら、まだ若く初々しさもあり、美しい豹のような機敏さも持ち合わせていた。

「まあ!ありがとうございます。さあ、二人とも立ってください」

 私とリシェール伯は母に手を差し伸べられて、一緒に立ち上がった。

「二人並ぶとあなたたちはお似合いに見えるわ」

 母の横で姉が涙声でささやいた。姉も微笑んでいる。

「ええ、ほんとね」

 母は声を震わせていて肩をひくつかせていたが、すっと深呼吸をするとにっこりと笑って私たちを見つめた。

「さあさ、今日はお祝いの食事を用意せねばですね。あなたはもう、私の息子も同然ですわ。騎士の皆さんも今日は我が家に泊まっていくしかありませんわよ。どのみち雪で帰れませんわ。お祝いのご馳走を精一杯用意させていただきますわ」

 母は張り切った様子でリシェール伯の肩を抱き、4名の騎士の顔を見回して微笑んだ。

 こうしてエヴルー家は大雪の中、お祝いの食事と5名の客人の宿泊準備で大忙しとなったのだった。

 陛下のくれた褒賞金で食糧庫をいっぱいにしていたことが早速役立った。昔から勤めてくれていた料理人と侍女を呼び戻していて本当に良かった。料理人と侍女も私の結婚話に涙を流して喜んでくれて、張り切って料理の腕を振るってくれた。

 私の死の代わりに、エヴルー家には幸せな笑いが溢れた夜だった。

 私が死神に会うのはあと3回だ。この時代に大陸を横断する旅は命懸けであった。まだよく知らぬリシェール伯に従って、私が大陸を横断する旅に出るのは三日後のことだった。

 死の運命を変えた日、私は未来の夫であり、大陸の果ての辺境伯の姿をした大国ジークベインリードハルトの未来の皇帝に出会ったのだ。

 この時の未来の皇帝は自分の運命など知らず、実直でかっこいい辺境伯のラファエルそのものだった。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる

えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。 一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。 しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。 皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。 ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ―― あれ?何か怒ってる? 私が一体何をした…っ!?なお話。 有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。 ※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...