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再会と身分違いの恋

王子との仕事の準備 クラリッサSide

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 王国の民のカイル王子への期待は長らく続いた方だ。しかし、延命に延命を重ねた結果、人気は急激な衰退ぶりを見せていた。

 独身であるカイル王子の結婚相手が社交界で次から次に浮上したのは王子が大陸出身の大金持ちの令嬢と噂になった頃までらしい。クラリッサ・マイデン、私のことだ。


「そのクラリッサという17歳の令嬢は、大陸の大スターのように振る舞っていたらしいわよ」


 メイドたちがおしゃべりをしている内容に、私は耳を疑った。

 だが、当時の私を冷静に見つめると、そうなのかもしれない。お金の力で手に入らないものは何もないと私は思い込んでいた。恋にだけは一丁前にもがいていたが。


「そ……そうなんですね」


 私は太めのエミリー。
 貧しいメイドのエミリー。
 皆はクラリッサが私だとは絶対に気づかない。

 私はそう自分に言い聞かせて、ひたすらうつむいて黙って聞いていた。

 可能ならば、当時の彼にひれ伏して謝罪したいくらいだ。

 あの逞しい腕に飛び込む事を一瞬でも考えなかったと言ったら嘘になる。20年の間に、スラリとした若者だったカイル王子は、体を鍛え上げて燻銀のような威厳とカリスマ性と一層の若々しさを身につけたようだ。

 だが、本国ボーデランドでは、彼の見かけの魅力だけではカバーできないほどに王子への期待は薄れ、人気は失墜してしまったようだ。

 王家存続のための世継ぎ問題にカイル王子は真剣に取り組んでいないと、国民の誰しもが思っている。メイド達の話からはそういうことらしい。


「婚約破棄の回数が4回だから……」


 誰かが声を潜めてささやいた言葉に私は体が硬直した。
 

「クラリッサとかいう、大陸の大金持ちのお嬢様が初回でしょ?」 


 皆が口々に言っている言葉で、私はさらに黙り込んだ。私とカイル王子とは婚約が成立しかけたタイミングで、私が一方的にフラれた。

 私は婚約破棄された可哀想なスター気取りの我儘令嬢としてしっかり王家の黒歴史に名を刻んだらしい。

 花嫁修行学校を退学になったマイデン家の黒歴史を上回る黒歴史っぷりに絶句してしまう。

 

 ハット子爵家に嫁いだクラリッサ・マイデンと、王子と浮き名を流した大陸の我儘令嬢は、どうやら王国の民の間では繋がっていないようだ。確かに、人目に触れずに私たちは逢瀬を重ねた。


 私は真剣に恋焦がれてしまっていて、彼のことしか見えない状態だったが、18歳のカイル王子から実は守られていたのではないかと、この時ふと気づいた。


 そうだわ。カイル王子は私の名を伏せていた。私の姿が皆の目に触れないようにしてくれていたのだわ……。


 私はその事実に思い至って、胸が震えた。


 私はひたすら黙った。
 沈黙は金なり。


 亡くなった奥様の名前と、その大陸の令嬢の名前が一致するとは、ここにいる若いメイド達は気付きもしないようだ。私がいた頃からいるメイドは、シンシアぐらいなのかもしれない。


 もっと情報が欲しければ、そのまま黙って聞いておくに限った。

 私はメイド達のおしゃべりからたくさんの情報を仕入れた。


 驚いたことに、王子が帰って行った後、私はジーンの鳩のお世話までやらせてもらえた。私は自分の魔力が、エミリーになっても引き継がれていることに気づいた。鳩達は私の言うことはなんでも聞いた。この事実にジーンは気づいていないようだ。


 鳩郵便屋は街の人々の様々な願いや近況連絡を書いた手紙を格安で受け取り、弾丸のように飛んでいく鳩たちによって、間違いなく配達されていた。
  

 ジーンの鳩小屋は実に居心地よく整理整頓されていた。


 多少の魔力が効いていることは間違いなさそうだ。私は娘のジーンが誇らしかった。何もかもが、魔法の箒でも使っているのかというぐらいに、綺麗で清潔だった。


 仕立て屋では、私には縫製の知識など何もないので、もっぱら接客と採寸と似合いそうなデザインを描く担当として過ごすはめになった。  


 私にはそれが楽しくて楽しくて仕方なかった。私が倒れて記憶喪失となり、縫製の知識を無くしてしまったことを皆が受け入れてくれたのだ。


 私はクラリッサの時と同様にデザイン画が得意だった。顧客と話しながら、簡単なデッサンをスラスラと書いて、希望を取り入れていった。


「エミリー!そんなすごい才能をどこに隠していたの?」


 皆に驚かれて、私は初めて褒められたようで嬉しかった。
 
 仕立て屋のお針子はエミリーの他に、マーシーというベテランの女性とジュディスという若い女性がいた。2人ともデザインは描けないそうで、私がデザインを描いて顧客と楽しくコミュニケーションを取っている様子に驚いて褒めてくれた。

 そして、どうやって幼いエミリーがハット子爵の所に小さなメイドとしてもらわれてきたのかを私は知った。


「エミリー、御恩を忘れちゃダメよ。何もかも忘れちゃったみたいだけれど、エミリーが11歳の時に村外れに住んでいたエミリーのおばあちゃんが亡くなったのよ。3日もの間、エミリーは1人で生き延びたらしいわ。でも、衰弱したエミリーを旦那様が見つけて連れ帰ったのよ。7年前のことよ」


 私は昔からハット子爵家に仕えていたと言うマーシーの言葉にハッとして顔を上げた。店にはたまたま客がいなくて、ジーンもまだ鳩郵便屋の方で作業をやっていて、仕立て屋までは来ていなかった。

 ジーンは招待客リストを昨晩オークスドン子爵と作っていた。今日もその作業を行うのだろう。


「旦那様が、11歳の私を?」


 7年前なら、既に本物のクラリッサはこの世にいないはずだ。

 今の私のクラリッサとしての記憶は、ジーンが4歳になる直前頃までだ。エミリーとジーンは1歳差と聞いた。

 今の私は18歳のエミリー・ノース。ハット子爵家のメイドだ。

 ジーン・ハット子爵令嬢は19歳。私が4歳ぐらいのジーンと過ごしていた時、エミリーは村外れに3歳の赤ん坊としていたことになる。


 ピンクローズやピオニーのような少し甘いフローラルな香りとムスクのような官能的な香りが混ざったような記憶を彷徨う。私がよくつけていた香水の匂いだ。

 やはり、村の外れにお婆さんと住むエミリーのことなど、何も覚えていない。


「あなたの父親は暴力を振う人で、おばあさんがあなたと自分の娘であるお母さんを救出してここまで連れてきたらしいわ。あなたのお母さんは病気で早くに亡くなった。どういうわけか、ある日、旦那様は朝早くに出かけて衰弱したあなたを見つけて連れ帰ったのよ」


 もしも、エミリーが私と入れ替わったのであれば、自分の危機を察してハット子爵であるアルに自分が亡くなった後のことをお願いしていたのではないか。それで、ハット子爵がエミリーを見つけて連れてきてくれたのかもしれない。


 私は一瞬そう思った。


 私が幼い娘のジーンと夫のハット子爵と過ごしていた時は、エミリーは村外れの祖母の所にはまだいなかった可能性がある。


 私は本物のエミリーの境遇に胸を痛めた。


 私には想像もつかない貧しさと無力さを知っている若い女の子のようだ。彼女は皆に愛されている。ジーンは自分の妹のように思っている節すらある。


「お皿を投げる父親の記憶をあなたは持っていた。エミリー、何があっても父親に近づくようなことがあってはダメよ」


 マーシーは皺のたくさんある目尻を切なそうに下げながら、私にしっかりと諭した。


「覚えていないならそれでいいと言いたい所だけれど、あなたの父親はまだ生きているという噂があるの。エミリー、記憶をなくしても、あなたには危険が及ぶ可能性が残っている。だから敢えて教えるわ。それには本当に気をつけて欲しい。記憶を無くす前のあなたはそのことにはとても注意を払っていたわ」


 児相などいない世界で、ハット子爵家は幼いエミリーに最善のものを提供したようだ。私は夫だったハット子爵に感謝した。


「わかりました。教えてくれてありがとう、マーシー」


 私はしっかりとマーシーの瞳を見つめて礼を言った。自分である程度身を守る覚悟がなければ、この世界ではダメなのだから。


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