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全世界の諸君に告ぐ

34_山奥の一軒家 ねことイヌの宅急便

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 配給の米がつきた。

 闇市に服や貴重品を売ってきて、食べ物に変えてこなければならない。

 ガリーナは、朝早く起きて、家中の棚という棚を漁った。
 子供は小さくて、まだ一番上が十歳で、一番下がゼロ歳で五人もいた。
 飢えさせるわけにはいかない。
 
 家中からかき集めたものを麻袋にしっかりと詰める。一目で貴重なものが入っていると思われてはならない。粗末な袋がよかった。

 空襲が始まる前に山の中のこの家にやってきてから、随分経ったような気がする。 

 ガリーナは全ての準備ができると、寝ている夫をそっと起こした。
 夫はすぐに目を覚ました。
 昨晩、夫婦で話し合って、闇市に貴重品を売りに行くことを決めたのだ。

 穀物が何もない。小さな家庭菜園で作れるものも、全部食べ尽くしてしまった。
 朝、夫に小さなパンと、何も入っていないスープを出して食べてもらった。

 夫は静かに食べ終わると、麻袋を抱えて庭に出た。自転車の荷台に麻袋をくくりつけた。

 ガリーナは、麻袋とは別に、懐中電灯ひとつと、昼飯用に小さなパン二つと、水を入れた水筒が入ったショルダーバックを渡した。夫はうなずくと、肩からしっかりとショルダーバックをかけ、そのまま街に向かって自転車をよろよろと漕ぎ始めた。

 一家の命運がかかっているのだ。夫は固く唇を結び、しっかりとペダルを漕いて、山道を下って行った。

 山道にはうっそうと草が生い茂り、野の花が咲いていた。あの花を油で揚げたら美味しいのかしら・・・ふとそんなことをガリーナは思った。
 
 家の前には大きな木があり、少し行くと小さな滝があった。気持ちの良い風のふく朝方だった。
 
 大きく深呼吸して、ガリーナは夫の姿が小さくなるまで見送った。
 きっと食べ物を今晩は持ってきてくれる!
 胸の前で両手のヒラを組み合わせてガリーナはお祈りをした。
 

 その日、ガリーナは、「父さんはどこに行ったの?」と聞く子供たちに、「父さんは美味しいものをもらいに行った」と説明して、食べ物がほとんどない日中を、子供達と我慢して過ごした。

 子供たち全員が、美味しいものを持って帰ってくる父さんを首を長くして待っていた。

 しかし、待てども待てども、子供たちの父さんは戻ってこなかった。

 待ちくたびれた子供達は、ガリーナが草を素揚げしたものを食べて、玄関の外に出て外を見ては、戻ってくるという行動を日が暮れてからも何度も繰り返した。

 ゼロ歳の子供は、ガリーナから美味しいお乳が出ないのか、弱々しい声でしょっちゅう泣いていた。

 皆が心配になった頃、ようやくガリーナは夫の声をどこか遠くで聞いた気がした。

「おおい!」
 確かに夫の声だ。
 ガリーナは、針仕事をする手をとめ、はっとして外に飛び出した。

 後から子供達も我先にと玄関から外に飛び出した。

 山奥の一軒家に、ギーコギーコと古く錆びついた自転車がやってくる音がした。

 夫の自転車の音だ!

「戻ったぞ!」
 夫の声だった。

「父さん!」
「おかえりなさい!」
 子供達は大声を出して、飛びはねた。
 満面の笑みの夫が姿を現した。

「たーくさん、食べ物を持ってきたぞ!」
 夫は、大きな声でガリーナに言った。

 ガリーナは大急ぎで、夫の自転車の荷台に駆け寄った。

 麻袋があったが、ペしゃんこだった。

「あれ、父さん。ペしゃんこだけど、どこに食べ物があるの?」
 一番上の子供が聞いた。

「え?」
 夫は驚いて後ろを振り向いた。

 ガリーナが麻袋を見ると、大きな穴が空いていた。中にはジャガイモが二つだけ入っていた。

「穴が空いている!」
 ガリーナが叫んだ。

「なんだって!」
 夫は自転車を飛び降りると、麻袋の穴を見つめた。

「しまった!」

 夫はショルダーバックから懐中電灯を取り出して、地面を照らしながら、登ってきた山道を下り始めた。

 ガリーナは、玄関にかけてあった空っぽのリュックをつかみ、夫に駆け寄った。
「これに入れてきてください!」

 それから、ガリーナは十歳の長男と八歳の長女にしばらく家を見てもらうように言って、夫の後を追って山道を降り始めた。

 ガリーナと夫は、二人で泣きながら、山道に転がったかぼちゃやジャガイモを拾って歩いた。
 真っ暗な夜道で、麦粉はこぼれてしまっていたのがかろうじて見えたが、泥だらけで拾えなかった。
 山道でなんとか拾い集めたが、すでに猿や獣に食べられてしまったらしく、わずかなものしか集まらなかった。

 諦めて明日の朝また拾おうと慰めあった。
 二人で泣きながら山道を登って、子供たちの待つ一軒家まで戻った。

 子供たちの前では笑顔で、ガリーナは言った。

「さあ、父さんが持ってきてくれた食べ物で、何か食べよう!」

 子供たちは目を輝かせて、歓声を上げた。

 その夜、ガリーナはお腹いっぱいになった子供たちが寝た後、夫と一緒に泣いた。

 売れるものが何も無くなったのに、食べ物は数日分しかない。

 
 戦争は嫌いだ。
 この国から逃げたい。
 でも、逃げてどこで生きていけるのだろう。
 それに、移動するには、その間の食べ物がいる。小さな子供が五人もいる。
 
 考え込んで、そのままその夜は眠った。

 次の日の朝だ。
 ガリーナが玄関を開けて外に出ようとすると、夫が落とした食べ物が家の前に全部積んであった。

 麦粉は拾えなかったはずなので、別の新しいものを誰かが用意してくれたようだ。

 ガリーナは親切な誰かにお礼を言わなければと、家の周りを見渡した。
 大きな木が生い茂り、気持ちの良い風のふく朝だった。

 家の庭には、以前から一軒家に住み着いていた猫と犬がいるだけで、人の姿はまるで見えなかった。

「一体、誰が助けてくれたのだろう?」
 ガリーナは、込み上げてくあたたかい涙に頬を濡らし、嗚咽を抑えながら、食べ物の前にしゃがみ込んだ。嬉しかった。

 これで、しばらくゼロ歳の子供も生き延びられるだろう。
 他の子供たちも生き延びられるだろう。

 その日のお昼ご飯を食べながら、夫は、「そういえば」とガリーナに話した。昨日、闇市で、ガールズバンド“ミッチェリアル”の歌が流れていたと教えてくれた。
 
 不思議な聞いたこともない音楽で、思わず、聞き入ったそうだ。

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