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第一章 私を陥れたのは誰?
聖女のスキル発動
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頭に衝撃を受けて私は倒れた。相手の足をつかんで倒して、相手の髪の毛をつかんで引っ張ってやった。足技も決めようとしたら、滑った。
ぎゃっっ!!
ずるずると山肌を滑り落ちた。体が泥に塗れた。叫んでiPadを離して両手でつかまれるものを何かつかもうと空に手を振り回してばたつき、やっとの思いで木の枝をつかんだ。藁をもつかむ思いだ。
呼吸が荒い。私の息が耳に響く。頭の上の方で雨が葉にあたる音がする。
◆◆◆
幸い意識ははっきりとしていると思った。それなのに、目を開けると真っ暗な山の中ではなく、どこまでも続く灰色の空と大地が見えた。はるか彼方まで灰色だ。これがレキュール伯爵領だと思った。
「ここよ」
私は振り返って、馬車から降りてきたゴージャスな彼に笑いながら言っている。
「君のスキルだと、ここがそんなに素晴らしい大地になると予測できるのか。聖女のスキルはどれほどあるのだろう」
ヒューだ。私の目には彼は愛しいヒューに見えた。
美しい髪と美しい瞳と美しい鼻筋、何もかもが愛しいと思えた。ヒューはヨーロッパ貴族のような出立で、どこか洗練されて見える。
私の胸が震えて泣きたくなる。嗚咽が込み上げる。唇が震える。身を貫くような痛い思いで呼吸が乱れる。とても彼のことが好きだったのだ。これがヴァイオレットとしての感情なのだろうか。彼にフラれたのは信じがたいほど惨めで、この世の終わりのように感じた。
この時はまだヒューはヴァイオレットに婚約破棄を通告していないようだ。私を見つめる瞳は愛に溢れている。ヒューは私に聞いてきた。
「この土地で金を借りることなく、豊かな国になることができると?」
私はヒューの問いにうなずき、馬車の向こうに見える山をまっすぐに指差した。
「あれは鉱山よ。銀が採れるわ。この国を豊かにしてくれるはずよ」
いつの間にか私はヒューに抱き抱えられていた。ヒューは私を抱いてくるくるとその場で回った。私のドレスの裾が風にはためく。どこまでも続く灰色の空の下で私たちは笑い声をあげていた。
ヒューの唇が私の唇に重なり、私はそれにしっとりと応えた。
ヒューの唇が離れると、そっと小さな声で私は聞かれた。
「結婚してくれる?聖女様。今夜の舞踏会で発表したいんだ。父と母には帰ったらすぐに報告したい。どうか僕の切なる願いを了承してくれないだろうか」
私は喜びで胸がいっぱいになり、舞い上がった。ふわふわとした温かい気持ちが私の胸を満たして、私はこの上ない幸せに包まれた。どこまでも続く灰色の大地はヴァイオレットの幸せの瞬間の記憶だ。
「舞踏会で発表するの?」
私は照れ隠しにそれだけ言った。
「結婚の申込に対する返事は承諾したということかな?ヴァイオレット聖女様」
ヒューは私の目をのぞき込んだ。彼の瞳が期待で輝いている。私は彼の唇に口付けをして、もっと抱きついた。彼の心臓の音が聞こえるぐらいに。
彼の服の胸のレースフリルは、素晴らしくゴージャスだ。細かい刺繍がされている。
――王子と結婚するの?
「もちろんよ!あなたと結婚できるなんて信じられないほど幸せよ」
私は結婚を承諾した。
私は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。ヒューは私の返事を聞くとまた私を抱き上げてくるくると回り始めた。私たちは笑いあった。かけがえのない幸せの瞬間だ。
一瞬、華やかな舞踏会のシーンが頭をよぎったが、次の瞬間に、また私は自分の体がずるずると落ち始めたことに気づいた。
◆◆◆
相変わらず、私は周りに誰もいない山の中で殺されかけていた。一瞬死ぬ間際に見えたものが、それはまるで走馬灯のように見えたものだった。ただ、それがバイトでなりきっていただけの「ヴァイオレット公爵令嬢役」の幻想だったことに、私は心の底から愕然としていた。
――毎日毎日バイトをしすぎたおかげで、死ぬ直前までおかしな夢を見ているわ。しっかりしてよ富子!あなたはヴァイオレットじゃないでしょう?夢見ている場合じゃないんだから!今は死にかけているのよ!
私は自分を泣きながら叱咤した。ずるずると泥の中を落ちる。下は谷かもしれない。
「もうなんでこんなことになっちゃったの?ここで死んじゃうのかな」
私は泣きながら喚きながら落ちて行った。私の中で何かが弾けた。
――ラスボスに負けてたまるかっ!
「ステータスオープン!」
私は毎日毎日タスクとして言わされていた言葉を無我夢中で言っていた。
「Lvl512の擬力を使いますか?」
「つかいますぅぅぅぅ!」
「鳥に擬態して鳥の浮遊力を利用しています。つまり、飛べます」
私は羽をバサバサと羽ばたき、急上昇した。夜は目が見えないはずの鳥なのに、よく見えた。フクロウか何かなのだろうか。グンっと私の背中を何かが引っ張る。私のリュックだ。
「iPadもリュックも持ち帰りたいのだけれど」
この際わがままを言ってみた。
「Lvl435の木の精にタスクを命じますか?」
「命じますぅぅぅ!」
私のリュックとiPadを木の枝たちが持ち上げる様が暗闇の中で見えた。私は夢を見ているのだ。死にかけて、もはやバイトの役と現実が混乱した状態で、きっと私は夢を見ているのだろう。
とにかく私は羽ばたいて夜空を真っ直ぐに飛んだ。
暗い山道をクネクネと何かが光りながら上ってくるのが見えた。私はそこに向かって急降下した。顔をこわばらせたヒューが運転席に乗っていて、スマホを運転席に固定して、Mapらしきものを睨んでいるのが見えた。我ながら凄い視力だ。
私はグングンと急降下した。木の間をリュックとiPadがぴょんぴょんと飛んでくる。これはきっと夢だ。間違いなく夢だ。
――夢でもいいからもう一度ヒューに会いたいの。
私はなぜかそう思った。私の中のヴァイオレットに感情移入した気持ちがそう思わせているのかもしれない。私は鳥のまま泣きながら急降下したのだ。
「ステータスオープン!」
私はもう一度叫んだ。鳥のままなので奇妙な囀りだったが。
「擬態を解除しますか?」
「します!」
私は叫び、ヒューの運転するポルシェの前に飛び降りた。ヒューは音を立てて急ブレーキをかけてポルシェを止めた。すぐさま運転席のドアを開けて転がるように山道を走ってきた。
私は振り向き様に、山の中腹にいるはずの犯人を指差した。
「Lvl1240の稲妻で攻撃しますか?」
「します!」
ピカっと電流が静かな山間に一瞬走った。山腹にいるはずのあの男を直撃したはずだ。男はしばらく起き上がれないだろうと私は思った。
「ヴァイオレット!」
走ってきたヒューが私を抱き寄せた。
――富子です……。こんな時もバイトの設定のままなんですね……。
私は意識が遠のく中で、ヒューにふわっと抱きしめられたのを感じた。
「スキルを発動したんですね、聖女様」
ヒューのひとりごとのような声が耳元で聞こえたが、私は意識を手放した。
私は涙をこぼしたような気がしたが、そのまま真っ暗な闇に落ちて気を失った。
◆◆◆
『命を失った聖女がこんな所で力を隠して生き延びていたとは』
誰かの声がした。
「富ちゃん!」
隣の小学二年生の悠斗の声がする。まぶたの向こうが明るい。いつものアパートの部屋だ。カーテン越しの柔らかい日差しが私の頬を撫でている。優しい朝の日差しだ。目をしばたいた。ふわりと明るい光が私の周りを包んでいた。
――朝?私はまだ生きている?
「学校に遅れるよ!」
悠斗のお母さんが言っている。私と悠斗の両方に言ってくれているのだ。
私はガバッと飛び起きた。
――生きているわ!
どうやら私は生き延びたようだ。生きている!生きているのだ!
「悠斗、行ってらっしゃい!」
私は元気よく玄関の扉の向こうにいる悠斗に声をかけた。枕元の時計の針は7時50分だ。このままだと必修科目の一限に遅れそうだ。
急いで顔を洗って歯磨きをした。昨日のことは一旦置いておいて、私はリュックを持って家を飛び出した。
「ヴァイオレットお嬢様、おはようございます」
運転手のサミュエルがアパートの目の前の駐車場に黄色いフェラーリを停めて待っていた。私はまたサミュエルに会えて心底嬉しかった。
「ガラスの馬車でなくて大変申し訳ございません、お嬢様」
恭しくサミュエルが私にささやいた。私は尊大にうなずいてみせた。バイトの設定は死守しよう。昨日のことは後でヒューに確認しよう。
私は生きて生還したようだ。ただ、あれは夢だと思う。
アパート前には、大家さんが育てているブルーリバーとピンクリバーのスーパートレニア カタリーナの涼やかで爽やかな花が咲いていて、朝露が光っていた。大輪の黄色いひまわりの花も咲いたようだ。
私は生還できた喜びで浮き立つ心を抑えきれず、スキップするようにフェラーリまで急いだ。
夢の中でラスボスに勝ったような気がしていた。
ぎゃっっ!!
ずるずると山肌を滑り落ちた。体が泥に塗れた。叫んでiPadを離して両手でつかまれるものを何かつかもうと空に手を振り回してばたつき、やっとの思いで木の枝をつかんだ。藁をもつかむ思いだ。
呼吸が荒い。私の息が耳に響く。頭の上の方で雨が葉にあたる音がする。
◆◆◆
幸い意識ははっきりとしていると思った。それなのに、目を開けると真っ暗な山の中ではなく、どこまでも続く灰色の空と大地が見えた。はるか彼方まで灰色だ。これがレキュール伯爵領だと思った。
「ここよ」
私は振り返って、馬車から降りてきたゴージャスな彼に笑いながら言っている。
「君のスキルだと、ここがそんなに素晴らしい大地になると予測できるのか。聖女のスキルはどれほどあるのだろう」
ヒューだ。私の目には彼は愛しいヒューに見えた。
美しい髪と美しい瞳と美しい鼻筋、何もかもが愛しいと思えた。ヒューはヨーロッパ貴族のような出立で、どこか洗練されて見える。
私の胸が震えて泣きたくなる。嗚咽が込み上げる。唇が震える。身を貫くような痛い思いで呼吸が乱れる。とても彼のことが好きだったのだ。これがヴァイオレットとしての感情なのだろうか。彼にフラれたのは信じがたいほど惨めで、この世の終わりのように感じた。
この時はまだヒューはヴァイオレットに婚約破棄を通告していないようだ。私を見つめる瞳は愛に溢れている。ヒューは私に聞いてきた。
「この土地で金を借りることなく、豊かな国になることができると?」
私はヒューの問いにうなずき、馬車の向こうに見える山をまっすぐに指差した。
「あれは鉱山よ。銀が採れるわ。この国を豊かにしてくれるはずよ」
いつの間にか私はヒューに抱き抱えられていた。ヒューは私を抱いてくるくるとその場で回った。私のドレスの裾が風にはためく。どこまでも続く灰色の空の下で私たちは笑い声をあげていた。
ヒューの唇が私の唇に重なり、私はそれにしっとりと応えた。
ヒューの唇が離れると、そっと小さな声で私は聞かれた。
「結婚してくれる?聖女様。今夜の舞踏会で発表したいんだ。父と母には帰ったらすぐに報告したい。どうか僕の切なる願いを了承してくれないだろうか」
私は喜びで胸がいっぱいになり、舞い上がった。ふわふわとした温かい気持ちが私の胸を満たして、私はこの上ない幸せに包まれた。どこまでも続く灰色の大地はヴァイオレットの幸せの瞬間の記憶だ。
「舞踏会で発表するの?」
私は照れ隠しにそれだけ言った。
「結婚の申込に対する返事は承諾したということかな?ヴァイオレット聖女様」
ヒューは私の目をのぞき込んだ。彼の瞳が期待で輝いている。私は彼の唇に口付けをして、もっと抱きついた。彼の心臓の音が聞こえるぐらいに。
彼の服の胸のレースフリルは、素晴らしくゴージャスだ。細かい刺繍がされている。
――王子と結婚するの?
「もちろんよ!あなたと結婚できるなんて信じられないほど幸せよ」
私は結婚を承諾した。
私は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。ヒューは私の返事を聞くとまた私を抱き上げてくるくると回り始めた。私たちは笑いあった。かけがえのない幸せの瞬間だ。
一瞬、華やかな舞踏会のシーンが頭をよぎったが、次の瞬間に、また私は自分の体がずるずると落ち始めたことに気づいた。
◆◆◆
相変わらず、私は周りに誰もいない山の中で殺されかけていた。一瞬死ぬ間際に見えたものが、それはまるで走馬灯のように見えたものだった。ただ、それがバイトでなりきっていただけの「ヴァイオレット公爵令嬢役」の幻想だったことに、私は心の底から愕然としていた。
――毎日毎日バイトをしすぎたおかげで、死ぬ直前までおかしな夢を見ているわ。しっかりしてよ富子!あなたはヴァイオレットじゃないでしょう?夢見ている場合じゃないんだから!今は死にかけているのよ!
私は自分を泣きながら叱咤した。ずるずると泥の中を落ちる。下は谷かもしれない。
「もうなんでこんなことになっちゃったの?ここで死んじゃうのかな」
私は泣きながら喚きながら落ちて行った。私の中で何かが弾けた。
――ラスボスに負けてたまるかっ!
「ステータスオープン!」
私は毎日毎日タスクとして言わされていた言葉を無我夢中で言っていた。
「Lvl512の擬力を使いますか?」
「つかいますぅぅぅぅ!」
「鳥に擬態して鳥の浮遊力を利用しています。つまり、飛べます」
私は羽をバサバサと羽ばたき、急上昇した。夜は目が見えないはずの鳥なのに、よく見えた。フクロウか何かなのだろうか。グンっと私の背中を何かが引っ張る。私のリュックだ。
「iPadもリュックも持ち帰りたいのだけれど」
この際わがままを言ってみた。
「Lvl435の木の精にタスクを命じますか?」
「命じますぅぅぅ!」
私のリュックとiPadを木の枝たちが持ち上げる様が暗闇の中で見えた。私は夢を見ているのだ。死にかけて、もはやバイトの役と現実が混乱した状態で、きっと私は夢を見ているのだろう。
とにかく私は羽ばたいて夜空を真っ直ぐに飛んだ。
暗い山道をクネクネと何かが光りながら上ってくるのが見えた。私はそこに向かって急降下した。顔をこわばらせたヒューが運転席に乗っていて、スマホを運転席に固定して、Mapらしきものを睨んでいるのが見えた。我ながら凄い視力だ。
私はグングンと急降下した。木の間をリュックとiPadがぴょんぴょんと飛んでくる。これはきっと夢だ。間違いなく夢だ。
――夢でもいいからもう一度ヒューに会いたいの。
私はなぜかそう思った。私の中のヴァイオレットに感情移入した気持ちがそう思わせているのかもしれない。私は鳥のまま泣きながら急降下したのだ。
「ステータスオープン!」
私はもう一度叫んだ。鳥のままなので奇妙な囀りだったが。
「擬態を解除しますか?」
「します!」
私は叫び、ヒューの運転するポルシェの前に飛び降りた。ヒューは音を立てて急ブレーキをかけてポルシェを止めた。すぐさま運転席のドアを開けて転がるように山道を走ってきた。
私は振り向き様に、山の中腹にいるはずの犯人を指差した。
「Lvl1240の稲妻で攻撃しますか?」
「します!」
ピカっと電流が静かな山間に一瞬走った。山腹にいるはずのあの男を直撃したはずだ。男はしばらく起き上がれないだろうと私は思った。
「ヴァイオレット!」
走ってきたヒューが私を抱き寄せた。
――富子です……。こんな時もバイトの設定のままなんですね……。
私は意識が遠のく中で、ヒューにふわっと抱きしめられたのを感じた。
「スキルを発動したんですね、聖女様」
ヒューのひとりごとのような声が耳元で聞こえたが、私は意識を手放した。
私は涙をこぼしたような気がしたが、そのまま真っ暗な闇に落ちて気を失った。
◆◆◆
『命を失った聖女がこんな所で力を隠して生き延びていたとは』
誰かの声がした。
「富ちゃん!」
隣の小学二年生の悠斗の声がする。まぶたの向こうが明るい。いつものアパートの部屋だ。カーテン越しの柔らかい日差しが私の頬を撫でている。優しい朝の日差しだ。目をしばたいた。ふわりと明るい光が私の周りを包んでいた。
――朝?私はまだ生きている?
「学校に遅れるよ!」
悠斗のお母さんが言っている。私と悠斗の両方に言ってくれているのだ。
私はガバッと飛び起きた。
――生きているわ!
どうやら私は生き延びたようだ。生きている!生きているのだ!
「悠斗、行ってらっしゃい!」
私は元気よく玄関の扉の向こうにいる悠斗に声をかけた。枕元の時計の針は7時50分だ。このままだと必修科目の一限に遅れそうだ。
急いで顔を洗って歯磨きをした。昨日のことは一旦置いておいて、私はリュックを持って家を飛び出した。
「ヴァイオレットお嬢様、おはようございます」
運転手のサミュエルがアパートの目の前の駐車場に黄色いフェラーリを停めて待っていた。私はまたサミュエルに会えて心底嬉しかった。
「ガラスの馬車でなくて大変申し訳ございません、お嬢様」
恭しくサミュエルが私にささやいた。私は尊大にうなずいてみせた。バイトの設定は死守しよう。昨日のことは後でヒューに確認しよう。
私は生きて生還したようだ。ただ、あれは夢だと思う。
アパート前には、大家さんが育てているブルーリバーとピンクリバーのスーパートレニア カタリーナの涼やかで爽やかな花が咲いていて、朝露が光っていた。大輪の黄色いひまわりの花も咲いたようだ。
私は生還できた喜びで浮き立つ心を抑えきれず、スキップするようにフェラーリまで急いだ。
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