その令嬢、危険にて

ペン銀太郎

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第一部:終章:聖戦の乙女マリアンネと学園生活

132話:聖戦の乙女マリアンネ(後編)

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マリアンネの戸惑いは一瞬だった。
それこそ、普段一緒にいるネルカですら気付けなかったほど、一瞬と言えるような心の変化だった。だが、それに気が付いた者が二名だけいた――国王ガルドと宰相ドロエスだ。そして、「聖女よ、待て。」とガルドは彼女を呼び止めた。

「どうした聖女。今、悲哀の色が見えたぞ。」

「……あっ……えっと…。」

「それぐらい分からねば、王など務まらん。」

「ですが…。」

「よい、そなたは聖女。私を相手して自由な言葉を許された存在だ。ふむ…それに私は【人徳王】と呼ばれるような男だぞ? ここでそなたを見送ってしまう方が問題だとは思わないか? 悩みがあるなら言え。」

白ヒゲを撫でながら優しい声色で語り掛けるガルドだが、一瞬でも迷いを見せてしまったマリアンネには押されたかのような圧を感じてしまっていた。だが、潰されるような圧ではなく、前に進めるように優しく背中に掛ける圧だった。

マリアンネは国王の方に向き直ると、ロルディンのいる方を避けつつも、目を泳がせながらゆっくりと口を開く。

「アタシ…いえ、私は確かに王都の危機を救った…かもしれません。で、ですが、私は人を救いきれなかった…そう思っております。私は……体を失った者を、体を動かせなくなった者を、体が歪になってしまった者を……街で見ました。」

「ほう? 続けろ。」

「聖女の力は強力です。役目を果たして効力が弱くなった今でさえ、きっと治癒魔法に比べたら強力なのでしょう。今回、救うべき命を救ったことにも疑いはないですし、これからも、この力を国の為に使うことを約束はします。でも……同時に……もしかしたら私は、『死んだ方が楽だったかもしれない者』すらも、治してしまう……そう思っております。『治す』と『完治』では話が別だと、そう存じ上げます。」

聖女の力が覚醒して王都を光が包んだ時や、直接に力を使った者ならどんな負傷でも治してみせた。腕や足が欠損しようが、血が足りず死にかけていようが、腹を貫かれていようが――生きてさえいてくれたら聖女の力で治したのだ。程度によっては傷跡が残ったりするが、機能として少しの問題も発生することはなかった。

しかしながら、最後の魔王の粉だけは違った。
あくまで粉に付着した力が掛っただけ。
効果としては中途半端だったのだ。

人々の傷は塞ぐことはできた。
だが、傷を塞いだだけなのだ。

治った体を、治すことはできない。
傷があるから治るのであって、塞がっていれば治せない。

後になって直接力を注いでも、無くなった体は戻せなかった。

そして、力が弱まっていくこれからを考えると、同じことはもっと起きていく。できるかどうかなら、彼女は自分を押し殺して聖女として活動できる。しかし、やりたいかどうかで言えば、気が滅入っているとしか言いようがないのだ。

「祝いの場でこのようなことを……申し訳ございません。」

「マリアンネ嬢…ふむ…なるほど…。」

以前、マリアンネは無力だからこそ何もできず精神的に沈んでいた時期があったが、今回は逆に過ぎるほどの力があっても成せなかったことがあり、それが現実なのだと恐れを抱いてしまっているのだ。 

何もできない方が『マシ』だということもある。

ハスディの破壊活動を『善意ある悪行』だとすれば、マリアンネの聖女の力は『善意ある善行』だと皆が両手を上げて言うことだろう。だが、善意だろうが善行だろうが、結果が良くなるとは限らない。逆も然りだ。

「アタシでは…………。」

ロルディンも自身のことを言われているということは承知しているし、彼の心には決して彼女を責めるようなものは存在しておらず、むしろ命を助けてくれたことに感謝以外はありえない。だが、何と声をかければいいのかが分からず、動けないでいた。それはロルディンに限らず、そこにいる者のほとんどが似た様子だった。

そんな中、国王とネルカだけは違った。
まるで二人は事前にやり取りをしていたかのように、目を合わせ頷いた。
「ネルカ嬢。」

「はっ!」

「予定より早まることになってしまったが…聖女に見せてやれ。」

「かしこまりました。」

すると、ネルカは颯爽とマリアンネの元へと移動する。
そして、彼女を――横抱きにした。
所謂、御姫様抱っこというやつである。

「きゃっ!」

ドレスのスカートがはだけない様に黒魔法で固定させると、跳躍して謁見の間の上窓まで辿り着く。手はマリアンネで塞がっているはずだが、黒魔法を駆使することで彼女は桟に足を引っかけて静止することができる。

その背に、国王は言葉を投げかけた。

「国の為などという言葉は捨てろ! お主の為に、動け!」

ネルカは窓ガラスをぶち破って外に出た。

謁見の間では悲鳴だらけ阿鼻叫喚となっているが、ネルカとしては国王と騎士団長ガドラクの二人からの指示なので気にしないことにした。きっと彼は、王妃と宰相から怒られるなんて生易しい言葉では済まないような事を受けることになるだろう。

黒魔法でマリアンネの口元を塞ぎつつ、王城の屋根を伝いながら彼女は大門の方へと進んでいく。そして、王都一帯が見えるような位置まで辿り着くと、マリアンネの口を解放させた。

「マリ…下を見なさい。」

「下って……え…?」

王城正面には広く開かれたエリアがあり、そんな箇所を一瞥できるようなバルコニーが存在する。ここ数年では使う機会などなかった用途ではあるが、そこは国王が騎士団に対して発破をかけるための場所だ。

そこには人が集まっていた。

だが、騎士団ではない。

王都民だ。

本来なら、死ぬまで王城敷地に足を踏み入れるようなことがない者たち。
街を歩けば、いくらでも出会えてしまうような、ただの一般人たちだ。

「おい、あそこに誰かいるぞ! ほら、屋根の上!」

そのうちの一人が、ネルカとマリアンネの存在に気付いた。

「あれって大将じゃねぇか?」
「うそ! マリねーちん!」
「死神英雄様もいるぞ!」
「マリちゃん! ありがとう!」
「あぁ、俺らを救ってくれてありがとよ!」

彼らは国王の御言葉が聞けると言われ、この場に集っている。
現在、王都は復興させなければならず忙しいはずだが、それでも集めることができたのは『人徳王』としての人気度によるものに他ならない。そんな彼らですら、国王のために来たということを忘れてしまうほど、ネルカとマリアンネの登場は湧き立つものがあった。

彼らは見ている――ネルカが魔物を斬り伏せる姿を。
彼らは見ている――マリアンネが傷を癒す姿を。


「「「「聖女! 聖女! 聖女!」」」」
「「「「死神! 死神! 死神!」」」」


マリアンネは市民の間では有名人だ。
聖女以前から有名人だ。

孤児院の元気な子
孤児院の優しい子。
孤児院の革命児。
孤児院の人気者。

そして今日、新たに――『聖女』。

「うぅ…みんな……グスン……アタシ…アタシ!」

マリアンネの視界には、彼女の知人もいれば、そうでない者もいる。

同時に、身体が欠損し、中途半端に回復した者たちもいる。
だが、不思議なことに彼らもまた笑顔なのだ。

どうして自分だけ、そう口にすることだってできる。
中途半端、無能、善意ある悪行――そう罵ることだってできる。

それでも、少なくとも、ここにいる者はそうしない。
だって、彼らはマリアンネのやったことが『正しい』と思っているからだ。
幸せか不幸かはどうでもいい。正しい、だから祝福できる。

「マリ…ここだけの話…私、ハスディは悪い奴ではなかったと思ってるの。」

「え?」

「ただ、彼は間違うしかない運命に生まれてしまっただけなの。残念ながら、人生のめぐり逢いによって起きた、悲劇の運命だったにすぎないと思ってるわ。」

「……そうだったんでしょうか。」

「私も、彼も、そしてあなたも、強い意思に身をゆだねて動くということは同類よ。でも、彼はその意思がどこかで人として歪んでしまっていた。でも、私やあなたは違うわ……それは目の前の景色が証明してるじゃない。だから、あなたは、あなた自身を信じてもいいのよ?」

「師匠…。」

「善も悪も、正も誤も、結果論よ。そんなものにこだわってたら、私たちもハスディみたいになってしまうわ。迷ったとき、最後の決定は結局『私欲』なのよ。それが許されるのが『マリアンネの人柄』よ。それに私もいるわ。」

「………。」

「さぁ、期待に応えてあげなさい。それがあなたの仕事なの。」

マリアンネはこの力を得てしまったから、聖女として動くわけではない。自身の守りたいものがあり、偶然にも力を得ることが出来たから、聖女として動くのだ。誰の為でもない、ただ自分の為だけに聖女の力を使うのだ。

救済が中途半端になってもいい。
罵られる結果になってもいい。
後悔することになってもいい。

ただ、可能性を天秤に置けばいい。

幸せの可能性――不幸の可能性。
この二つの重さを量る。
ついでに、私欲も乗せておく。

どちらに傾くかなんて考えるまでもない。
前に進め――幸せの可能性と、私欲はそこに存在している。
彼女の私欲に悪行はない。ならば幸せの可能性に寄っているはずだ。


「アタシ! 聖女として! 頑張ります!」


マリアンネはネルカに抱かれたまま、大きく手を振った。


涙を流し、それでいて笑顔で、瞳に意志を宿し――手を振った。




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