魔王の子育て日記

教祖

文字の大きさ
上 下
124 / 133
波乱

誰がために鐘は鳴る その9

しおりを挟む
 それは無意識と呼べるものだった。
 人間は意図せず身を守る行動に出ることがある。これを反射と呼び、生存本能により脳が理解するよりも先に体が動くというものだ。
 が、所詮は通常時よりも僅かに早く防御行動が起こせるというだけに過ぎない。反応速度以外は何も変わりはしない。――――それが常人であるのならば――――。
 「くっ……!?」
 女中は微かに眉を顰め飛びのいた。風通しの良くなった大腿部後面に手を当て暖かな滴を拭う。女中の手は深紅に濡れていた。
 夏輝はその様子をただ眺めていた。気が付けば膝ではなく両足で大地を踏みしめている。
 右手を見る。己の身丈はあろうかという大太刀が握られている。不思議なのはこれだけ長大でありながら、重さを感じないことだ。まるで身体の一部であろうかと思えるほどだ。
 女中に一撃を与えたのはこれなのか。こんなものどこから。
 分からない。ただ――――この機を逃すわけにはいかない。
 夏輝は奔る。太刀を右溜めに女中との距離を詰める。女中はこちらを見据えたまま動かない。
 夏輝には女中の行動などどうでもよかった。女中の身体に刃を届かせることだけが至上命題だった。あらゆる疑問もその前には無意味だ。
 足など到底届かない間合い。しかし太刀には十分すぎる必殺の間合いで夏輝は切っ先を女中の胸へ向かって突き立てた。肉を断つ確かな感触が手に伝わる。怯まず太刀を押し込めば切っ先の重さが消えた。
 夏輝は太刀から手を離すと間合いを取りつつ脇差しを抜いた。
 女中は胸に太刀を生やしたまま変わらず動かない。給仕服が胸部から深紅に染まっていく。
 一呼吸の間があった後、女中が口を開いた。
 「あなたの刃が届いた時点で私の敗北です。……まったくあの人は」
 女中の口から出た言葉は、その姿にはあまりにも不釣り合いなほど平坦なものであった。いや、二の句については感情の起伏を感じた。だがそれは敵に向けるようなものではなかった。妻から夫へ向けられた小言のような呆れの感情。それが一層その姿との乖離を産んでいる。
 「なんだと」
 「誠に不本意ですがあなたの勝ちです。間もなく元の場所に戻れます」
 女中の言葉が引き金になったのか、風景が徐々に霞み闇に溶けていく。
 「まだだ! 私はお前の首を狩る」
 「それは無理です。次に会ったときはあなたが望む前に絶命させます。それから――――」
 景色と共に霞む意識の中で女中の言葉が響いてきた。
 
 誰かの傍に居たいのなら、相手にも傍にいて欲しいと思われなければなりませんよ――――。
 
 視界は闇に覆われた。
 脈絡もない言葉。敵として相対していた者から掛けられる謂れは無いはずのそれは、夏輝の心に深く入ってきた。
 それは相手にとっての存在意義を示せということ。わたしが彼に提示できる意義――――。
 いまはただ――――魔王と戦うだけだ。それが今の私にできる唯一の行動。
 確かな決意を秘めた夏輝の視界が明ける。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

【電子書籍発売に伴い作品引き上げ】私が妻でなくてもいいのでは?

キムラましゅろう
恋愛
夫には妻が二人いると言われている。 戸籍上の妻と仕事上の妻。 私は彼の姓を名乗り共に暮らす戸籍上の妻だけど、夫の側には常に仕事上の妻と呼ばれる女性副官がいた。 見合い結婚の私とは違い、副官である彼女は付き合いも長く多忙な夫と多くの時間を共有している。その胸に特別な恋情を抱いて。 一方私は新婚であるにも関わらず多忙な夫を支えながら節々で感じる女性副官のマウントと戦っていた。 だけどある時ふと思ってしまったのだ。 妻と揶揄される有能な女性が側にいるのなら、私が妻でなくてもいいのではないかと。 完全ご都合主義、ノーリアリティなお話です。 誤字脱字が罠のように点在します(断言)が、決して嫌がらせではございません(泣) モヤモヤ案件ものですが、作者は元サヤ(大きな概念で)ハピエン作家です。 アンチ元サヤの方はそっ閉じをオススメいたします。 あとは自己責任でどうぞ♡ 小説家になろうさんにも時差投稿します。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...