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波乱
誰がために鐘は鳴る その7
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記憶は途中で途切れている。臨界まで達した怒りによるものか、或いはそれほどまでに女中に挑み続けたのか。
結論から言えば、女中の顔に変化が起きることはなかった。あらゆる剣戟は空を切り、皮長靴に阻まれ、夏輝の荒くなった息遣いだけが響くことも無く溶けていく。
「いかがしますか?」
この言葉ももう何度目だろう。息を切らし動きを止めるたびに奴はこの言葉を掛けてきた。幾度となく訪れた絶好の機会であろう瞬間に何をするわけでもなく、ただこちらを見つめるだけであった。
「なにがだ」
「まだ続けますか? という問いです。あなたが望む限りはお相手しますが」
初めて投げかけた疑問符に女中は飄々と返す。
「……止めると言ったらどうなる」
「お望みどおりに――――あなたの息の根を止めて全て終わりにして差し上げます」
「……っ」
女中の答えは分かりきっていた。それでも言葉にされることで実感する。私は終わりなき迷路に立っているのだと。
「あなたはなぜ剣を振るうのですか?」
「……なに?」
突然の問いであった。
女中は表情を変えることはない。だが、不思議にもその瞳にこれまでの侮蔑の色はなかった。ただ純粋にこちらを見据えている。
「無駄、ではないでしょうか。いままでも――――そしてこれからも。あなたが振り続けた剣に何の意味があるというのですか」
「何を言っている……?」
「この状況下であなたは何ができるのですか? あなたは私に届く刃を持っていない。赤子はここにはいない。そもそも、あなたは先程の鐘の音が何なのか理解しているのですか?」
「それが何だというんだ。私は貴様を地に伏せさせれればそれでいい」
「その後は? この地で果てるのですか」
「……っ」
夏輝は息を呑む。すでに息は整っている。それでも気管にしこりでもあるようにどこか息苦しさを覚える。
仮に女中の息の根を止めたとして、自分はあの場所に戻れるのだろうか。訳の分からぬまま得体の知れぬ空間で女中と対峙しているが、そもそもここは一体どこなんだ。そして私の目の前の女中は何者なのだ。
魔族――――古くから人間と争い、不幸の種を蒔く災いを運ぶ者。ある日突然現れ、何の非もない民を弄ぶ悪の権化。それは史実にも残る確かな事実だ。
魔族との戦いは我々にとってはまさに宿命と呼ぶべきもの。だからこそ今回の出兵は名誉だとさえ思った。一匹でも多くの魔族を屠ることこそ、私たち――――私の至上命題だ。
これまでの戦場は数は多くとも、すべては人の間の争いで生まれた物。言ってしまえば身内の小競り合いの仲裁に入っていたにすぎない。――――それに意味はあったのか。
そしてようやく目の前に現れた魔族に私はいまだ傷一つ付けることはかなわない。――――そんな私に意味はあるのだろうか。
私が振り続けてきた剣は――――その意味は――――
「うわあああああ!」
夜道の暗がりにおびえる子供のように声を上げ、夏輝は女中へ駆け寄り正中線をなぞるように剣を振るう。小細工も何もない、ただの一振り。
剣戟とも呼べぬそれは女中に一蹴され、刀は宙を舞った。
結論から言えば、女中の顔に変化が起きることはなかった。あらゆる剣戟は空を切り、皮長靴に阻まれ、夏輝の荒くなった息遣いだけが響くことも無く溶けていく。
「いかがしますか?」
この言葉ももう何度目だろう。息を切らし動きを止めるたびに奴はこの言葉を掛けてきた。幾度となく訪れた絶好の機会であろう瞬間に何をするわけでもなく、ただこちらを見つめるだけであった。
「なにがだ」
「まだ続けますか? という問いです。あなたが望む限りはお相手しますが」
初めて投げかけた疑問符に女中は飄々と返す。
「……止めると言ったらどうなる」
「お望みどおりに――――あなたの息の根を止めて全て終わりにして差し上げます」
「……っ」
女中の答えは分かりきっていた。それでも言葉にされることで実感する。私は終わりなき迷路に立っているのだと。
「あなたはなぜ剣を振るうのですか?」
「……なに?」
突然の問いであった。
女中は表情を変えることはない。だが、不思議にもその瞳にこれまでの侮蔑の色はなかった。ただ純粋にこちらを見据えている。
「無駄、ではないでしょうか。いままでも――――そしてこれからも。あなたが振り続けた剣に何の意味があるというのですか」
「何を言っている……?」
「この状況下であなたは何ができるのですか? あなたは私に届く刃を持っていない。赤子はここにはいない。そもそも、あなたは先程の鐘の音が何なのか理解しているのですか?」
「それが何だというんだ。私は貴様を地に伏せさせれればそれでいい」
「その後は? この地で果てるのですか」
「……っ」
夏輝は息を呑む。すでに息は整っている。それでも気管にしこりでもあるようにどこか息苦しさを覚える。
仮に女中の息の根を止めたとして、自分はあの場所に戻れるのだろうか。訳の分からぬまま得体の知れぬ空間で女中と対峙しているが、そもそもここは一体どこなんだ。そして私の目の前の女中は何者なのだ。
魔族――――古くから人間と争い、不幸の種を蒔く災いを運ぶ者。ある日突然現れ、何の非もない民を弄ぶ悪の権化。それは史実にも残る確かな事実だ。
魔族との戦いは我々にとってはまさに宿命と呼ぶべきもの。だからこそ今回の出兵は名誉だとさえ思った。一匹でも多くの魔族を屠ることこそ、私たち――――私の至上命題だ。
これまでの戦場は数は多くとも、すべては人の間の争いで生まれた物。言ってしまえば身内の小競り合いの仲裁に入っていたにすぎない。――――それに意味はあったのか。
そしてようやく目の前に現れた魔族に私はいまだ傷一つ付けることはかなわない。――――そんな私に意味はあるのだろうか。
私が振り続けてきた剣は――――その意味は――――
「うわあああああ!」
夜道の暗がりにおびえる子供のように声を上げ、夏輝は女中へ駆け寄り正中線をなぞるように剣を振るう。小細工も何もない、ただの一振り。
剣戟とも呼べぬそれは女中に一蹴され、刀は宙を舞った。
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