魔王の子育て日記

教祖

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波乱

誰がために鐘は鳴る

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 案の定、魔王の妄言通りに事は運ばなかった。
 相手が和解のテーブルに着くことも無く、しまいにはナイフをこちらに向けてきた。
 戦いが望みと言われてしまえば、それに応えるのが最大限の礼儀というもの。
 最大限の慈しみをもって、彼らを下そう。
 魔王は始まりの鐘を鳴らすことにした。この出会いに報いるために。彼らの行く末に幸あれと祈りを捧げるために。
 がために鐘は鳴る。
 夢を見よ。永久とわに覚めぬ幻を。
 夢に見よ。刹那に光る瞬きを。
 微睡みの中に揺蕩い、苦痛は泡沫うたかたゆ。
 朧な夢に抱かれ眠るように去れ――――。

 魔王の子守歌にも似た詠唱の後、部屋に響き渡る鐘の音。
 重々しく厳かな音色が辺りを包んだ。音色が染み渡り、余韻だけが残ったとき宵闇が部屋を覆った。

 
 鐘の音が止んだ瞬間、世界が暗転した。
 黒光りする黒石も、それを照らす吊り下げ灯も、眼前に立つ仇とそれを守る邪魔な女も全てが黒に染まる。
 強張る身体を理性で動かし、背後の大剣を抜いた。絶え間なく視界を張り巡らせ、次の動きを待った。
 どれだけそうしていただろうか。さすがの強靭な首も徐々に疲労が蓄積してきた頃、視界が開けた。
 頭上を覆うのは空だった。星が瞬き、月が浮かんだ曇りなき夜空の下に総雲は一人立っていた。
 辺りに広がる草原の緑が風に靡いてさながら水面を見ているようだ。懐かしく、遠しく、忌まわしい光景に息を呑む。その場所は彼と共に駆けた戦場を思わせた。
 「ここは――――」
 思わず言葉が漏れる。
 「懐かしいですね」
 不意に掛けられた声に振り向きざまに切っ先を向けた。そこには赤髪の女中の姿があった。
 女中は空を見上げたまま、こちらを見る様子はない。
 「あの時のあなたは荷台で運ばれてましたから、こうやって話すのは初めてですね」
 女中は初めてこちらを見た。あの日の姿が重なる。
 うねる炎の中で背筋が凍るほど冷たい目をした彼の仇。口元には微笑を浮かべているが間違いない。あの目だ。
 「なぜ、私たちの言葉が話せる」
 「主様のお陰です。あの方の力が及ぶ範囲では言語の垣根など存在しません。最も深い精神世界で意思の疎通を図ることができるのです」
 「……そうか。なら話が早い。私は貴様を殺す。その為に来た」
 もはや驚くことはなかった。あの戦場を目の当たりにした瞬間から、目に映る光景こそが現実であることを痛感した。
 目の前にはあの日から探し求めた彼の仇――――私の生きる理由がある。それだけで十分だ。
 この機会と巡り合うことができた、ただそれだけでこれまでの苦悩が報われる。
 「そうですか。主の計らいですから、私はあなたの望みに応えます」
 女中の髪が赤みを増していく。先端まで紅蓮に染まった髪は熱を帯び髪紐を焼き切ると、無数の鞭の如く揺らめく灼熱の凶器と化した。
 「いつでも」
 平坦に告げた女中の言葉を皮切りに、私は全霊の力で剣を振るった。
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