魔王の子育て日記

教祖

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波乱

痕跡 その3

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 『聖術の一つに術の痕跡を探り復元すると言うものがある。
  いわば、直近で使われた術を再現するというものだ。
  再現の可否や精度は術者の技量に左右されるが、実際に本来の術の詠唱を知らずとも同じ術を発動することがで           
  きる数少ない方法だ。
  だが、発動する際には問題がある。
  発動したら最後、術が構築されるまでの間中断することは適わない。
  仮に己の技量を遥かに超えた術でも、構築が終わるか、或いは辺りの聖力も己の力も使い果し、事実上術の発動    
  が不可能になるか、どちらかに至るまでは終わらない。
  場合によってはお前に危険があるかもしれない。
  だが、この術は魔術にも応用できるようだ。先の大戦の折に実証している。
  使うかどうかはお前次第だ。覚悟して使え』
 
 その言葉の後に詠唱と思われる文字が連なっていた。
 唯一最後のこの言葉と詠唱には朱墨はつけられていなかった。
 「実に回りくどい……。この言葉だけで事足りよう物を。陰に唆されたのだろうな。陽は時候の挨拶など書くような奴ではない」
 「朱雀様、これは、使えとは一体……?」
 「聖術をお使いになれるのですか?」
 総雲と村正は目を丸くして朱雀に問う。
 「ああ、大戦以降武人であろうとも最低限は聖術を身につけよ、と御上より仰せつかってな。四神は使えるように皆扱かれたのだ」
 あれはなかなか堪えた――――と、遠い目をする朱雀。
 その姿に呆気に取られる二人。
 力では適わぬ敵に対し、神への祈りを捧げ賜ったその恩寵の力で対抗する術――――聖術。
 それをこの国において武力の最高峰である人間が使えるというのだ。
 目の前にいる生き物は果たして本当に人間なのか疑う境地に達している。
 「物は試しだ。やってみるしかないだろう。魔界に行けなければ私がここまで来た意味もなくなってしまうからな」
 「っ! ですが、朱雀様の身に危険が及ぶと書かれておりました! 聖術に長けた者が各地にいると聞いております。その者たちに応援を求めてはいかがでしょうか」
 「総雲の申す通りでございます。お言葉ですが、朱雀様ほどの方を魔界へ送り出すことが最上級の危険なのです。そこまでの道程作りは他の者にお任せいただいた方が、万全の状態でご活躍いただけるかと存じますが、いかがでしょうか」
 必死に朱雀を止める二人。
 魔界で戦える数少ない戦力をこの場で失うこと以上の痛手はない。時を待ってもいいのではないか。
 その思いは朱雀には届かない。
 「悪いがそれはできない。仮にまだ赤子が生きているのならば、今この瞬間にも命を脅かされているやもしれぬ。私も所詮は人間。子供らが見たという赤子、美雪の子で間違いはないだろう。話を聞くまでは牽制程度のつもりだったが、助けられる可能性が出てしまった。本当なら魔界への門を開き、今にでもあちらへ飛び込んで行きたい。それでも万全を期さなければ、目的を達することは叶わない。魔族は甘くはない。故に最高の力を蓄え敵地に赴きたいが、今は何よりも時間が惜しい。私がやるしかない」
 兜に遮られくぐもった声のはずだが、二人には鮮明に届いていた。
 そこに、兵士の声がかかる。
 「朱雀様、こちらへお願いします!」
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