魔王の子育て日記

教祖

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ここら辺で魔王を見ませんでしたか?

母は偉大なり その7

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 「わたし、たち、ざんむ、きた、です」
 「ザンム!? へぇー! あの白の街かい」
 いいな~。白の街か~――――その言葉とともに、女店主は再び思考の世界へと旅立っていった。
 パインは人間語を独学に近い状態で学んだ。
 右も左も分からない新たな言語を学ぶためパインが頼ったのは本だった。名は「紅一点」。
 ザンムの街は、別名白の街と呼ばれ、街全体が白で統一されている。それこそ建物から舗装された街道に至るまで全て。
 パインがザンムの街を選んだのは、「紅一点」の舞台となっていたからだ。細かい描写がなされていたこの作品ならば、訪れたことのない人間に町の紹介をすることなど造作もないと考えたためだ。
 結果として、女店主はパインにザンムの話を聞くのではなく、自分の世界に行ってしまったわけだが。
 「おっといけない。そっか、いいねぇ。綺麗な街に家族水入らず」
 ようやく自分の世界から戻ってきた女店主は、取り繕ったようにパインに話を振った。
 「いいえ、そんな……? かぞく?」
 「いや、なんでそこで首傾げんの? お客さん達これから親になんだから、もっとしっかりしないと」
 「どういう、っ!」
 パインは女店主の言葉の意味を理解した。
 年頃の男と女が粉ミルクなんて探していれば、誰が見ても二人の間に子供ができたことを察するだろう。逆になんで今まで意識していなかったのか。
 女店主はパインが粉ミルクを探しに来た時点で察したのだ。二人が間も無く親になることを。
 まさか、魔界の長とそのメイドで人間の赤ん坊を育てようとしていることなど考えもつかないだろう。
 「お客さん? どうかしたのかい?」
 「い、いえ。そう、です。しっかり、する、です」
 始めは否定の言葉が頭を埋めたが、ここで否定すればややこしいことになることは必至だ。
 止むを得ずパインは魔王と仮の夫婦を装うことにした。
 「それにしても、気合入ってるねー。まだ生まれる前なのに粉ミルクまで準備しちゃって、子供も幸せねー。それもわざわざ、少し離れたザンムからだなんて、こっちで買った方が安かったの?」
 「っ! そう、です。はやい、じゅんび、したい、です。でも、おかね、やすく、したい、です。この、ひと、なんにも、かんがえる、しない、です。」
 不審に思われたかと心配しながら、話題を変えるため質問を投げた。
 「まあ、生まれる間実感なんて湧かないよ。でも、こうやって目の前に生まれてくるとさ、自然としっかりしなきゃって思うもんよ」
 女店主は背負った赤ちゃんを慈しみに満ちた表情で見つめた。
 その姿は、パインの目には理想の母に見えた。
 「なぁ~、いつになったら着くんだあ? 」
 だらけの極地に達した魔王が抗議してくる。 「どうでしょう? そろそろのような気もしますが」
 辺りを見回すパインの隣で女店主は左隣に現れた店の前で立ち止まると、二人の方を向いた。
 「さあ、お客さん着いたよ! ほんっとごめんね! しばらく歩かせちゃって」
  後ろの赤ちゃんがでんぐり返しで落ちてしまいそうなほど頭を下げるので、パインはすぐさま女店主に頭を上げさせる。
 「だいじょうぶ! です。ありがとう、です。#$%&+%&$__魔王様、着きましたよ__#」
 「やっとかー! さっさと買って帰ろうぜ」
 「そうですね」
 もううんざりだと言わんばかりの魔王に同調の意味を込めて苦笑いを一つ。
 パインも正直なところ足が重くなってきていた。
 目の前の店は思っていたよりもかなり古く、手入れはされているのだろうが、支柱にはひびが入り、屋根の端には苔が見える。
 周りの建物と比べると、この店だけ時間経過が早まる呪いにかかっているかのようだ。
 中には雑貨類があるようだが、この陽気でさえ中の様子がよくわからないほど薄暗く、じめじめとしている。
 扉はなく、露店として外に展開しておらず、正直営業しているかどうかも怪しいところだ。
 それなのに扉は開きっぱなしで、さながら魔女の家と言ったところか。
 「佐伯さーん! 豊美とよみでーす!」
 女店主は持ち前のよく通る声で、店の中に呼びかけた。
 「はーい!」
 男の声、それもかなり年季の入ったように感じるその声の主は、声に似合わず軽やかな発声で返事をした。
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