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◇第6章 「行ってきます」の代わりに◇
絶賛修行中①
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グレースに勤めるようになって、忙しくも充実した日々が続いていた。
レジを覚えると今度は試着室の案内や返品などの対応。その次は売上管理に商品の仕入れなど、こなす業務は多岐に渡り、目まぐるしくて時間があっという間に過ぎて行く。
そうして気付けば秋はとっくに終わりを告げ、道行く人は厚手のコートを身に纏い、すっかり冬の装いだ。
「まだ十七時なのに、もうこんなに暗いや」
窓の外と腕時計を見比べながら、玲旺が呟く。
十二月のロンドンは夕方にもかかわらず、完全に日は落ち、夜のような暗さだった。
「レオ、納品されたアイテムの検品は済んだ?」
「はい、いま終わったところです。あと、タグも付けておきました」
「ああ、助かるよ。丁度タグを頼もうと思っていたんだ、ありがとう。そろそろ時間だし、少し早いけど今日はもう上っていいよ」
店長が笑顔で肩をたたく。
グレースのテナントは、店員が三人もいれば十分に顧客に目が行き届く程度の広さだった。その代わり内装にはこだわっていて、クラシックな赤いダマスク模様の壁紙に、スワロフスキークリスタルを使用した豪華なシャンデリアが貴族の館を彷彿とさせる。
クリスマス仕様に飾り付けられた店内は、より一層華やかだった。
棚の商品を畳んでいたノアが、玲旺に気付いて顔を上げる。
「お疲れ様。気を付けて帰ってね」
「うん。また明日」
「あ、そうだ。レオって年越しの予定決まってる?」
急に尋ねられ、玲旺は歩きかけていた足を止めた。
「姉夫婦と過ごすつもりだけど……」
正直に答えた後、もし特別な意味を込めて誘われたらどうしようかと一瞬不安がよぎる。
「そっか。もし良かったらさ、友達がカフェを貸し切ってカウントダウンパーティーするんだけど一緒に行かない? オーリーも来るよ。フィンにも声かけてある」
オーリーもフィンも、グレースで一緒に働く同僚だ。自分だけが誘われた訳ではないことにホッとしながら、玲旺は「行こうかな」と返事した。
別に今までノアに色目を使われたことはないし、気のあるような素振りも一切ないのだから、自意識過剰だったなと玲旺は独り首をすくめる。心の中で「変に疑ってゴメン」と謝りながら、手を振ってその場を後にした。
外に出ると冷たい風が吹き抜けて、玲旺はマフラーに顔を埋めた。こんな寒い日は少し寄り道して帰ろうと、最近気に入って通っているカフェに向かう。地下にある店は味も雰囲気も良く、その割には待たずに入れるので重宝していた。
店内はまるでロールプレイングゲームに出てくる酒場のようで、濃淡のある赤いレンガの壁は所々欠けている。
思ったより混雑していたが、空いてる席を見つけ、オーダーを取ってもらうために店員の姿を探した。
「あ。今日はあの人がいる」
店内を見渡した玲旺の目に、黒髪の店員の姿が映った。普段は厨房にいるが、店が忙しい時だけホールに出てくる男性だ。黒髪に黒い瞳で、玲旺は「日本人かもしれないなぁ」と、自分と年齢が近そうなこともあり、勝手に親近感を持っていた。
その店員が玲旺の視線に気づいて、オーダーを取りにテーブルに来る。
「ご注文は?」
「ホットチョコレートお願いします」
ニコリともせずに店員はメモを取り、すぐに踵を返す。玲旺はその背中に向かって「あの」と日本語で話しかけた。
「もしかして、日本人ですか?」
無言のまま振り返った彼の表情は驚きに満ちていた。口をパクパクと二度ほど開いたが、急に声をかけられて焦っているのか言葉にならない。結局彼は何も答えないままその場を去ってしまい、玲旺は頬杖をついて「うーん」と唸った。
「呼びかけに反応したってことは、やっぱり日本人なのかな。それにしても、あんなに驚くことないのに」
気を取り直してマフラーを外し、読みかけの小説に目を落とす。少しして先ほどの店員がホットチョコレートを運んで来た。目の前に置かれたカップを見て、玲旺は「おや?」と首を傾げる。いつもは褐色のミルクチョコレートが注がれているだけだが、今日はその上にスライスされたホワイトチョコレートがたっぷり散っていた。
「いつも来てくれてるから、サービス。あと、日本語久しぶりに聞けて嬉しかった」
玲旺の疑問を察したかのように、黒髪の青年はぼそぼそと日本語で答える。怒っているような強張った表情と言ってる台詞がちぐはぐで、玲旺は思わずクスッと笑った。
「ありがとう。この店気に入ってるんだ。だから、また来るね」
青年は無言で深く頷くと、厨房へ戻っていく。
「名前くらい聞いとけば良かったかな。……まぁ次に会った時でいっか」
玲旺はホットチョコレートに口を付け、読みかけの本を再び開いた。
レジを覚えると今度は試着室の案内や返品などの対応。その次は売上管理に商品の仕入れなど、こなす業務は多岐に渡り、目まぐるしくて時間があっという間に過ぎて行く。
そうして気付けば秋はとっくに終わりを告げ、道行く人は厚手のコートを身に纏い、すっかり冬の装いだ。
「まだ十七時なのに、もうこんなに暗いや」
窓の外と腕時計を見比べながら、玲旺が呟く。
十二月のロンドンは夕方にもかかわらず、完全に日は落ち、夜のような暗さだった。
「レオ、納品されたアイテムの検品は済んだ?」
「はい、いま終わったところです。あと、タグも付けておきました」
「ああ、助かるよ。丁度タグを頼もうと思っていたんだ、ありがとう。そろそろ時間だし、少し早いけど今日はもう上っていいよ」
店長が笑顔で肩をたたく。
グレースのテナントは、店員が三人もいれば十分に顧客に目が行き届く程度の広さだった。その代わり内装にはこだわっていて、クラシックな赤いダマスク模様の壁紙に、スワロフスキークリスタルを使用した豪華なシャンデリアが貴族の館を彷彿とさせる。
クリスマス仕様に飾り付けられた店内は、より一層華やかだった。
棚の商品を畳んでいたノアが、玲旺に気付いて顔を上げる。
「お疲れ様。気を付けて帰ってね」
「うん。また明日」
「あ、そうだ。レオって年越しの予定決まってる?」
急に尋ねられ、玲旺は歩きかけていた足を止めた。
「姉夫婦と過ごすつもりだけど……」
正直に答えた後、もし特別な意味を込めて誘われたらどうしようかと一瞬不安がよぎる。
「そっか。もし良かったらさ、友達がカフェを貸し切ってカウントダウンパーティーするんだけど一緒に行かない? オーリーも来るよ。フィンにも声かけてある」
オーリーもフィンも、グレースで一緒に働く同僚だ。自分だけが誘われた訳ではないことにホッとしながら、玲旺は「行こうかな」と返事した。
別に今までノアに色目を使われたことはないし、気のあるような素振りも一切ないのだから、自意識過剰だったなと玲旺は独り首をすくめる。心の中で「変に疑ってゴメン」と謝りながら、手を振ってその場を後にした。
外に出ると冷たい風が吹き抜けて、玲旺はマフラーに顔を埋めた。こんな寒い日は少し寄り道して帰ろうと、最近気に入って通っているカフェに向かう。地下にある店は味も雰囲気も良く、その割には待たずに入れるので重宝していた。
店内はまるでロールプレイングゲームに出てくる酒場のようで、濃淡のある赤いレンガの壁は所々欠けている。
思ったより混雑していたが、空いてる席を見つけ、オーダーを取ってもらうために店員の姿を探した。
「あ。今日はあの人がいる」
店内を見渡した玲旺の目に、黒髪の店員の姿が映った。普段は厨房にいるが、店が忙しい時だけホールに出てくる男性だ。黒髪に黒い瞳で、玲旺は「日本人かもしれないなぁ」と、自分と年齢が近そうなこともあり、勝手に親近感を持っていた。
その店員が玲旺の視線に気づいて、オーダーを取りにテーブルに来る。
「ご注文は?」
「ホットチョコレートお願いします」
ニコリともせずに店員はメモを取り、すぐに踵を返す。玲旺はその背中に向かって「あの」と日本語で話しかけた。
「もしかして、日本人ですか?」
無言のまま振り返った彼の表情は驚きに満ちていた。口をパクパクと二度ほど開いたが、急に声をかけられて焦っているのか言葉にならない。結局彼は何も答えないままその場を去ってしまい、玲旺は頬杖をついて「うーん」と唸った。
「呼びかけに反応したってことは、やっぱり日本人なのかな。それにしても、あんなに驚くことないのに」
気を取り直してマフラーを外し、読みかけの小説に目を落とす。少しして先ほどの店員がホットチョコレートを運んで来た。目の前に置かれたカップを見て、玲旺は「おや?」と首を傾げる。いつもは褐色のミルクチョコレートが注がれているだけだが、今日はその上にスライスされたホワイトチョコレートがたっぷり散っていた。
「いつも来てくれてるから、サービス。あと、日本語久しぶりに聞けて嬉しかった」
玲旺の疑問を察したかのように、黒髪の青年はぼそぼそと日本語で答える。怒っているような強張った表情と言ってる台詞がちぐはぐで、玲旺は思わずクスッと笑った。
「ありがとう。この店気に入ってるんだ。だから、また来るね」
青年は無言で深く頷くと、厨房へ戻っていく。
「名前くらい聞いとけば良かったかな。……まぁ次に会った時でいっか」
玲旺はホットチョコレートに口を付け、読みかけの本を再び開いた。
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