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◇第6章 「行ってきます」の代わりに◇
郷愁
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翌日玲旺は職場に向かうため、観光地であるショッピングストリートを歩いていた。銀座に少し似てるなと感じた後、銀座がここをモデルにしたのだから当たり前かと、納得したようにポンと手を打つ。
以前は気にも留めなかった日本の面影をあちこちに探してしまい、鈍く胸を締め付けた。
カジュアルファッションブランドに、ハンバーガーショップのMの文字。意外と日本で見慣れた看板は多い。そうすると二階建ての赤いバスでさえ、どことなく日本のツアー観光バスに見えてきて困る。
暫く歩くと石造りの美しい建物が並ぶ中、一層目立つ木造建築の大きな建物が見えてきた。
そこはロンドンでも指折りの老舗百貨店で、いかにもイギリスらしい貴族的な優雅さと気品に包まれている。
吹き抜けを見上げながら、玲旺は今日から勤務する『Grace』のテナントを目指し階段を上った。
グレースは元々イギリスの企業だったものをフォーチュンが買収し、業務を拡大させて売り上げを伸ばしてきたファッションブランドだ。
玲旺はグレースの店先で開店準備中の店員と思わしき男性に、遠慮がちに声を掛ける。
「おはようございます。今日からお世話になる、楠木玲旺です」
素性を伏せるため、母の旧姓を名乗った。男性は満面の笑みで「ああ!」と玲旺の肩をたたく。
「店長から聞いてるよ。今日からよろしくね、レオ。俺のことはNoahって呼んで。とりあえず、最初はレジから覚えて貰おうかな。レジ打ちの経験はある? って、俺早口? 英語はわかる?」
「英語は大丈夫です。でもレジ打ちはちょっと自信ないかな、未経験なので。って言うか、接客自体が初めてです」
「そうなんだ」
そこで言葉を区切ったノアの顔には「じゃあ何でこの店で働こうと思ったの?」と書いてあるような気がした。
玲旺は無垢そうな顔で首を傾げてみる。この表情で切り抜けられる場面は多い。案の定、「まあいっか」とノアは二コッと笑ってからレジについての説明を始めた。
「最初は俺も隣でサポートするから、慌てなくていいよ。ここに来るお客様はみんな余裕があって寛大だから、新人にも優しいんだ」
その言葉に意気揚々と玲旺は頷く。
しかし開店後しばらく経っても、観光客が店内の商品を眺めるだけで、レジの出番はなかなか来なかった。旅先で衝動買いするには、少し値段設定が高いのだろう。
そもそもこの店のメインターゲットは観光客ではなく、ロンドン市民だ。
例えばカーディガン一枚で三万円程度の商品は、富裕層なら「この品質でこの値段は安い」と言って色違いも欲しがるし、若い女性は「これならどんな場所でも恥ずかしくない」と、選びに選んで自分に合った色を一枚だけ買っていく。
グレースの商品は、「富裕層の普段着」あるいは「庶民の勝負服」という認識が一般的に広まっている。
玲旺はレジの打ち方を脳内シミュレーションしつつ、店内の内装やノアの動きを観察しながら過ごした。
長い手足に少し赤味を帯びた茶色い髪、緑色の瞳。年の頃は二十代半ばと言ったところか。困っていそうな客にだけスッと近づき、必要な事だけアドバイスするノアの動きは洗練されていた。さすが英国紳士だなあと感心しながらノアを目で追う。
暫くすると、ようやく第一号の客が会計に訪れた。
品の良い婦人は、緊張気味にクレジットカードを受け取る玲旺を見て、「高校生かしら? 頑張ってね」と微笑ましそうに見守る。
「あー……。こう見えても実は二十二歳でして。今日からこの店で働くことになりました。今後ともよろしくお願いします」
「あら、ごめんなさい。東洋人は若く見えるって本当ね」
婦人は驚きながら商品を受け取り、颯爽と店を後にした。高校生に間違えられては、流石に少しがっくり来る。
「レオって大学生? 俺、キミと同い年の日本人の友達がいるよ。ファウンデーションコースに一年通った後に大学へ行ったから、今年やっと卒業だって」
「ああ、じゃあその人は大学から留学したのかな。それって、大学で授業を受けられる英語力と学習スキルを身に着ける準備講座みたいなやつですよね」
「レオは違うの?」
「俺は十歳でプレップ・スクールに入った後、シニアスクールに進んだので、大学は三年で卒業しました」
それを聞いたノアは腑に落ちたように頷いた。
「だからか、綺麗な英語だなって思ったんだよね。それにキミ、品があるし。まさか通っていたパブリックスクールは、ザ・ナイン?」
「いや、流石にそれこそ『まさか』ですよ」
玲旺は畏れ多くて首を横にぶんぶん振った。
以前は気にも留めなかった日本の面影をあちこちに探してしまい、鈍く胸を締め付けた。
カジュアルファッションブランドに、ハンバーガーショップのMの文字。意外と日本で見慣れた看板は多い。そうすると二階建ての赤いバスでさえ、どことなく日本のツアー観光バスに見えてきて困る。
暫く歩くと石造りの美しい建物が並ぶ中、一層目立つ木造建築の大きな建物が見えてきた。
そこはロンドンでも指折りの老舗百貨店で、いかにもイギリスらしい貴族的な優雅さと気品に包まれている。
吹き抜けを見上げながら、玲旺は今日から勤務する『Grace』のテナントを目指し階段を上った。
グレースは元々イギリスの企業だったものをフォーチュンが買収し、業務を拡大させて売り上げを伸ばしてきたファッションブランドだ。
玲旺はグレースの店先で開店準備中の店員と思わしき男性に、遠慮がちに声を掛ける。
「おはようございます。今日からお世話になる、楠木玲旺です」
素性を伏せるため、母の旧姓を名乗った。男性は満面の笑みで「ああ!」と玲旺の肩をたたく。
「店長から聞いてるよ。今日からよろしくね、レオ。俺のことはNoahって呼んで。とりあえず、最初はレジから覚えて貰おうかな。レジ打ちの経験はある? って、俺早口? 英語はわかる?」
「英語は大丈夫です。でもレジ打ちはちょっと自信ないかな、未経験なので。って言うか、接客自体が初めてです」
「そうなんだ」
そこで言葉を区切ったノアの顔には「じゃあ何でこの店で働こうと思ったの?」と書いてあるような気がした。
玲旺は無垢そうな顔で首を傾げてみる。この表情で切り抜けられる場面は多い。案の定、「まあいっか」とノアは二コッと笑ってからレジについての説明を始めた。
「最初は俺も隣でサポートするから、慌てなくていいよ。ここに来るお客様はみんな余裕があって寛大だから、新人にも優しいんだ」
その言葉に意気揚々と玲旺は頷く。
しかし開店後しばらく経っても、観光客が店内の商品を眺めるだけで、レジの出番はなかなか来なかった。旅先で衝動買いするには、少し値段設定が高いのだろう。
そもそもこの店のメインターゲットは観光客ではなく、ロンドン市民だ。
例えばカーディガン一枚で三万円程度の商品は、富裕層なら「この品質でこの値段は安い」と言って色違いも欲しがるし、若い女性は「これならどんな場所でも恥ずかしくない」と、選びに選んで自分に合った色を一枚だけ買っていく。
グレースの商品は、「富裕層の普段着」あるいは「庶民の勝負服」という認識が一般的に広まっている。
玲旺はレジの打ち方を脳内シミュレーションしつつ、店内の内装やノアの動きを観察しながら過ごした。
長い手足に少し赤味を帯びた茶色い髪、緑色の瞳。年の頃は二十代半ばと言ったところか。困っていそうな客にだけスッと近づき、必要な事だけアドバイスするノアの動きは洗練されていた。さすが英国紳士だなあと感心しながらノアを目で追う。
暫くすると、ようやく第一号の客が会計に訪れた。
品の良い婦人は、緊張気味にクレジットカードを受け取る玲旺を見て、「高校生かしら? 頑張ってね」と微笑ましそうに見守る。
「あー……。こう見えても実は二十二歳でして。今日からこの店で働くことになりました。今後ともよろしくお願いします」
「あら、ごめんなさい。東洋人は若く見えるって本当ね」
婦人は驚きながら商品を受け取り、颯爽と店を後にした。高校生に間違えられては、流石に少しがっくり来る。
「レオって大学生? 俺、キミと同い年の日本人の友達がいるよ。ファウンデーションコースに一年通った後に大学へ行ったから、今年やっと卒業だって」
「ああ、じゃあその人は大学から留学したのかな。それって、大学で授業を受けられる英語力と学習スキルを身に着ける準備講座みたいなやつですよね」
「レオは違うの?」
「俺は十歳でプレップ・スクールに入った後、シニアスクールに進んだので、大学は三年で卒業しました」
それを聞いたノアは腑に落ちたように頷いた。
「だからか、綺麗な英語だなって思ったんだよね。それにキミ、品があるし。まさか通っていたパブリックスクールは、ザ・ナイン?」
「いや、流石にそれこそ『まさか』ですよ」
玲旺は畏れ多くて首を横にぶんぶん振った。
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