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◇第5章 愛してはいけない◇
せめてもの餞①
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桜華大に着いてもまだ玲旺からの電話はなく、大学のすぐ側にあるコインパーキングに車を停め、久我は歩いて正門前へ向かった。
まだ暑さは残っていたが、吹く風はどことなく乾燥していて秋を思わせる。
時計に目をやると、間もなく十三時になろうとしていた。午後からの講義を受ける学生たちがぞろぞろと門を通り過ぎていく。場違いなスーツ姿でこんな所にいるせいか、ちらちら見られて居た堪れなくなった。
早く出て来いと思いながら正面玄関を睨んでいると、学生の流れに逆らうようにして玲旺がこちらに歩いてくるのが見えた。すれ違った学生は、玲旺の顔を見惚れたように振り返る。
「あ、久我さん! ごめん、今電話しようと思ってた」
玲旺がこちらに気付いて手を振った。笑顔になると、パッと辺りの雰囲気まで華やぐ。あのノーブルな風貌は、もはや才能だなと感心した。
驚くほど綺麗な顔の青年が、自分の名前を呼びながら駆け寄ってくる。
客観的に玲旺を眺め、久我は何だか不思議な気分になった。
「ただいま。なんか久しぶりだね」
あんなに酷い扱いを受けたのに、次に会って最初に放つ言葉がそれだった。
「うん。おかえり」
玲旺にとってはもう乗り越えた出来事なのか、それともなかった事にしたいのか、解らないまま玲旺のトーンに合わせる。
久しぶりに見る玲旺の顔つきが、少しだけ大人びて見えた。二週間での成長を目の当たりにし、やはり自分が玲旺の行く道を邪魔してはいけないと改めて思う。
まじまじと顔を見つめてしまい、玲旺が不思議そうに首を傾げた。慌てて目を逸らし「行こうか」と歩き出した時だった。
「え、嘘。もしかして久我センセイ?」
離れた場所から思いがけず名前を呼ばれ、久我はそちらに顔を向けた。声の主を見て、地面がぐにゃりと歪んだような感覚に襲われる。
「お前……まさか」
自分の声と思えない程、酷くしゃがれていた。
「やっぱ久我センセーだ。懐かしー、何年ぶりだろ。俺、根本だよ。覚えてる? 凄い偶然だよね。超びっくり」
見た目は良いが軽薄そうな青年が、親し気に近づいてきた。隣にいた桜華大の学生らしき女性は、「じゃ、講義始まるから」と、構内へ入っていく。
「昨日彼女の家に泊ったから、送りに来たんだよね。まぁ、ホントは仕事に行くついでなんだけど。つーか、センセー遠くからでも直ぐわかったよ。背が高いから目立つよね」
聞かれてもいないことを一方的に話す根本に、久我は不快そうに目を伏せた。玲旺は久我の変化に気付いて心配そうに袖を引く。その姿が根本には、嫉妬しているように見えたらしい。
「ごめんごめん。彼氏さん妬いちゃったね。センセーって今はその子と付き合ってんの? めっちゃイケメンじゃん。でも大丈夫? その子も実は元ノンケだったりして」
あははと根本が声をあげて笑う。本人に悪気はないようで、本気でジョークのつもりらしい。しかし久我の方は到底笑えず、一秒でも早くこの場から立ち去りたかった。
何しろ長年苛まれていたトラウマの原因は、彼なのだから。
「会社の部下だ。勘違いするな」
「えー、じゃあまた遊ぼうよ。連絡先教えて? センセイかっこいいから、連れてるとみんな羨ましがるんだよね。気が向いたらまたセック……」
根本が言い終わるよりも先に襟首を掴んで捻り上げていた。
「もう、黙れ」
古傷を抉られるよりも、関係があったことを根本の口から玲旺に聞かせてしまうことの方が、はるかに耐えられなかった。
「な、何だよ、カンジ悪っ。せっかく声かけてやったのに。超最悪」
久我の手を払うと、根本はグダグダ文句を言いながら逃げるようにその場を立ち去る。久我はうんざりしたように深く息を吐きだし、すまなそうに玲旺を振り返った。
「桐ケ谷、ごめん。俺は今日、とんでもない厄日みたい。帰りに事故でも起こして巻き込んだら大変だから、お前は電車で帰って」
「何言ってんの、一緒に帰ろうよ。車はどこ?」
玲旺は辺りを見回しコインパーキングに気付くと、そちらに向かって歩き出した。仕方なく車に玲旺を乗せ、エンジンをかける。
車を走らせて少し経った頃、助手席から玲旺が唐突に「ねえ」と声を掛けた。
「さっきの奴って、昔の恋人?」
運転中の久我は玲旺の表情を見る事が出来ないが、声から察するに不機嫌そうだった。
久我はすぐに返事をせず、唇を噛んだまま思案する。勿体ぶるつもりはないが、「恋人」と言うには少し語弊があった。
まだ暑さは残っていたが、吹く風はどことなく乾燥していて秋を思わせる。
時計に目をやると、間もなく十三時になろうとしていた。午後からの講義を受ける学生たちがぞろぞろと門を通り過ぎていく。場違いなスーツ姿でこんな所にいるせいか、ちらちら見られて居た堪れなくなった。
早く出て来いと思いながら正面玄関を睨んでいると、学生の流れに逆らうようにして玲旺がこちらに歩いてくるのが見えた。すれ違った学生は、玲旺の顔を見惚れたように振り返る。
「あ、久我さん! ごめん、今電話しようと思ってた」
玲旺がこちらに気付いて手を振った。笑顔になると、パッと辺りの雰囲気まで華やぐ。あのノーブルな風貌は、もはや才能だなと感心した。
驚くほど綺麗な顔の青年が、自分の名前を呼びながら駆け寄ってくる。
客観的に玲旺を眺め、久我は何だか不思議な気分になった。
「ただいま。なんか久しぶりだね」
あんなに酷い扱いを受けたのに、次に会って最初に放つ言葉がそれだった。
「うん。おかえり」
玲旺にとってはもう乗り越えた出来事なのか、それともなかった事にしたいのか、解らないまま玲旺のトーンに合わせる。
久しぶりに見る玲旺の顔つきが、少しだけ大人びて見えた。二週間での成長を目の当たりにし、やはり自分が玲旺の行く道を邪魔してはいけないと改めて思う。
まじまじと顔を見つめてしまい、玲旺が不思議そうに首を傾げた。慌てて目を逸らし「行こうか」と歩き出した時だった。
「え、嘘。もしかして久我センセイ?」
離れた場所から思いがけず名前を呼ばれ、久我はそちらに顔を向けた。声の主を見て、地面がぐにゃりと歪んだような感覚に襲われる。
「お前……まさか」
自分の声と思えない程、酷くしゃがれていた。
「やっぱ久我センセーだ。懐かしー、何年ぶりだろ。俺、根本だよ。覚えてる? 凄い偶然だよね。超びっくり」
見た目は良いが軽薄そうな青年が、親し気に近づいてきた。隣にいた桜華大の学生らしき女性は、「じゃ、講義始まるから」と、構内へ入っていく。
「昨日彼女の家に泊ったから、送りに来たんだよね。まぁ、ホントは仕事に行くついでなんだけど。つーか、センセー遠くからでも直ぐわかったよ。背が高いから目立つよね」
聞かれてもいないことを一方的に話す根本に、久我は不快そうに目を伏せた。玲旺は久我の変化に気付いて心配そうに袖を引く。その姿が根本には、嫉妬しているように見えたらしい。
「ごめんごめん。彼氏さん妬いちゃったね。センセーって今はその子と付き合ってんの? めっちゃイケメンじゃん。でも大丈夫? その子も実は元ノンケだったりして」
あははと根本が声をあげて笑う。本人に悪気はないようで、本気でジョークのつもりらしい。しかし久我の方は到底笑えず、一秒でも早くこの場から立ち去りたかった。
何しろ長年苛まれていたトラウマの原因は、彼なのだから。
「会社の部下だ。勘違いするな」
「えー、じゃあまた遊ぼうよ。連絡先教えて? センセイかっこいいから、連れてるとみんな羨ましがるんだよね。気が向いたらまたセック……」
根本が言い終わるよりも先に襟首を掴んで捻り上げていた。
「もう、黙れ」
古傷を抉られるよりも、関係があったことを根本の口から玲旺に聞かせてしまうことの方が、はるかに耐えられなかった。
「な、何だよ、カンジ悪っ。せっかく声かけてやったのに。超最悪」
久我の手を払うと、根本はグダグダ文句を言いながら逃げるようにその場を立ち去る。久我はうんざりしたように深く息を吐きだし、すまなそうに玲旺を振り返った。
「桐ケ谷、ごめん。俺は今日、とんでもない厄日みたい。帰りに事故でも起こして巻き込んだら大変だから、お前は電車で帰って」
「何言ってんの、一緒に帰ろうよ。車はどこ?」
玲旺は辺りを見回しコインパーキングに気付くと、そちらに向かって歩き出した。仕方なく車に玲旺を乗せ、エンジンをかける。
車を走らせて少し経った頃、助手席から玲旺が唐突に「ねえ」と声を掛けた。
「さっきの奴って、昔の恋人?」
運転中の久我は玲旺の表情を見る事が出来ないが、声から察するに不機嫌そうだった。
久我はすぐに返事をせず、唇を噛んだまま思案する。勿体ぶるつもりはないが、「恋人」と言うには少し語弊があった。
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