20 / 68
◇第2章 人の上に立つ素質◇
弟の仮面を被ろう②
しおりを挟む
久我は目を細めながら、玲旺の髪をゆっくりとすくい上げるように梳かす。髪の間を滑る指先に、玲旺は思わずうっとりしてしまった。今までこんな風に、誰かに大切そうに触れられた事など一度もない。そもそも、玲旺も誰にも気安く髪を触らせるなどしたことがなかった。
この関係性を、疑似的な兄と弟と表現するのは正しいのだろうか。もっと別の、もっと特別な呼び名があるのではないか。
だんだん息が苦しくなってくる。
先程は耐えきれずに突き放してしまったが、もうこの鳴りやまない心臓の理由を認めた方が良い気がしてきた。ずっとこうして髪を撫でていて欲しい。この暖かさを手放したくない。すがり付きたい衝動を抑えながら久我を見上げる。
しかしもう一方で、「本当にいいの?」と内側から問いかける声がした。久我は男で、自分も男で、それはつまり今までの自分の価値観を一切合切壊してしまう。
もしもこれが部屋で一人きり自問している状況だったなら、もう少し冷静でいられたのかもしれない。けれど現実には目の前に久我がいて、優しい笑みを玲旺に向けている。
胸の奥が甘く疼いた。チラチラと小さな灯が揺れているような、なんとも言えないもどかしさに包まれる。
――男とか女とか関係なく、久我が欲しい。
胸の奥に押し込めようとした本心が、幾重にも包んだ言い訳を突き破る。
いっその事、もっと距離を詰めてみようか。唇が触れそうなくらい近くに。
そうしたら久我はどんな顔をするのだろう。驚くだろうか。拒むのだろうか。
そもそも久我が同性を愛せるのかどうかもわからないが、それでもうんと困らせて、その思考の全てを自分だけで埋めてみたい。
そう思ったら居てもたってもいられず、玲旺は思い切って口を開く。
「久我さん、俺……」
瞬間、久我の表情が強張ったような気がした。
久我は玲旺の声に被せるように、「さあ、後半も頑張ろうな」と告げてサッと身をひるがえす。
早々に接客に戻った久我に置いて行かれた玲旺の脳裏に、もしかして逃げられた? という疑念がよぎる。まるで玲旺が何を言おうとしたのか察し、明らかに警戒したように見えた。
今までの久我の態度から、少なからず好意を持ってくれているのではないかと期待していた玲旺は、肩透かしを食らったような気持になった。部下と接する態度にしては距離が近いし、二人の時は敬語はいらないなんて特別扱いしてくれたのに。
やはり久我が自分に求めるポジションは、あくまでも恋人ではなく、手のかかる可愛い弟なのかと落胆する。
久我に言いそびれた言葉は行き先を失くし、胸の底に澱のように沈んでいった。それと同時に、弟でも上等じゃないかという思いも沸く。
これで良かったのかもしれない。勢いに任せて自分勝手に想いを告げ、距離を取られるくらいなら今のままの方がずっといい。
恋人じゃないなら、別れも来ない。始まっていないのだから終わりなんて来るわけがない。
今度はちゃんと、弟の仮面を被ろう。
その仮面を付けている間は、側にいる事を許される。髪や頬を撫でて甘やかして貰える。
それでいい。それだけでいい。
華やかな会場の片隅で玲旺は独り決心すると、どこも傷ついていないような顔で売り場へ戻った。
その後の久我は露骨に玲旺を避ける事もなく、いつもと変りないように見えた。相変わらず玲旺の頭を撫でたりもする。きっとこの距離なんだ、と玲旺は納得した。これ以上近づくと、恐らく遠ざけられてしまう。
撤収後に一人乗ったタクシーの中で、じれったさに思わずため息を漏らした。結ばれないのが解っていながら側にいたいと願う自分は、いつからこんなに不器用になってしまったのだろう。そもそも今までどんな恋愛をしてきたっけと、疲れた頭で考え始める。
友達付き合いに辟易していた玲旺は、上辺だけの交友関係しか持たなかった。他人に好意を持つことも、強烈に誰かを欲したこともない。
言い寄られて気が向けば一夜を共にし、そのまま二度と会わないこともあれば、何度か肌を合わせてどちらかが飽きたら離れると言う雑な終わり方しか知らなかった。
ただの自慰行為の延長だ。こんなものを恋愛とは呼べないだろう。まともな経験がないうえに、片想いが初めてという事実に打ちのめされる。
「俺って恋愛偏差値ゼロだったんだなぁ」
自己分析して途方に暮れた。
それでもこの恋は粗末にしたくない。叶わなくても失いたくないと、強く思う。
やはり久我に不用意に近づくべきではないと、改めて考えながら窓の外に目をやった。週末の二十二時などまだまだ宵の口といった具合で、繁華街は人通りも多い。コンビニや居酒屋の看板が煌々としていた。
賑やかな街並みを眺めながら、そこから隔離されたように静かな車内で、玲旺は自分で自分を抱きしめるように腕を組む。寒い訳ではないのに、どうしようもなく体が冷えていく。
恋心に気付いたその日に失恋した自分が情けなくて、流れる夜景を見ながら弱々しく笑った。
この関係性を、疑似的な兄と弟と表現するのは正しいのだろうか。もっと別の、もっと特別な呼び名があるのではないか。
だんだん息が苦しくなってくる。
先程は耐えきれずに突き放してしまったが、もうこの鳴りやまない心臓の理由を認めた方が良い気がしてきた。ずっとこうして髪を撫でていて欲しい。この暖かさを手放したくない。すがり付きたい衝動を抑えながら久我を見上げる。
しかしもう一方で、「本当にいいの?」と内側から問いかける声がした。久我は男で、自分も男で、それはつまり今までの自分の価値観を一切合切壊してしまう。
もしもこれが部屋で一人きり自問している状況だったなら、もう少し冷静でいられたのかもしれない。けれど現実には目の前に久我がいて、優しい笑みを玲旺に向けている。
胸の奥が甘く疼いた。チラチラと小さな灯が揺れているような、なんとも言えないもどかしさに包まれる。
――男とか女とか関係なく、久我が欲しい。
胸の奥に押し込めようとした本心が、幾重にも包んだ言い訳を突き破る。
いっその事、もっと距離を詰めてみようか。唇が触れそうなくらい近くに。
そうしたら久我はどんな顔をするのだろう。驚くだろうか。拒むのだろうか。
そもそも久我が同性を愛せるのかどうかもわからないが、それでもうんと困らせて、その思考の全てを自分だけで埋めてみたい。
そう思ったら居てもたってもいられず、玲旺は思い切って口を開く。
「久我さん、俺……」
瞬間、久我の表情が強張ったような気がした。
久我は玲旺の声に被せるように、「さあ、後半も頑張ろうな」と告げてサッと身をひるがえす。
早々に接客に戻った久我に置いて行かれた玲旺の脳裏に、もしかして逃げられた? という疑念がよぎる。まるで玲旺が何を言おうとしたのか察し、明らかに警戒したように見えた。
今までの久我の態度から、少なからず好意を持ってくれているのではないかと期待していた玲旺は、肩透かしを食らったような気持になった。部下と接する態度にしては距離が近いし、二人の時は敬語はいらないなんて特別扱いしてくれたのに。
やはり久我が自分に求めるポジションは、あくまでも恋人ではなく、手のかかる可愛い弟なのかと落胆する。
久我に言いそびれた言葉は行き先を失くし、胸の底に澱のように沈んでいった。それと同時に、弟でも上等じゃないかという思いも沸く。
これで良かったのかもしれない。勢いに任せて自分勝手に想いを告げ、距離を取られるくらいなら今のままの方がずっといい。
恋人じゃないなら、別れも来ない。始まっていないのだから終わりなんて来るわけがない。
今度はちゃんと、弟の仮面を被ろう。
その仮面を付けている間は、側にいる事を許される。髪や頬を撫でて甘やかして貰える。
それでいい。それだけでいい。
華やかな会場の片隅で玲旺は独り決心すると、どこも傷ついていないような顔で売り場へ戻った。
その後の久我は露骨に玲旺を避ける事もなく、いつもと変りないように見えた。相変わらず玲旺の頭を撫でたりもする。きっとこの距離なんだ、と玲旺は納得した。これ以上近づくと、恐らく遠ざけられてしまう。
撤収後に一人乗ったタクシーの中で、じれったさに思わずため息を漏らした。結ばれないのが解っていながら側にいたいと願う自分は、いつからこんなに不器用になってしまったのだろう。そもそも今までどんな恋愛をしてきたっけと、疲れた頭で考え始める。
友達付き合いに辟易していた玲旺は、上辺だけの交友関係しか持たなかった。他人に好意を持つことも、強烈に誰かを欲したこともない。
言い寄られて気が向けば一夜を共にし、そのまま二度と会わないこともあれば、何度か肌を合わせてどちらかが飽きたら離れると言う雑な終わり方しか知らなかった。
ただの自慰行為の延長だ。こんなものを恋愛とは呼べないだろう。まともな経験がないうえに、片想いが初めてという事実に打ちのめされる。
「俺って恋愛偏差値ゼロだったんだなぁ」
自己分析して途方に暮れた。
それでもこの恋は粗末にしたくない。叶わなくても失いたくないと、強く思う。
やはり久我に不用意に近づくべきではないと、改めて考えながら窓の外に目をやった。週末の二十二時などまだまだ宵の口といった具合で、繁華街は人通りも多い。コンビニや居酒屋の看板が煌々としていた。
賑やかな街並みを眺めながら、そこから隔離されたように静かな車内で、玲旺は自分で自分を抱きしめるように腕を組む。寒い訳ではないのに、どうしようもなく体が冷えていく。
恋心に気付いたその日に失恋した自分が情けなくて、流れる夜景を見ながら弱々しく笑った。
0
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~
泉南佳那
恋愛
イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!
どうぞお楽しみいただけますように。
〈あらすじ〉
加藤優紀は、現在、25歳の書店員。
東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。
彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。
短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。
そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。
人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。
一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。
玲伊は優紀より4歳年上の29歳。
優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。
店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。
子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。
その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。
そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。
優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。
そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。
「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。
優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。
はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。
そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。
玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。
そんな切ない気持ちを抱えていた。
プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。
書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。
突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。
残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
年上の恋人は優しい上司
木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。
仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。
基本は受け視点(一人称)です。
一日一花BL企画 参加作品も含まれています。
表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!!
完結済みにいたしました。
6月13日、同人誌を発売しました。
ずぶ濡れの夜
涼暮つき
BL
「その堅苦しいスーツといっしょに何もかも脱いじゃえば?
自由になりたいって思ったことない?
本当の自分になりたいって思ったことは──?」
ないといえば、それは嘘だ。
*1万文字の短編です
*表紙イラストはunkoさんに描いていただきました。
作者さまからお預かりしている大切な作品です。
イラストの無断転載・お持ち帰りを固く禁じます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる