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◇第1章 裸の王様◇
爪先まで完璧なはずの武装が
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「お前本当に何も知らないんだな。鍵が掛かってるんだから、開くわけがないだろう」
「鍵? へぇ、車ってドアに鍵掛かるんだ。じゃ、早く開けてよ」
「『早く開けてよ』じゃないだろ。何だ、さっきの態度は。どうしてもっと丁寧に人と接することが出来ないんだ」
静かだが強い非難を込めた言葉に、玲旺は一瞬目を伏せた。それでも理不尽だと思う気持ちが抑えられず、久我を睨み返す。「もしかして」と一つの可能性を思い浮かべてしまい、玲旺は震えを押さえるように自分の腕をさすった。
「あんなの我慢しろって言うのかよ。まさか、俺を生贄にして契約取るつもりだったんじゃねぇだろうな」
「そんなわけないだろ!」
久我の声がビルに反響してやたらと大きく聞こえた。
自分が利用されたのではないかと言う恐怖で、どんどん身体が冷えていく。
味方だと、弟みたいだと言ってくれたのに。
あんなに温かい手だったのに。
「見くびるなよ。そんな姑息な手段を使わなくたって、いつか必ず自分の力で契約を取ってみせる。氷雨さんはあんな風に言っていたが、優れたバイヤーなのは間違いないんだ。彼が『売れない』と判断したら、どんなに媚びたって店には置いて貰えない。だからこそ、彼に選ばれた商品には信頼性と価値がある」
玲旺の両肩に手を置き、ゆっくりと諭すように久我が続ける。
「あれは確かに氷雨さんが悪かった。機嫌なんか取らなくていいし、我慢だってしなくて良い。でも、だからと言って手を上げていい理由にはならないぞ。もっときちんとした抗議の仕方があるだろう?」
「だって」
そんなの、知らない。
言いかけて言葉を飲み込んだ。
こんなに真剣に叱られたことは初めてで、言い訳の仕方すらわからない。
今までどんな態度でいようと、玲旺に無関心な大人たちに咎められることなどなかった。例え多少の注意を受けたとしても、申し訳なさそうに目を伏せればそれで許される。
なのに久我の前では逃げ場なんてどこにもない。
「桐ケ谷。お前は、車のドアの開け方も知らない。シートも一人じゃ調整できない。そんなレベルだぞ。お前、何と戦ってるんだ? 何でそんなに怯えてるんだよ。もっと知識を身につけろ。正しい方法で自分の身を守れ」
涙が出そうだった。
自分の無知を指摘されるよりも、怯えていると気付かれてしまった事の方が恥ずかしくて仕方ない。つま先まで完璧なはずの武装が、ぽろぽろと崩れていく。
久我の言っていることは正しい。頭でわかっていても、今までの自分を否定されたようで素直に認める事が出来なかった。
「あんたみたいな人気者には解んないよ。暖かい場所しか知らないくせに!」
叫ぶように言い放つと、玲旺は大通りに向かって歩き出した。
「どこへ行くんだ」
「タクシーで帰る」
「そうか。好きにしろ」
ドアを乱暴に閉める音がした後、エンジンが掛かかる。玲旺は振り返りたいのを我慢して、そのまま歩き続けた。
久我の運転する車が玲旺を追い越し、ウインカーを出したかと思うと、あっさり大通りの流れに乗って走り去っていく。視界から遠ざかっていく車を見て、玲旺は愕然とした。
心のどこかで、何だかんだ言っても久我は自分を置いて行かずに、引き留めてくれるだろうと甘く見ていたらしい。
「馬鹿みてぇ」
期待するから失望するのだ。解りきっている事なのに。
風が吹き抜けて桜の木を揺らす。散った花びらが足元に落ち、余計に侘しい気持ちになった。
仕方なくタクシーを停めようと手を挙げた時、スマホの呼び出し音が鳴り、懲りもせずに久我だったらと願ってしまった。
無情な表示画面を見て落胆する。
発信元は藤井だった。
『玲旺様、突然申し訳ありません。久我に電話をかけてもつながらないので、玲旺様にお電話差し上げました』
「何で久我につながんねーからって、俺んとこにかけて来るんだよ」
『一緒に外回り中だと伺ったものですから。急を要するので、玲旺様の連絡先を知らないかと営業部に泣きつかれまして。トラブル発生だそうです。それで、今久我は運転中か何かで?』
まさか置き去りにされたという訳にもいかず、玲旺は「そうだけど」と口ごもりながら答える。
『でしたら、すぐに羽田空港へ向かうようにお伝え願えますか。フォーチュンの人気商品が大量に輸入されたらしいのですが、税関で真贋を確かめてほしいとの事です』
「真贋を?」
『ええ、良く出来たコピー商品の可能性もあるので、鑑定してほしいと』
通話を終えた玲旺は、捕まえたタクシーの後部座席へ身を滑り込ませる。羽田の国際線へ向かうように告げると、目を閉じた。
自社商品の偽物かどうかなんて、俺にだってきっと解る。ちゃんと仕事できるってこと、久我に証明して鼻をあかしてやろう。
――そうしたら、許してくれるかな。
瞼の裏に浮かんだ久我の驚く顔に、玲旺は口の端を上げた。
「鍵? へぇ、車ってドアに鍵掛かるんだ。じゃ、早く開けてよ」
「『早く開けてよ』じゃないだろ。何だ、さっきの態度は。どうしてもっと丁寧に人と接することが出来ないんだ」
静かだが強い非難を込めた言葉に、玲旺は一瞬目を伏せた。それでも理不尽だと思う気持ちが抑えられず、久我を睨み返す。「もしかして」と一つの可能性を思い浮かべてしまい、玲旺は震えを押さえるように自分の腕をさすった。
「あんなの我慢しろって言うのかよ。まさか、俺を生贄にして契約取るつもりだったんじゃねぇだろうな」
「そんなわけないだろ!」
久我の声がビルに反響してやたらと大きく聞こえた。
自分が利用されたのではないかと言う恐怖で、どんどん身体が冷えていく。
味方だと、弟みたいだと言ってくれたのに。
あんなに温かい手だったのに。
「見くびるなよ。そんな姑息な手段を使わなくたって、いつか必ず自分の力で契約を取ってみせる。氷雨さんはあんな風に言っていたが、優れたバイヤーなのは間違いないんだ。彼が『売れない』と判断したら、どんなに媚びたって店には置いて貰えない。だからこそ、彼に選ばれた商品には信頼性と価値がある」
玲旺の両肩に手を置き、ゆっくりと諭すように久我が続ける。
「あれは確かに氷雨さんが悪かった。機嫌なんか取らなくていいし、我慢だってしなくて良い。でも、だからと言って手を上げていい理由にはならないぞ。もっときちんとした抗議の仕方があるだろう?」
「だって」
そんなの、知らない。
言いかけて言葉を飲み込んだ。
こんなに真剣に叱られたことは初めてで、言い訳の仕方すらわからない。
今までどんな態度でいようと、玲旺に無関心な大人たちに咎められることなどなかった。例え多少の注意を受けたとしても、申し訳なさそうに目を伏せればそれで許される。
なのに久我の前では逃げ場なんてどこにもない。
「桐ケ谷。お前は、車のドアの開け方も知らない。シートも一人じゃ調整できない。そんなレベルだぞ。お前、何と戦ってるんだ? 何でそんなに怯えてるんだよ。もっと知識を身につけろ。正しい方法で自分の身を守れ」
涙が出そうだった。
自分の無知を指摘されるよりも、怯えていると気付かれてしまった事の方が恥ずかしくて仕方ない。つま先まで完璧なはずの武装が、ぽろぽろと崩れていく。
久我の言っていることは正しい。頭でわかっていても、今までの自分を否定されたようで素直に認める事が出来なかった。
「あんたみたいな人気者には解んないよ。暖かい場所しか知らないくせに!」
叫ぶように言い放つと、玲旺は大通りに向かって歩き出した。
「どこへ行くんだ」
「タクシーで帰る」
「そうか。好きにしろ」
ドアを乱暴に閉める音がした後、エンジンが掛かかる。玲旺は振り返りたいのを我慢して、そのまま歩き続けた。
久我の運転する車が玲旺を追い越し、ウインカーを出したかと思うと、あっさり大通りの流れに乗って走り去っていく。視界から遠ざかっていく車を見て、玲旺は愕然とした。
心のどこかで、何だかんだ言っても久我は自分を置いて行かずに、引き留めてくれるだろうと甘く見ていたらしい。
「馬鹿みてぇ」
期待するから失望するのだ。解りきっている事なのに。
風が吹き抜けて桜の木を揺らす。散った花びらが足元に落ち、余計に侘しい気持ちになった。
仕方なくタクシーを停めようと手を挙げた時、スマホの呼び出し音が鳴り、懲りもせずに久我だったらと願ってしまった。
無情な表示画面を見て落胆する。
発信元は藤井だった。
『玲旺様、突然申し訳ありません。久我に電話をかけてもつながらないので、玲旺様にお電話差し上げました』
「何で久我につながんねーからって、俺んとこにかけて来るんだよ」
『一緒に外回り中だと伺ったものですから。急を要するので、玲旺様の連絡先を知らないかと営業部に泣きつかれまして。トラブル発生だそうです。それで、今久我は運転中か何かで?』
まさか置き去りにされたという訳にもいかず、玲旺は「そうだけど」と口ごもりながら答える。
『でしたら、すぐに羽田空港へ向かうようにお伝え願えますか。フォーチュンの人気商品が大量に輸入されたらしいのですが、税関で真贋を確かめてほしいとの事です』
「真贋を?」
『ええ、良く出来たコピー商品の可能性もあるので、鑑定してほしいと』
通話を終えた玲旺は、捕まえたタクシーの後部座席へ身を滑り込ませる。羽田の国際線へ向かうように告げると、目を閉じた。
自社商品の偽物かどうかなんて、俺にだってきっと解る。ちゃんと仕事できるってこと、久我に証明して鼻をあかしてやろう。
――そうしたら、許してくれるかな。
瞼の裏に浮かんだ久我の驚く顔に、玲旺は口の端を上げた。
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