されど御曹司は愛を知る

雪華

文字の大きさ
上 下
4 / 68
◇第1章 裸の王様◇

人気者のお手本みたい①

しおりを挟む
 営業部のオフィスはワンフロアを丸々使っていて、広々とした空間に机がずらりと並んでいた。ちょうど真ん中あたりに部屋を区切るための観葉植物が置かれていて、そこで一課と二課に分かれているようだった。

「久我、お連れしたぞ。じゃ、後はよろしく頼むな。桐ケ谷さん、それでは失礼致します」

 教育係はこれで解放されたと言わんばかりに、軽い足取りでさっさと立ち去る。
 残された玲旺は、デスクで書類を広げる久我と呼ばれた男を見下ろした。声を掛けられたのに気付いていないのか、頬杖をついて一枚の用紙を食い入るように見つめている。

 少し長めの前髪をセンターで分け後ろに流している髪型は、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。グレーのスーツは『フォーチュン』のメンズブランドで、白いシャツと青いネクタイが良く似合っている。
 全体的にハイセンスで上品な印象だった。

「ああ、悪い。お前の経歴面白いから、思わず見入っちゃった」

 紙から視線を上げ、玲旺に向けた笑顔は屈託がなかった。賢そうなゴールデンレトリバーと言った感じで、かなり人懐っこそうだ。だがそれよりも、玲旺は他人から「お前」と言われたことに対して衝撃を受けていた。

「へぇ、桐ケ谷は年の離れたお姉さんが二人いるのか。うちは逆で、妹が二人なんだ。大学生と高校生で、とにかく賑やかでねぇ。たまに実家に帰っても俺はずっと聞き役で、正直疲れるよ」

 楽しそうに話す久我に、玲旺は瞬きを繰り返す。苗字を呼び捨てにされたのは初めてのことで、抗議も忘れるほど動揺しながら、久我の手の中にある用紙を指さした。

「ソレ、何……?」
「ああ、これか。お前が営業部に移ってくる前に、どんな奴か知っておきたくて。俺の同期に情報提供して貰ったんだよ」
「そういうのって本人のいないところで見るもんなんじゃないの? それで、ここぞって時に、その情報を武器にして使うんじゃ……」

 玲旺が言い終わらないうちに、久我は広い肩を揺らして笑いだした。

「そりゃ、同業のライバル会社にはそうするけどさ、何で味方なのに武器を用意しなきゃいけないんだよ」
「味方……」
「桐ケ谷、面白いな。俺、ずっと弟って存在に憧れてたんだよね。桐ケ谷みたいな弟がいたら、毎日楽しいんだろうなぁ」

 目を細める久我が陽だまりみたいで、玲旺は無意識に小さな笑みを返していた。温かいと感じた瞬間、直ぐに背中がヒヤッと冷たくなり、玲旺は笑顔を消して久我から目を逸らす。

 駄目だ。
 折角築き上げた高い壁を壊すな。御曹司の武装を保て。
 これ以上馴れ馴れしい態度をとられないよう、強い言葉で言い返せ。
 何をこんなに喜んでいるんだ。
 味方と言われたくらいで。弟と言われたくらいで。

「俺も……。俺も、兄貴がいたらいいのにって、ずっと思ってた」

 突き放すつもりで開いた口から、思いがけず飛び出した言葉に自分自身で驚いて赤面した。何を言ってるんだろうと、両手で口を覆う。久我は嬉しそうに椅子から立ち上がると、狼狽える玲旺の両肩を掴んだ。

「そうか! じゃあ、俺のこと兄貴だと思ってよ。俺も桐ケ谷のこと、弟だと思って可愛がるから。あ、でも仕事は甘やかさないからな。キッチリ一人前に仕込むから、覚悟しろよ」

 触れられた両肩が温かい。
 嫌だ、怖い。
 そう思う反面、ずっと寂しかったんだと思い知る。 
 
 気取らずに笑いかけてもらえることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
 だけどやっぱり離れなくちゃ。
 温かさに慣れてしまったら、二度と寒い場所には戻れなくなるから。
 
 久我を押し戻すと、玲旺は距離を取るため一歩下がった。

「近い。気安く寄るな」

 精一杯の虚勢を張って、自分より背の高い久我を睨む。それでも久我は笑顔を崩さず、今度は机の上の資料を鞄に詰め始めた。

「よし。じゃあ、外回りに行くか」
「は?」

 言うと同時に颯爽とオフィスを飛び出す久我を慌てて追いかける。一歩一歩の足運びが大きいので、玲旺は速足で付いていかねばならなかった。

 廊下で久我とすれ違うと、営業部はもちろん他部署の者まで親しみを込めて声を掛けてくる。その度に久我も相手の名を呼びながら笑顔で応えるので、社員全員の名前を覚えているのだろうかと玲旺は驚いた。

 人気者のお手本みたいだなと先を行く背中を眺めていたら、突然くるりと久我が振り返った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

切なくて、恋しくて〜zielstrebige Liebe〜

水無瀬 蒼
BL
カフェオーナーである松倉湊斗(まつくらみなと)は高校生の頃から1人の人をずっと思い続けている。その相手は横家大輝(よこやだいき)で、大輝は大学を中退してドイツへサッカー留学をしていた。その後湊斗は一度も会っていないし、連絡もない。それでも、引退を決めたら迎えに来るという言葉を信じてずっと待っている。 そんなある誕生日、お店の常連であるファッションデザイナーの吉澤優馬(よしざわゆうま)に告白されーー ------------------------------- 松倉湊斗(まつくらみなと) 27歳 カフェ・ルーシェのオーナー 横家大輝(よこやだいき) 27歳 サッカー選手 吉澤優馬(よしざわゆうま) 31歳 ファッションデザイナー ------------------------------- 2024.12.21~

視線の先

茉莉花 香乃
BL
放課後、僕はあいつに声をかけられた。 「セーラー服着た写真撮らせて?」 ……からかわれてるんだ…そう思ったけど…あいつは本気だった ハッピーエンド 他サイトにも公開しています

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

離したくない、離して欲しくない

mahiro
BL
自宅と家の往復を繰り返していた所に飲み会の誘いが入った。 久しぶりに友達や学生の頃の先輩方とも会いたかったが、その日も仕事が夜中まで入っていたため断った。 そんなある日、社内で女性社員が芸能人が来ると話しているのを耳にした。 テレビなんて観ていないからどうせ名前を聞いたところで誰か分からないだろ、と思いあまり気にしなかった。 翌日の夜、外での仕事を終えて社内に戻って来るといつものように誰もいなかった。 そんな所に『すみません』と言う声が聞こえた。

幼馴染は僕を選ばない。

佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。 僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。 僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。 好きだった。 好きだった。 好きだった。 離れることで断ち切った縁。 気付いた時に断ち切られていた縁。 辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

恋なし、風呂付き、2LDK

蒼衣梅
BL
星座占いワースト一位だった。 面接落ちたっぽい。 彼氏に二股をかけられてた。しかも相手は女。でき婚するんだって。 占い通りワーストワンな一日の終わり。 「恋人のフリをして欲しい」 と、イケメンに攫われた。痴話喧嘩の最中、トイレから颯爽と、さらわれた。 「女ったらしエリート男」と「フラれたばっかの捨てられネコ」が始める偽同棲生活のお話。

処理中です...