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◇第1章 裸の王様◇
人気者のお手本みたい①
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営業部のオフィスはワンフロアを丸々使っていて、広々とした空間に机がずらりと並んでいた。ちょうど真ん中あたりに部屋を区切るための観葉植物が置かれていて、そこで一課と二課に分かれているようだった。
「久我、お連れしたぞ。じゃ、後はよろしく頼むな。桐ケ谷さん、それでは失礼致します」
教育係はこれで解放されたと言わんばかりに、軽い足取りでさっさと立ち去る。
残された玲旺は、デスクで書類を広げる久我と呼ばれた男を見下ろした。声を掛けられたのに気付いていないのか、頬杖をついて一枚の用紙を食い入るように見つめている。
少し長めの前髪をセンターで分け後ろに流している髪型は、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。グレーのスーツは『フォーチュン』のメンズブランドで、白いシャツと青いネクタイが良く似合っている。
全体的にハイセンスで上品な印象だった。
「ああ、悪い。お前の経歴面白いから、思わず見入っちゃった」
紙から視線を上げ、玲旺に向けた笑顔は屈託がなかった。賢そうなゴールデンレトリバーと言った感じで、かなり人懐っこそうだ。だがそれよりも、玲旺は他人から「お前」と言われたことに対して衝撃を受けていた。
「へぇ、桐ケ谷は年の離れたお姉さんが二人いるのか。うちは逆で、妹が二人なんだ。大学生と高校生で、とにかく賑やかでねぇ。たまに実家に帰っても俺はずっと聞き役で、正直疲れるよ」
楽しそうに話す久我に、玲旺は瞬きを繰り返す。苗字を呼び捨てにされたのは初めてのことで、抗議も忘れるほど動揺しながら、久我の手の中にある用紙を指さした。
「ソレ、何……?」
「ああ、これか。お前が営業部に移ってくる前に、どんな奴か知っておきたくて。俺の同期に情報提供して貰ったんだよ」
「そういうのって本人のいないところで見るもんなんじゃないの? それで、ここぞって時に、その情報を武器にして使うんじゃ……」
玲旺が言い終わらないうちに、久我は広い肩を揺らして笑いだした。
「そりゃ、同業のライバル会社にはそうするけどさ、何で味方なのに武器を用意しなきゃいけないんだよ」
「味方……」
「桐ケ谷、面白いな。俺、ずっと弟って存在に憧れてたんだよね。桐ケ谷みたいな弟がいたら、毎日楽しいんだろうなぁ」
目を細める久我が陽だまりみたいで、玲旺は無意識に小さな笑みを返していた。温かいと感じた瞬間、直ぐに背中がヒヤッと冷たくなり、玲旺は笑顔を消して久我から目を逸らす。
駄目だ。
折角築き上げた高い壁を壊すな。御曹司の武装を保て。
これ以上馴れ馴れしい態度をとられないよう、強い言葉で言い返せ。
何をこんなに喜んでいるんだ。
味方と言われたくらいで。弟と言われたくらいで。
「俺も……。俺も、兄貴がいたらいいのにって、ずっと思ってた」
突き放すつもりで開いた口から、思いがけず飛び出した言葉に自分自身で驚いて赤面した。何を言ってるんだろうと、両手で口を覆う。久我は嬉しそうに椅子から立ち上がると、狼狽える玲旺の両肩を掴んだ。
「そうか! じゃあ、俺のこと兄貴だと思ってよ。俺も桐ケ谷のこと、弟だと思って可愛がるから。あ、でも仕事は甘やかさないからな。キッチリ一人前に仕込むから、覚悟しろよ」
触れられた両肩が温かい。
嫌だ、怖い。
そう思う反面、ずっと寂しかったんだと思い知る。
気取らずに笑いかけてもらえることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
だけどやっぱり離れなくちゃ。
温かさに慣れてしまったら、二度と寒い場所には戻れなくなるから。
久我を押し戻すと、玲旺は距離を取るため一歩下がった。
「近い。気安く寄るな」
精一杯の虚勢を張って、自分より背の高い久我を睨む。それでも久我は笑顔を崩さず、今度は机の上の資料を鞄に詰め始めた。
「よし。じゃあ、外回りに行くか」
「は?」
言うと同時に颯爽とオフィスを飛び出す久我を慌てて追いかける。一歩一歩の足運びが大きいので、玲旺は速足で付いていかねばならなかった。
廊下で久我とすれ違うと、営業部はもちろん他部署の者まで親しみを込めて声を掛けてくる。その度に久我も相手の名を呼びながら笑顔で応えるので、社員全員の名前を覚えているのだろうかと玲旺は驚いた。
人気者のお手本みたいだなと先を行く背中を眺めていたら、突然くるりと久我が振り返った。
「久我、お連れしたぞ。じゃ、後はよろしく頼むな。桐ケ谷さん、それでは失礼致します」
教育係はこれで解放されたと言わんばかりに、軽い足取りでさっさと立ち去る。
残された玲旺は、デスクで書類を広げる久我と呼ばれた男を見下ろした。声を掛けられたのに気付いていないのか、頬杖をついて一枚の用紙を食い入るように見つめている。
少し長めの前髪をセンターで分け後ろに流している髪型は、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。グレーのスーツは『フォーチュン』のメンズブランドで、白いシャツと青いネクタイが良く似合っている。
全体的にハイセンスで上品な印象だった。
「ああ、悪い。お前の経歴面白いから、思わず見入っちゃった」
紙から視線を上げ、玲旺に向けた笑顔は屈託がなかった。賢そうなゴールデンレトリバーと言った感じで、かなり人懐っこそうだ。だがそれよりも、玲旺は他人から「お前」と言われたことに対して衝撃を受けていた。
「へぇ、桐ケ谷は年の離れたお姉さんが二人いるのか。うちは逆で、妹が二人なんだ。大学生と高校生で、とにかく賑やかでねぇ。たまに実家に帰っても俺はずっと聞き役で、正直疲れるよ」
楽しそうに話す久我に、玲旺は瞬きを繰り返す。苗字を呼び捨てにされたのは初めてのことで、抗議も忘れるほど動揺しながら、久我の手の中にある用紙を指さした。
「ソレ、何……?」
「ああ、これか。お前が営業部に移ってくる前に、どんな奴か知っておきたくて。俺の同期に情報提供して貰ったんだよ」
「そういうのって本人のいないところで見るもんなんじゃないの? それで、ここぞって時に、その情報を武器にして使うんじゃ……」
玲旺が言い終わらないうちに、久我は広い肩を揺らして笑いだした。
「そりゃ、同業のライバル会社にはそうするけどさ、何で味方なのに武器を用意しなきゃいけないんだよ」
「味方……」
「桐ケ谷、面白いな。俺、ずっと弟って存在に憧れてたんだよね。桐ケ谷みたいな弟がいたら、毎日楽しいんだろうなぁ」
目を細める久我が陽だまりみたいで、玲旺は無意識に小さな笑みを返していた。温かいと感じた瞬間、直ぐに背中がヒヤッと冷たくなり、玲旺は笑顔を消して久我から目を逸らす。
駄目だ。
折角築き上げた高い壁を壊すな。御曹司の武装を保て。
これ以上馴れ馴れしい態度をとられないよう、強い言葉で言い返せ。
何をこんなに喜んでいるんだ。
味方と言われたくらいで。弟と言われたくらいで。
「俺も……。俺も、兄貴がいたらいいのにって、ずっと思ってた」
突き放すつもりで開いた口から、思いがけず飛び出した言葉に自分自身で驚いて赤面した。何を言ってるんだろうと、両手で口を覆う。久我は嬉しそうに椅子から立ち上がると、狼狽える玲旺の両肩を掴んだ。
「そうか! じゃあ、俺のこと兄貴だと思ってよ。俺も桐ケ谷のこと、弟だと思って可愛がるから。あ、でも仕事は甘やかさないからな。キッチリ一人前に仕込むから、覚悟しろよ」
触れられた両肩が温かい。
嫌だ、怖い。
そう思う反面、ずっと寂しかったんだと思い知る。
気取らずに笑いかけてもらえることが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
だけどやっぱり離れなくちゃ。
温かさに慣れてしまったら、二度と寒い場所には戻れなくなるから。
久我を押し戻すと、玲旺は距離を取るため一歩下がった。
「近い。気安く寄るな」
精一杯の虚勢を張って、自分より背の高い久我を睨む。それでも久我は笑顔を崩さず、今度は机の上の資料を鞄に詰め始めた。
「よし。じゃあ、外回りに行くか」
「は?」
言うと同時に颯爽とオフィスを飛び出す久我を慌てて追いかける。一歩一歩の足運びが大きいので、玲旺は速足で付いていかねばならなかった。
廊下で久我とすれ違うと、営業部はもちろん他部署の者まで親しみを込めて声を掛けてくる。その度に久我も相手の名を呼びながら笑顔で応えるので、社員全員の名前を覚えているのだろうかと玲旺は驚いた。
人気者のお手本みたいだなと先を行く背中を眺めていたら、突然くるりと久我が振り返った。
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