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~ 最終章 されど御曹司は ~
春の夜の夢のごとし⑪
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父親はどうやら玲旺を探していたようで、姿を見つけるなり足を速めてこちらに近づいてきた。
「ご苦労だったな。勝って面目を保てて良かった。ここに来るまでの間にも、お前の話は何度か耳に入ったよ。どれも良い評判でホッとした」
父親は後ろに控えていた自分の秘書を振り返り、鼻高々な調子で同意を求める。秘書の樋口も、嬉しそうに肯定した。
「ええ。立派な後継者がいて羨ましいと、皆さま口を揃えておっしゃっていました。妙齢のご息女がいらっしゃる方からは、『どなたか決まった方はいるのか。いなければ是非うちの娘と一度会ってはくれないか』と、何人からも懇請されたほどです」
やはりそう言う話になるのかと、玲旺はうんざりしながら首を振る。
「全部断ってくれましたよね?」
「もちろんです」
樋口が即答したので玲旺がホッとしたのも束の間、「身上書もない状態でお話を受けたりはしませんよ」と、思わぬ方向で話が進んでいく。
「近いうちに、正式な縁談を多方面から申し込まれるでしょう。こちらで花嫁候補を絞った上で、どなたとお会いするのか、桐ケ谷本部長に選定していただきますね」
張り切る樋口を、玲旺は手のひらを前に突き出して止めた。このまま流されるわけにはいかない。
「いえ。相手がどんな名家のご令嬢でも断ってください。仕事に専念したいので、この先もずっと、誰とも結婚する気はありません」
「えっ。さ、左様でございますか」
キッパリ言い切る玲旺を前にして、樋口は驚いたように瞬きを繰り返した。玲旺の返答を聞いた父親が、明らかに不機嫌そうな顔になる。
「まだそんなことを言ってるのか。仕事に専念したいのなら、尚更身を固めた方が都合がいいだろう。それに、イベントも終わって少しは時間に余裕も出るんじゃないのか。良い話が来たら、会うだけ会ってみればいい」
悪気なく話す父親に対し、玲旺は愛想笑いも出来ずに息を吐いた。この先、何度こんなやり取りを繰り返さなければならないのだろう。
玲旺は思わず隣にいる久我を見上げた。この人以外は考えられないんだと、正直に話せたらどんなにいいか。
久我も辛そうに眉を寄せたが、直ぐに取り繕うように笑顔を浮かべる。
「社長、申し訳ありません……。この後、桐ケ谷本部長は予定がありまして。お話の途中で恐縮ですが、そろそろ失礼させて頂きます」
久我が「申し訳ありません」と告げた瞬間、まさか真実を打ち明けるのかと、玲旺の心臓が大きく跳ねた。しかし続く言葉を聞き、こんな場所で言うはずがないよなと自嘲する。
当たり前だと思う反面、少し残念に思う自分もいた。何だか酷く疲れたような、虚しい気持ちに押しつぶされる。
「心に決めた人がいるんだ」
少し自棄になったのかもしれない。気付くとそう告げていた。
父親は「やはり」と言う顔をして、玲旺に詰め寄る。
「近いうちに家に呼びなさい」
「直ぐには呼べない場所にいる。……すごく、遠い場所に」
その場しのぎの拙い嘘で、久我を不用意に傷つけてしまった。打ちひしがれる玲旺は、心の中で久我に向かってごめんと何度も繰り返す。
父親は勝手に解釈したらしく、合点がいったようにうなずいた。
「ああ、なるほど。もしかしてロンドン駐在中に出会ったのか? どんな方なんだ。身元はしっかりしているんだろうな」
なんだか水中にいるような感覚に陥り、音も視界も不明瞭でぼやける。息が苦しくて、早くこの場から立ち去りたい玲旺は、「うん」と答えて嘘を重ねた。
「今はロンドンより遠い場所にいる。でも身元はしっかりしてるよ、心配しないで。……じゃあ、俺もう行かなきゃ」
逃げるように踵を返した玲旺は、控室まで続く廊下を靴音を響かせながら足早に進んだ。
「久我さん、ごめん」
まるで泣いているように声が震える。すぐ隣で歩調を合わせてくれる久我は、玲旺の背中に手を添えた。
「謝らなくていい。仕方のないことだ。お前は間違っていないよ。何も悪くない」
そう答える久我の声も、僅かに震えていた。
「ご苦労だったな。勝って面目を保てて良かった。ここに来るまでの間にも、お前の話は何度か耳に入ったよ。どれも良い評判でホッとした」
父親は後ろに控えていた自分の秘書を振り返り、鼻高々な調子で同意を求める。秘書の樋口も、嬉しそうに肯定した。
「ええ。立派な後継者がいて羨ましいと、皆さま口を揃えておっしゃっていました。妙齢のご息女がいらっしゃる方からは、『どなたか決まった方はいるのか。いなければ是非うちの娘と一度会ってはくれないか』と、何人からも懇請されたほどです」
やはりそう言う話になるのかと、玲旺はうんざりしながら首を振る。
「全部断ってくれましたよね?」
「もちろんです」
樋口が即答したので玲旺がホッとしたのも束の間、「身上書もない状態でお話を受けたりはしませんよ」と、思わぬ方向で話が進んでいく。
「近いうちに、正式な縁談を多方面から申し込まれるでしょう。こちらで花嫁候補を絞った上で、どなたとお会いするのか、桐ケ谷本部長に選定していただきますね」
張り切る樋口を、玲旺は手のひらを前に突き出して止めた。このまま流されるわけにはいかない。
「いえ。相手がどんな名家のご令嬢でも断ってください。仕事に専念したいので、この先もずっと、誰とも結婚する気はありません」
「えっ。さ、左様でございますか」
キッパリ言い切る玲旺を前にして、樋口は驚いたように瞬きを繰り返した。玲旺の返答を聞いた父親が、明らかに不機嫌そうな顔になる。
「まだそんなことを言ってるのか。仕事に専念したいのなら、尚更身を固めた方が都合がいいだろう。それに、イベントも終わって少しは時間に余裕も出るんじゃないのか。良い話が来たら、会うだけ会ってみればいい」
悪気なく話す父親に対し、玲旺は愛想笑いも出来ずに息を吐いた。この先、何度こんなやり取りを繰り返さなければならないのだろう。
玲旺は思わず隣にいる久我を見上げた。この人以外は考えられないんだと、正直に話せたらどんなにいいか。
久我も辛そうに眉を寄せたが、直ぐに取り繕うように笑顔を浮かべる。
「社長、申し訳ありません……。この後、桐ケ谷本部長は予定がありまして。お話の途中で恐縮ですが、そろそろ失礼させて頂きます」
久我が「申し訳ありません」と告げた瞬間、まさか真実を打ち明けるのかと、玲旺の心臓が大きく跳ねた。しかし続く言葉を聞き、こんな場所で言うはずがないよなと自嘲する。
当たり前だと思う反面、少し残念に思う自分もいた。何だか酷く疲れたような、虚しい気持ちに押しつぶされる。
「心に決めた人がいるんだ」
少し自棄になったのかもしれない。気付くとそう告げていた。
父親は「やはり」と言う顔をして、玲旺に詰め寄る。
「近いうちに家に呼びなさい」
「直ぐには呼べない場所にいる。……すごく、遠い場所に」
その場しのぎの拙い嘘で、久我を不用意に傷つけてしまった。打ちひしがれる玲旺は、心の中で久我に向かってごめんと何度も繰り返す。
父親は勝手に解釈したらしく、合点がいったようにうなずいた。
「ああ、なるほど。もしかしてロンドン駐在中に出会ったのか? どんな方なんだ。身元はしっかりしているんだろうな」
なんだか水中にいるような感覚に陥り、音も視界も不明瞭でぼやける。息が苦しくて、早くこの場から立ち去りたい玲旺は、「うん」と答えて嘘を重ねた。
「今はロンドンより遠い場所にいる。でも身元はしっかりしてるよ、心配しないで。……じゃあ、俺もう行かなきゃ」
逃げるように踵を返した玲旺は、控室まで続く廊下を靴音を響かせながら足早に進んだ。
「久我さん、ごめん」
まるで泣いているように声が震える。すぐ隣で歩調を合わせてくれる久我は、玲旺の背中に手を添えた。
「謝らなくていい。仕方のないことだ。お前は間違っていないよ。何も悪くない」
そう答える久我の声も、僅かに震えていた。
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