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~ 第一章 売られた喧嘩 ~
針の穴から天を覗く③
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「なんで名前を……」
「ライジングネットの動画観ました! 今日はスーツじゃなくて私服やから、最初は違うんかなぁ思うたけど、やっぱり桐ケ谷さんですよね」
少女がはしゃいだように声を弾ませる。お目当てのパーカーの再入荷待ちが叶ったことで、先ほどまでの悲壮感はすっかり消え去っていた。
「ウチ、快晴より氷雨派なんで、桐ケ谷さんのことも応援してます。クリアデイに負けんといてくださいね」
そう言って少女が右手を差し出したので、「ありがとうございます」と、玲旺は思わずその手を取ってしまう。
機嫌良さそうに去っていく少女の後ろ姿を見送っていたら、また別の少女がレジの前に立った。カウンターに商品を置くなり、ぐっと玲旺の方に身を乗り出す。
「私とも握手してください」
「あ、えっと……」
――この流れはマズイ。
玲旺が息を飲んで固まると、黒いフリルのワンピースを着た少女は「私もフローズンレインを応援してるんです」と言葉を続けた。
先ほどの少女と握手している場面を見られている手前、彼女の申し出を断るのは筋が通らないだろう。それに、応援してくれる気持ちを無下にしたくない。
そう判断した玲旺は、笑顔で礼を述べながら握手に応じた。黒いワンピースの少女が、感激しながら握った手に力をこめる。
手を離しながら、玲旺は周囲にそっと視線を巡らせた。何人かの客がこちらに注目していて、レジに近づこうとしている気配がする。このまま握手攻めにあってしまったら、店に迷惑がかかるかもしれない。困ったなと思っていると、丁度よくスタッフに肩を叩かれた。
「部長、本社からお電話です。レジ代わりますね」
「あ、でも……」
玲旺が戸惑っていると、「ここは任せて」と言うように目配せされた。恐らく、本当は電話などかかってきていないのだろう。助け船を出してくれたスタッフに頭を下げてから、玲旺はレジのすぐ後ろにある扉を開け、バックヤードに駆け込んだ。扉を閉めた瞬間、「えー。残念」と言う客の声が店側から聞こえてくる。
段ボールを広げて商品を検品していた女性店長が、納品書に視線を向けたまま苦笑いした。
「桐ケ谷部長、大丈夫でした? 昨日の動画せいで、ちょっと有名になっちゃいましたね」
「もしかしてレジの交代は竹原さんの指示ですか? ご迷惑おかけしてすみません。助かりました」
竹原は三十代前半の華奢な女性で、緩いウェーブのかかったラベンダーアッシュ色の髪を後ろで一つに束ねていた。フローズンレインのアイテムを上手く生かし、洗練された大人のコーディネートに仕上げている。
「いえいえ、全然迷惑じゃないですよ。ただ、『握手してください』って声が聞こえて来たので、お助けした方がいいかなぁと思って。前に勤めていた店でもよくあったんです。ほら、氷雨くんがいたから」
「あぁ、渋谷のセレクトショップ」
「そうそう。彼が店に出る日は仕事にならないから、結局『お客様から氷雨に話しかけるのは禁止』ってルールを作ったんですよ。オモシロイでしょ?」
竹原は当時を思い出したのか、手を叩いてあははと笑う。中目黒店の里中もそうだが、竹原は氷雨がディレクター兼バイヤーとして勤めていたセレクトショップの元同僚だった。
フローズンレイン出店の際に、信頼できるスタッフが欲しいと引き抜いてきたのだ。
「俺も納品チェック手伝います。……あ、そう言えば先ほどお客様から、猫耳パーカーの再入荷待ちで、取り置きを承りました」
忘れないうちに報告しておこうと玲旺が竹原に告げると、「え?」と真顔で聞き返された。
「部長……それは非常にマズイです。フローズンレインは短サイクル小ロットの高回転型なんですよ。商品の再入荷なんてありません。だってその頃にはもう、次の新作が出てるんですから。お客様には申し訳ないですが、お断りしないと」
「ライジングネットの動画観ました! 今日はスーツじゃなくて私服やから、最初は違うんかなぁ思うたけど、やっぱり桐ケ谷さんですよね」
少女がはしゃいだように声を弾ませる。お目当てのパーカーの再入荷待ちが叶ったことで、先ほどまでの悲壮感はすっかり消え去っていた。
「ウチ、快晴より氷雨派なんで、桐ケ谷さんのことも応援してます。クリアデイに負けんといてくださいね」
そう言って少女が右手を差し出したので、「ありがとうございます」と、玲旺は思わずその手を取ってしまう。
機嫌良さそうに去っていく少女の後ろ姿を見送っていたら、また別の少女がレジの前に立った。カウンターに商品を置くなり、ぐっと玲旺の方に身を乗り出す。
「私とも握手してください」
「あ、えっと……」
――この流れはマズイ。
玲旺が息を飲んで固まると、黒いフリルのワンピースを着た少女は「私もフローズンレインを応援してるんです」と言葉を続けた。
先ほどの少女と握手している場面を見られている手前、彼女の申し出を断るのは筋が通らないだろう。それに、応援してくれる気持ちを無下にしたくない。
そう判断した玲旺は、笑顔で礼を述べながら握手に応じた。黒いワンピースの少女が、感激しながら握った手に力をこめる。
手を離しながら、玲旺は周囲にそっと視線を巡らせた。何人かの客がこちらに注目していて、レジに近づこうとしている気配がする。このまま握手攻めにあってしまったら、店に迷惑がかかるかもしれない。困ったなと思っていると、丁度よくスタッフに肩を叩かれた。
「部長、本社からお電話です。レジ代わりますね」
「あ、でも……」
玲旺が戸惑っていると、「ここは任せて」と言うように目配せされた。恐らく、本当は電話などかかってきていないのだろう。助け船を出してくれたスタッフに頭を下げてから、玲旺はレジのすぐ後ろにある扉を開け、バックヤードに駆け込んだ。扉を閉めた瞬間、「えー。残念」と言う客の声が店側から聞こえてくる。
段ボールを広げて商品を検品していた女性店長が、納品書に視線を向けたまま苦笑いした。
「桐ケ谷部長、大丈夫でした? 昨日の動画せいで、ちょっと有名になっちゃいましたね」
「もしかしてレジの交代は竹原さんの指示ですか? ご迷惑おかけしてすみません。助かりました」
竹原は三十代前半の華奢な女性で、緩いウェーブのかかったラベンダーアッシュ色の髪を後ろで一つに束ねていた。フローズンレインのアイテムを上手く生かし、洗練された大人のコーディネートに仕上げている。
「いえいえ、全然迷惑じゃないですよ。ただ、『握手してください』って声が聞こえて来たので、お助けした方がいいかなぁと思って。前に勤めていた店でもよくあったんです。ほら、氷雨くんがいたから」
「あぁ、渋谷のセレクトショップ」
「そうそう。彼が店に出る日は仕事にならないから、結局『お客様から氷雨に話しかけるのは禁止』ってルールを作ったんですよ。オモシロイでしょ?」
竹原は当時を思い出したのか、手を叩いてあははと笑う。中目黒店の里中もそうだが、竹原は氷雨がディレクター兼バイヤーとして勤めていたセレクトショップの元同僚だった。
フローズンレイン出店の際に、信頼できるスタッフが欲しいと引き抜いてきたのだ。
「俺も納品チェック手伝います。……あ、そう言えば先ほどお客様から、猫耳パーカーの再入荷待ちで、取り置きを承りました」
忘れないうちに報告しておこうと玲旺が竹原に告げると、「え?」と真顔で聞き返された。
「部長……それは非常にマズイです。フローズンレインは短サイクル小ロットの高回転型なんですよ。商品の再入荷なんてありません。だってその頃にはもう、次の新作が出てるんですから。お客様には申し訳ないですが、お断りしないと」
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