されど服飾師の夢を見る

雪華

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「置いて行くって……」

 戸惑う啓介の言葉を掻き消すように「なんちゃって!」と、直人は明るく言い放った。

「見学いつ行くの? 俺もついて行こうかな」
「いいけど、見学の合間に髪切ったり服見たりするから、直人にはツマンナイかもよ」
「髪切るの? わざわざ東京で?」

 うん。と頷きながら、啓介は長く伸びた自分の前髪をひと摘まみする。

「いつも髪は表参道の店で切ってもらってる。だって、最前線で戦ってる人の技術をあんなに間近で見られる機会って、そうそうないじゃない」
「お前、美容師になりたいの?」
「違うけど、なんかゾクゾクするの。職人のオーラ」
「ふーん。俺にはわかんねぇから、やっぱ行くのやめとこ」

 あまり興味がないらしく、直人のリアクションは薄かった。本音を言えば東京へは一人で行きたかったので、啓介はこっそり胸を撫で下ろす。

 直人と会話をしているあいだ、無意識に机の中に手を差し入れて、ずっと未提出の進路調査票に触れていた。
 志望校の欄には書いて消した跡がある。

『東京服飾桜華おうか大学』

 日本で最高峰の服飾専門大学。
 高三になってからでは畏れ多くて躊躇するかもしれないが、今ならまだ、ちょっとした興味本位で志望校の一つに加えていたとしても許されるだろう。
 そんな軽い気持ちだったのに、実際にその大学名を記入した途端、憧れや夢のようにふわっとしていたものが、急に現実味を帯びてきた。

 服を作るのが好きだ。
 しかしそれが直ぐに職業に結びつくほど、甘くない世界だという事くらいわかっていた。

 既製品を「もっとこんな風だったらいいのに」と、自分好みにアレンジしたのがきっかけだったように思う。
 そのうち雑誌で見かけた気に入った服を、一枚の布から再現すようになった。

 初めの頃は理想と現実がかけ離れていて、実際に出来上がった服はとても着られるような代物ではなかったが、それでも知識を身に着け、工夫を凝らし、試行錯誤していくうちに、だんだんと理想と現実の溝が埋まり始める。
 そうなればますます服作りは楽しくなって、啓介は次第に服飾の世界にのめり込んでいった。

「いつか自分がデザインした服が店頭に並んで、それを誰かが手に取ってくれたら」

 それはただの憧れで、子どもが無邪気に夢想する気楽なものだ。「いつか」は所詮、「いつか」でしかなく、ただぼんやりと思い描く素敵な未来。
 それが進路として具体的に問われた瞬間、未来は遠いものではなくすぐそこまで迫っていたと気づき、夢が夢でなくなった。

 学問で言ったら東大。
 美術や音楽だったら藝大。
 服飾なら桜華大。そんな一流校。
 世界で活躍する日本人ファッション関係者の約七割は、桜華大の卒業生だと言う。

 怖いと思ってしまった。
 自分がどの程度で、才能があるのかないのか、実力が試されることも、他人から評価されることも。

 気付くと消しゴムを手にし、その文字を消していた。うっすら残る跡をまるでなかったことにするように、都内の適当な大学名で上書きする。
 逃げてしまったと言う痛みが、ペンを伝って胸にまで届いた。何か大事なものを手放してしまったような気がする。それでももう一度、桜華大と書く勇気が持てなかった。

「本気で東京の大学視野に入れてんの?」

 急に黙り込んで苦い表情をした啓介に、直人が勘ぐるような声色で問いかけた。啓介はゆっくり体を起こし、背もたれに体重を預けながら「わかんない」と首を振る。

「行けたらいいなと思うけど、実際は難しいってちゃんと解ってるよ。一人暮らしにかかる費用考えると頭痛いし、向こうに行って自分が凡人だって思い知るのもヤだし」
「だよなぁ。簡単には行けないよな」

 直人が肯定してくれたことで、啓介の言い訳が説得力を持ってしまう。嫌だなと思うと同時に、体が沈んでいくような感覚に陥った。
 この先いつも、何かを諦めながら生きていかねばならないのだろうか。
「何とかなる」と能天気でいられるほど子どもではないが、だからといって不条理を全て受け入れられるほど大人でもない。

「でも、通えないってわかってんのに見学行くのも、なんつーか、辛くない?」
「まぁ、まだ二年生だしさ。好奇心で見に行くだけだよ。買い物のついでって感じ」

 自分で放った言葉で自分自身を納得させた。
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