拝啓、隣の作者さま

枢 呂紅

文字の大きさ
上 下
33 / 36

33.それは、ある日のSOS(前半)

しおりを挟む

 もう3年ほど前になるだろうか。

 その頃、丹原は会社でとある大型プロジェクトを任されていた。

 それは、今では珍しくもなくなったが当時は革新的だった新手法を取り入れた企画で、プロジェクトの進行は試行錯誤の連続だった。

 加えて丹原の所属する第一グループは、1名転職、1名産休、たまたまグループ長も交代、さらには古参が異動する代わりに新人が入るなど、新体制ほやほやの組織だった。

 そんな中だったからこそ丹原は気負った。主戦力となって走れるのが自分ともうひとりぐらいしかいないという状況で、プロジェクトの完遂のためには自分がどうにかしなければと、がむしゃらになって仕事に打ち込んだ。

 後にも先にもあんなに苦しかった期間はない。日々の残業はもちろんのこと、毎週のように休日出勤を繰り返した。ついに人事から止められたときは、本当はいけないと思いつつも、こっそり資料を家に持ち帰ったりした。

 そうやって朝から晩、週の頭からお尻まで四六時中仕事だけに打ち込んでいたからだろう。さすがの丹原も精神的に追い詰められていった。

 変調に気付いたのは、丹原本人ではなく姉の夏美だった。

「うっわ。冗談抜きにひっどい顔してんだけど」

 ある日急に家に押しかけてした夏実は、丹原を一目見るなり思い切り顔を顰めた。

 顔色が悪い自覚はある。なにせ寝てないからだ。しばらくまともに食事もしていない。用意するのが面倒だからというのも理由のひとつだが、そもそも食欲が失せていた。

 そうだ。あの時の自分は、いっぱいいっぱいになって体調を崩しかけていた庭野を叱る資格なんかないくらい、自分のことに無頓着になっていた。

 机に齧り付いて資料をめくりながら、丹原は突然現れた姉を胡乱な目で睨んだ。

「なに? 忙しいんだけど」

「千秋くん、いけないんだ。持ち帰り残業はダメなんだぞっ。ネットに呟いたら一発で会社が炎上するんだぞっ」

「呟かねえし。ていうか、残業じゃなくて自己啓発だし」

「はい、でました自己啓発~。明らかにソレ会社の資料なんですが~?」

 ふざけ半分にわあわあ言う姉に、丹原は顔を顰めてこめかみを押さえた。睡眠不足が祟ってか、朝から頭痛がひどかっだ。心配してくれるのはありがたいが、騒がれると頭に響く。

 姉にかまってやる暇はない。悪いが、用がないなら帰ってくれないか。

 そう文句を言ったが、逆に、無理やり夏実に部屋の外に引き摺り出された。曰く、これ以上この部屋にいたら負のエネルギーでおかしくなりそうだから、だそうだ。

 そうやって連れていかれたのは、近所のファミレスだった。昼時を外しているとは言え、やはり週末。小さな子供を連れたファミリー層や、わらわらと楽しそうな学生が多数見える。

 美人で出来る女オーラをびんびんに醸し出す大人女子、夏実は、店内である意味でかなり浮いている。そんな彼女が、なぜファミレスを行き先に選んだかといえば。

「きゃぁぁあああ! レオ様キター!! 我が君―!!」

 ランダム配布の中身を確認した夏実が、嬉々として目を輝かせる。あまりに見慣れた光景に、丹原は動じることなくチューとストローを吸った。

 夏実が眺めているのは、とあるイケメン二次元アイドルのコースターだ。このファミレスは現在アイドルアニメとのコラボ真っ最中。キャンペーン限定コラボメニューを頼むと、ランダムでオリジナルコースターがプレゼントされる。

 ファミレスの衣装を身に纏ってウィンクをするイケメンキャラをこちらに掲げて、夏実はきゃっきゃっとはしゃいだ。

「見てみてー! 顔がいい、声がいい、存在が神! ファミレスの制服もめちゃくちゃ着こなしてるんだけど!!」

 声は聞こえないだろ、コースターなんだから。

 そう突っ込みを入れたいのはやまやまだが、あんまり姉が楽しそうなので言葉を呑みこむ。かわりに丹原は、そっと目を伏せて溜息を吐いた。

「姉貴はいいよな。いつ見ても楽しそうで」

「当たり前じゃん。推しが元気で今日も元気だよ、私は。むしろ推しが元気なのにへこたれてる暇とかないよ」

「すごいじゃん。レオ様さまじゃん」

「本当だよ。推しに生かされてるよ、全オタク」

 大真面目に夏美が力説する。その表情は、本人の宣告通りひどくイキイキしている。

(……姉貴も、結構仕事きつそうな時あるんだけどな)

 まさしく人生を楽しんでいそうな夏美と、疲れ切った自分。そのギャップがあまりにひどくて、丹原はひとり頬杖をついた。

 姉はイベント関連の仕事についていて、それこそ担当している企画の前後は終電近くで会社に粘ったりと忙しそうだ。だが、丹原の知る限り、夏美が今の丹原のように精神的に弱り切った様はみたことがない。

 いや。まあ、もちろん。仕事に不満がないわけではなく、毒を吐くときはものすごく吐くのだけれども。それはそれ、これはこれ。プライベートで見る姉は、いつも楽しそうだ。

 そういえば、いつから自分は聞き役に回ったのだろう。そんなことに、ふと気が付く。

 かつては丹原もアニメやらマンガを好んで見て、同じくオタクな姉は萌え語り仲間だった。社会人になって独立しても、連絡を取り合ったり実家、外と関わらずにたまに顔を合わせていたのも、直近の『萌え』について情報交換をしていたからだ。

 それがいつの間にか丹原から伝えられる情報がなくなって、一方的に夏美の話を聞くだけになった。それでも、姉のおすすめ作品に手を出したりしていたのだけれど、最近はそれすらも出来なくなって。

 いつの間にか、何かを面白いと思うことすら難しくなって。

「……姉貴。俺、もうオタクじゃないのかも」

 気が付けば、丹原はぽつりと零していた。

 ひとり限定コラボメニューを熱心に写真を撮っていた夏美が、手を止めて目を丸くしてこちらを見ている。その突き刺さるような視線に身を縮めながら、丹原は溜息を吐くように続けた。

「何を見ても楽しくない。何を見たいとも思わない。……もう、姉貴みたいに、何かに夢中になることは出来ないのかも」



「それは違うよ」



 ばっさりと。まるで切れ味のいい刃物で一刀両断するように、夏美に切り捨てられる。

 それどころか姉は、しかりつけるように力強く胸に手を当てた。

「萌えは心の養分なのよ! オタクが、簡単にオタクから足を洗えるわけないじゃない!」

「いや、でも……」

「もちろん人間だからね、趣味趣向が変わることはあるよ? だけど千秋の場合、『楽しめなくなった』じゃなくて『楽しむ余裕がなくなった』って感じがする。それって、千秋の心がSOSをあげてるってことじゃないの?」

「っ!」

 鋭い指摘に丹原は息を呑んだ。心のSOS。そんな風に思ったことは一度もなかった。けれども余裕がない。それは、まさしく今の自分を指す言葉だ。

 黙り込んでしまった弟に、姉は呆れたように眉尻を下げた。

「ていうわけだからさ。そういうときは休むか、無理やりにでも仕事以外の何かに目を向けたほうがいいと思うわよ? 我々オタクなんだし、何かに萌え散らかすとかさ。てわけで、あとでオススメリスト送るわ。履修必須のやつ」

「え!? でも、本当に見れるかどうか……」

「つべこべ言わなーい! お姉さまにまっかせなさい!」

 そんな風にして、夏美は何やらスマホにメモを取り始めたのだった。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

処理中です...