拝啓、隣の作者さま

枢 呂紅

文字の大きさ
31 / 36

31.にやける顔がとまらない(後半)

しおりを挟む

(……っ、あー。だめ。思い出したら、またにやけてきた)

 ひとりアパートの自室で顔の半分を覆い、庭野は身もだえした。

 自分で言うのもなんだが、丹原が庭野を好きすぎる。なんなら、好きという感情が駄々洩れだ。あまりに隠せてなくて、そろそろこちらが可哀そうになるくらいに。

(いつも完璧なくせに、こんなときだけポンコツとか卑怯すぎでしょ。どこまで俺のツボをつくつもりなの、あのひと)

 己の熱を逃すために、庭野は長く息を吐き出した。

 おそらく本人が動揺している分、内心を隠せなくなっているのだろう。これまでの言動から鑑みるに、過去の恋愛対象は異性だったようだし。

 そういう意味では庭野もおあいこだ。過去に好きになった相手はすべて女性だったし、いまでもテレビや雑誌を見て魅力的だと思うのは女性だ。

 だから丹原は特別だ。そもそも、こんなにも誰かのことで頭がいっぱいになること自体はじめてで、我ながら驚いてもいる。

 最近は、気がつけば丹原を目で追ってしまうくらいで。

(まあ、先輩が可愛すぎるからいけないんだけど)

 そのようにひとり笑み崩れたとき、電話の向こうから加賀に呼ばれた。

『ポニー先生? おーい。聞こえてますー?』

「あ、ごめんなさい。何の話でしたっけ?」

『もう! 挿絵の話ですよ~』

 挿絵。その言葉に、庭野は心の尻尾を全力で振った。

 庭野の作品は、主に女性読者を対象としたライトノベルだ。レーベルによって違うのだろうが、『てんこい』を出してもらっているレーベルだと1冊につきカラーの扉絵が1ページ、モノクロの挿絵が5ページ入る。

 イラストレーターさんとは直接の面識はないが、加賀を通じてラフ画やキャラデザの段から何度かやり取りをする。その工程が、一巻の作業の時も一番楽しかった。

 なにせ頭の中で思い描いていたキャラクターや景色が、神絵師様の手で再現されていくのだ。それはもうモノ書きにとっては感涙ものだ。

 1巻の作業の時も、何度も感動に打ち震えたことを思い出し、庭野はうっとりと宙を眺めた。

「挿絵かー! ぴよ先生の神作画が、また見せていただけるなんて!」

『ぴよ先生もすごく張り切ってらっしゃいましたよ! というわけで、さっそく挿絵シーンの候補ですが……』

 その時、電話の向こうで加賀が小さくくしゃみをした。女の子らしい可愛らしいくしゃみにほっこりしつつ、庭野は眉尻を下げた。

「大丈夫ですか? もしかして具合が悪いとか……?」

『うー、少し冷えちゃっただけですよ。心配いただきありがとうございます』

 加賀の声と一緒に、電話の向こうでピッと電子音がする。電気ストーブか何かの電源を入れたのかもしれない。

 やがて電話口に戻ってきた加賀は『そういえば、』と話題を変えた。

『風邪と言えば、こわいですよね、あれ』

「あれって? 新型のウィルスのこと?」

『そうですよ!』

 きょとんと答えれば、食い気味に答えられた。

 新型ウィルスというのは、年が明け会社が始まった頃から世間を騒がせている、国外で発生した新手のウィルスだ。

 このところニュースを付けると必ずといって取り上げられており、国によっては感染者が爆発的に増えて大変なことになってるようだ。

 といっても国内の感染者はひどく限定的で、庭野はそこまで恐怖を感じていなかった。

 だが、電話の向こうの加賀はそうではないらしい。

『ポニー先生も気を付けてくださいね。お仕事、都心ですもんね。人が集まるところは要注意と言いますし……。私、最近は電車に乗るときは必ずマスクをしているんですよ』

「そうなんですか?」

『そうですとも! 企業によっては時差通勤を推奨するところも出始めているようですし、自分の身は自分で守らなくちゃ』

 加賀が、電話口で手を握りしめている様が用意に想像つく。たしか加賀は、去年の暮れに甥っ子が生まれたと喜んでいた。そういうこともあって、新型ウィルスの話題に敏感になっているのだろう。

 とはいえ。

(新手のウィルス、か……)

 先ほど朝のニュースで聞きかじった情報を思い出す。

 件のウィルスはつい先日WHOでも国際的な緊急事態とされ、海外の駐在員は帰国をするように各社が働きかけているらしい。事実は小説よりも奇なりと言うが、たしかにこれは、物語に出てきてもおかしくないくらいの異常事態だ。

『よくゾンビものとかであるじゃないですか。初めは小さな異変なのに、おかしいなって思っているうちにあっという間に事態が悪化して大パニックって』

「加賀さんは、今がそれと同じだと思うの?」

『同じとは思いませんけど、そうなったらやだなって思うわけです。ですから先生も、油断せず気を付けてくださいね。せっかく『てんこい』も2巻が発売されるんですから』

「たしかにね」

 ちょっと想像して、庭野は顔をしかめた。

 1巻の発売の時は丹原と遭遇した駅ビルの本屋はもちろん、SNSに告知をあげてくれた都内の本屋さんをこっそり巡って、自著が置いてあるのを見て喜びにむせんだものだ。もしも発売のタイミングで感染してしまったら、そういうことも出来なくなるだろう。

 そこまで考えたところで、加賀が慌てたように『あ!』と叫んだ。

『ごめんなさい! すっかり話が逸れてしまいました。で、挿絵を入れる箇所ですけど……』

「いいですね! けど、ひとつ、俺もお願いしたい箇所があって……」

 電話の目的を思い出した二人は、その後は書籍化に向けた打ち合わせに没頭する。

(そういえば、『てんこい』の2巻が発売する頃には、ウィルスのことも落ち着いていたらいいな)

 ちらりとそんな考えが頭を掠めたりもしたが、庭野はすぐに忘れてしまう。

 ――その時の自分が、何もかも甘かったのだということを思い知るのに、時間はそうかからなかった。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...