拝啓、隣の作者さま

枢 呂紅

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25.偶然と呼ぶには運命的すぎて

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 美術館を出てからも、なんのかんので二人は休日を満喫した。

 あーだこーだ感想を言いながら、美術館近くのカフェで昼食を一緒に食べたり。せっかくだからと前から気になっていた雑貨屋に行って、丹原が家のものを少しだけ買い足したり。

 あれこれ店を覗いて少し疲れたところで、本屋併設のカフェに行ったり。そこで、最近読んでみたい漫画やら観たい映画やら、ほかにも取り止めのない話題で意外と盛り上がって長居してしまったり。

 ――そして今、丹原はひとつの光景に目を奪われている。

(……随分、楽しそうに読むんだな)

 丹原の視線の先には、本をめくる庭野がいる。

 本屋の入り口から漏れ入る光に明るい髪を透かし、庭野の眼差しはまっすぐに手元の本に向けられる。その瞳は柔らかく、口元には笑みが浮かぶ。まるで宝物に触れるような指先は、大切そうにページをめくった。

「おかえり、先輩。本買えました?」

 丹原の視線に気づいた庭野が、ぱたんと本を閉じて笑顔を向ける。

 もう少し、本を読む庭野を眺めていたかった。不思議とそう残念に思いつつ、丹原は庭野の元に歩いて行った。

「おかげさまで。お前は?」

「いま、これも買おうかなって思ってたとこ。待っててくださいね。すぐ会計してきますから!」

 そう言ってレジへと走っていった庭野は、戻ってきたらズシリと重そうな紙の袋を手に下げていた。

「見ていたら色々と欲しくなっちゃって」

 照れ臭そうに舌を出した庭野は、実に楽しそうだった。

 本屋を出ると、いつの間にか太陽はビルの向こうに沈んでいて、空は薄いオレンジから淡い蒼へとグラデーションを描いている。通り沿いでは、クリスマスのイルミネーションがちらちらと瞬き出していた。

「本屋っていいですよね。俺、すっごく好きだなあ」

 適当にどこかで夕飯でも食べて帰ろうか。そう決めて店を探す道すがら、庭野はのんびり歩きながらそう言った。

「なんて言えばいいのかな。まるで冒険の入り口みたい! 表紙を捲ったら色んな世界に繋がっていて、どのドアを開くかは俺たちの自由で。そんなところにワクワクするんですよね」

「それ、俺もわかるかも」

 目を輝かせる庭野に、丹原も大きく頷いた。

「ぱらぱら捲る瞬間とかいいよな。それだけでなんとなく相性がわかるっていうか」

「ですよね! だから俺、吟味して買うなら断然紙派です」

「それな。電子版も嵩張らないしいいんだけど、どうしても決め打ち感があるよな。本屋だと事前に知らない本でも表紙買いしたりするけど」

「わー、すっごくわかります! ていうか表紙って偉大ですよね! あと店員さんのおすすめPOPとかも見てて楽しい!」

 無邪気に声を弾ませる庭野は、まるで少年のようだ。あまりに楽しげな姿に思わず吹き出してしまう。

 不思議そうな顔をする後輩に「悪いわるい」と丹原は首を振りながらも笑った。

「けどさ。お前と話してると、ほんっと本が好きなんだって伝わってきてさ。いいよな。それぐらい夢中になるものがあるって」

「あー! 先輩、また笑った!」

「からかったわけじゃないって。うらやましいだけだから」

「もー」

 軽く顔を顰めて怒ったフリをしたものの、すぐに庭野はくすくす笑い出す。そして晴れやかにイルミネーションを見やった。

「たしかに前から本は好きだったけど、今はもっと、すごく大事というか。違う意味でも、特別なものなんです」

「違う意味?」

 瞬きをした丹原に、庭野は頷いた。

「本屋さんに行くと思うんですけど……ううん。本屋さんだけじゃなくて。この世界にはたくさん物語があるでしょ。幾千、幾万、星の数ほど物語があって、毎日新しいものが生まれて。その中で、たった一つの物語と出会う。それって奇跡みたいな確率なわけで」

 つらつらと、流れるように紡がれる言葉たち。とりとめがないからこそ。とりつくろうことなく溢れてくるからこそ。それらが少しも偽りがない、庭野の本心だと伝わってくる。

 空を染める蒼が深くなる。それに比例するようにイルミネーションの黄金色が強くなる。眩い金色を背負って、庭野の瞳はゆっくりと流れて丹原へと止まった。

「そうやって物語を見つけてくれたひとがいる。そんなのもう、運命じゃんって思うんです」

 丹原は息を呑む。

 漢字で書けば二文字にしかならないその言葉が、やけに心に響く。

(……たしかに、な)

 気がつくと、丹原はふっと笑っていた。

 てんこいが発売されたあの日、本屋で庭野に会ったのも。庭野がポニーさんの正体だと知ったことも。

 三年前のあの日。ポニーさんの作品を見つけたことも。

 すべて偶然だ。けれども、偶然の一言で片付けるにはあまりに出来すぎていて。

 そういう積み重ねをすべて集めて、運命と呼ぶのかもしれない。

「運命ってまた、大きく出たな。聞いてるこっちが恥ずかしいぞ」

「へへ、すみません」

 肩を竦めてみせると、自覚はあったのか庭野が苦笑して赤い舌を覗かせる。

「だけど」

 そう続けると庭野が小首を傾げた。見上げれば、色素の薄い茶色の瞳の中でイルミネーションの灯りが踊るように揺れていた。その光に魅入られながら、丹原はくすりと笑った。

「悪くないな、それ。ちょっとだけわかる気がする」

「え?」

「俺がお前と会ったのも、きっと似たようなもんだな」

 その時、不意にかちんと庭野が固まった。きらきら王子フェイスでぽかんと惚ける庭野に、丹原はぱちくりと瞬きする。

 どうした。突然なんだ。しばらく考えて、丹原はようやく今しがたの失言に気がついた。

(な、な、な…………!)

 ぶるぶると震える背中を冷や汗が伝う。己のバカさ加減に、丹原は慄き一歩足を引いた。

(何を言ってるんだ、俺はーーー!?)

 見つけたというのは、もちろんポニーさんのことだ。三年前のあの日、偶然目に留まった作品を通じてポニーさんという推し作家と出会えたことを指して、丹原は「似たようなもの」と言ったのだ。

 だが思い出して欲しい。しつこいようだが、庭野は丹原が古参の読者だと知らない。丹原が人知れず更新を楽しみにしていることも、てんこいの書籍化を人一倍喜んだことも知らない。

 だというのに、ドヤ顔でさっきのセリフは。

(完ッッッ全に謎な勘違い野郎じゃねえか!!!!)

 聞き様によってはちょっぴり告白チックなのもいたたまれない。丹原が美女だったら、はたまた庭野が可憐な女子だったら話は違ったが、残念ながらここにいるのは男二人である。

 かぁーっと顔が熱くなるのを感じて、丹原は慌ててそっぽを向いた。

「わ、悪い! 今のなし! 忘れてくれ」

「待って、先輩!」

 逃げそうとした手を、パシリと摑まれた。

 恐る恐る振り返れば、イルミネーションの灯りにオレンジに頬を染めて、真剣な顔でこちらを見つめる庭野がいて。

「俺もそう思うから。先輩と会えたの、運命だと思ってるから!」

「庭野……?」

「だから、俺……!」

 ぎゅっと、手首を摑む庭野の手が強くなる。

 庭野の薄い茶色の瞳と、丹原の青みがかった黒い瞳が交錯する。見たことのない後輩の表情に――まるで胸の底から湧き出すものに突き動かされたかのような顔に、丹原は目を逸らすことができない。

(なんだ?)

 魅入られたように見つめながら、丹原はゆっくり瞬きする。

 お前は俺に、何を伝えようとしている?

 ――だがその時、チリリンと軽快なベルが鳴り響いた。

「ごめんねー、通りまーす」

「っ、すみません!」

 気の良さそうな自転車のお爺さんに、二人は我に返って慌てて道の端に寄った。その拍子に、庭野の手も解けてしまう。

「ありがとねー」とお爺さんは笑顔で自転車を漕ぎ、通り過ぎていく。残されたのは、奇妙なむず痒さだけだった。

(……え? なんだ? なんだったんだ、いまの空気?)

 ちらりと庭野を窺えば、向こうは向こうで混乱したようにチラチラとこちらを見てる。バチっと視線がぶつかった途端、二人はばっと顔を逸らしあった。

(なんだ、この空気!?!?)

 ほぼ同時に、二人揃って内心で叫んだことを、丹原と庭野は互いに知らない。

「…………あ! 先輩! 俺、焼き鳥食べたい!」

 取ってつけたように庭野がそんなことを言い出す。話題の変え方が不自然すぎるが、丹原は全力でそれに乗っかった。

「いいな、焼き鳥! 確か前に、部長おすすめの店がこのあたりにあったような!」

「俺も聞いたことあります! よーし、検索しちゃいますよ!」

 妙にノリノリに、二人して焼き鳥屋を探し出す。

 そうやって互いに、一瞬流れてしまった甘い空気をどうにかしようと必死に誤魔化したのだった。
 
 
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