拝啓、隣の作者さま

２４．妄想して何がわるい

　１２月７日土曜日。

　待ち合わせ場所に到着した丹原は、腕時計を見やった。

　時刻は１０時４０分。待ち合わせの１１時よりだいぶ早くついてしまった。

（うっかり寝坊でもして遅刻したら、この先庭野になんていじられるかわかったもんじゃないからな）

〝やーい！　先輩の寝坊助さーん！〟

　嬉々としてはしゃぐ庭野を想像し、丹原は口をへの字にした。――いや。実際にはそんな小学生みたいな煽り方しないかもしれないが、とにかく弱みは作りたくなかったのである。

　その時、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

「あれー？　もう来てたんですか？」

　つられて振り向けば、やはりというか庭野がいた。

　柔らかなアイボリーのハイネックにさらりとコートを羽織り、細身のズボンを合わせた、綺麗めだがカジュアルなスタイルだ。おかげで、会社で見るよりもさらに少女漫画のヒーロー感が増している。

　そんな庭野が、目を丸くしながら近寄ってきた。

「結構早めに来たつもりだったんですけど……すみません、待たせちゃいました？」

「俺もさっき到着したところだ。お前こそ、待ち合わせには随分早いんじゃないか？」

「俺はその。先輩と出かけると思ったら、なんかじっとしてられなくて」

「はあ？」
　
　指で頬を掻きながら、なにやら照れくさそうに答える庭野。あまりにぽそぽそ小声で話すので、うまく聞き取れなかった。

　訝しんで問い返せば、「いえいえ、なんでもないです」と庭野に誤魔化された。

「先輩、ちゃんと来てくれたんですね。家に迎えに行かないとダメかなと思ってたんだけど」

「俺が来なかったら家に来るつもりだったのか！？　……なんにせよ、約束は約束だからな。だいたい土曜にここで待っているとか言ったのお前だろ？」

　きっかけは仕事ではないとはいえ、自分を慕ってくれている後輩との約束をすっぽかしてがっかりさせる趣味はない。

　そう丹原は呆れて腕を組んだ。すると庭野は少しだけきょとんと目を瞠ってから、やがて楽しそうにくすくすと肩を揺らして笑った。

「へへ。俺、先輩のそういう真面目なところ、かなり好きですよ」

「そりゃよかったな。行くぞ。俺の気が変わらないうちに」

「はいはーい！」

　ついと美術館に足を向けると、庭野は忠犬よろしく嬉しそうについてくる。

「先輩、私服めちゃくちゃ似合ってますねっ。ていうか俺たち双子コーデみたいですねっ」

「だあ、くっつくな！　あとお前！　あまり俺を見下ろすな！」

「えー？　先輩ちっちゃくないじゃないですか。俺の方がデカいけど」

「嫌味か！」

　そんな軽口を叩きながら、二人は美術館の中に入っていった。






「こちらから、順路に沿ってお進みください」

　順路図の描かれたパンフレットを渡され、受付のお姉さんに笑顔で送り出される。

　エントランスにかかれた企画概要に目を通しながら、丹原はのんびりと足を進めた。

（ハプスブルク家――歴代一の大貴族の数百年分のコレクションか。そりゃあ見ごたえもあるってもんだよな）

　土曜日の昼頃ということもあって人の入りも多い。比率で言うと、女性客が若干勝るだろうか。とはいえ世代も満遍なく、様々な客が入っているようにみえる。

　そうは言っても、男性二人連れという組み合わせは珍しいわけで。

「ねえ。見て見て。あのふたり」

「ほんとだ。すっごくカッコいい」

「茶髪の人は王子様みたいだし……黒髪の人、すっごく美形じゃない？」

（悪目立ちしてんじゃねえか！）

　ひそひそと。よくは聞こえないが自分たちに向けられていると思しき囁き声と、ひしひしと感じる熱い目線。

　今更ながら一緒に出掛けている相手が、会社で白王子などと呼ばれているイケメンであることを思い出す。辺りを見渡せば豪奢なドレスやらティーセットやら見ごたえのあるものばかりなのに、至宝の数々よりも目立ってやがる。

（くっそ、お前ら至宝展見に来たんだから、大人しく宝を見てろよ。誰が、動くリアル王子様見て楽しめって言ったよ……）

　あちこちから乱れ飛ぶ熱い眼差しに、丹原は肩身も狭く舌打ちする。――ちなみに熱い視線が飛んでいるのは庭野のせいだけではなく、丹原自身もがっつり女性陣の心を摑んでしまっているのだが、本人は気づいていない。

　と、丹原がどこか居心地の悪い思いをしている一方で、一緒にいる庭野は実に天真爛漫だ。

「先輩、見て見て！　これ、めちゃくちゃゲームとか出てきそう！」

「お前はお前で楽しそうだな！？」

　辺りを気にする丹原をよそに、庭野は無邪気に腰をかがめて展示品を覗き込んでいる。今見ているのは、まるで動物の鍵爪のような形をした金の杯だ。

「だってこれ使いにくそうじゃないですか。すぐ倒れそうだし。けど王様とかが持ってたらめちゃくちゃかっこよくありません？　女帝とか。これで飲みながらどんな会話をしたんだろうって想像すると、いくらでも滾っちゃいますよね！」

「は……」

　早口にまくしたてられ、呆気に取られてしまう。すると丹原の戸惑いが伝わったのか、庭野は我に返ったように慌てだした。

「あ、ごめんなさい！　俺、美術館来るといつもこんな感じで。前の彼女にも、それでフラれちゃったんです。妄想ばっかで意味わかんないって」

　頬を指で掻いて、庭野は苦笑する。その姿に丹原ははっと思い出した。

〝ポニーさん興味あると思うのよね。ほら。小説の参考になるかもだし〟

　姉の言葉が脳裏に蘇る。あの時はそこまで響かなかったが、実際に庭野と美術館に来てみてわかった。たしかに庭野は、美術館で見たことを創作の糧にしている。

　いや。きっと美術館だけではない。庭野の家にあった無数の資料本だけではなく、読んだ本も、見たドラマや映画も。美術館、ニュース、他人から聞いた噂。そのほかにも見聞きした様々なものが、庭野の想像をかき立てているのだ。

「なんだそれ。意味わかんねえな」

　気が付くと、丹原も庭野に倣って腰をかがめていた。残念ながら、金杯を見つめても何も物語は生まれてこない。だからこそ。

「妄想も、面白ければ作品だろ？」

　『妄想』のおかげで、毎日楽しませてもらっている自分が言うんだから間違いない。そのように胸の中で強く思いながら、丹原は断言する。

「……先輩」

　庭野はしばらく目を丸くして固まっていた。やがて、不意に目を逸らすと、なぜだか髪をガシガシと掻き始めた。

「あー……もう。ほんと、先輩はズルいなあ」

「何が？」

「ううん！　こっちの話！」

　ふふっと笑って庭野は立ち上がる。そして、促すように丹原の肩に手を置いた。

「行こ、先輩！　コレクションは、まだまだたくさんあるよ！」

「ん？　あ、ああ」

　何やらご機嫌な庭野に、丹原はとりあえず頷く。

　意味はわからないが、推し作家が元気なのはいいことだ。

「あ、見て！　あの絵とか、なんかめちゃくちゃ呪われてそー！」

「どういう思考回路してたら、儚げな美女から呪いが出てくるんだ」

「それはね、このブローチがね……」

　――その後も、目に飛び込んでくるコレクションを次々指さしては、庭野は思いついた『設定』を楽しげに語ってくる。

　そんな後輩に付き合っていたら、丹原は思っていた数倍も、展示会を楽しんでしまったのであった。