拝啓、隣の作者さま

枢 呂紅

文字の大きさ
上 下
23 / 36

23.うっかり断れなかった約束

しおりを挟む
『美術館のチケットいらない?』

 姉の夏美から連絡がきたのは、年の瀬が迫る12月のはじめだった。

 告げられた美術展の名を、丹原は思わずオウム返しした。

「ハプスブルクの至宝展?」

『そう! 仕事でもらったからあげるわ。私行かないし』

「いや、俺も行かないよ?」

 さも、行くでしょ?と言いたげな姉に、冷静に突っ込みを入れる。

 興味がないわけではないが、チケットを譲り受けてまで行きたいかというと話は別だ。けれども夏美は、電話の向こうで飄々と続けた。

『あんたじゃなくて庭野君のためよ。一緒に行きなさいよ、あの子と』

「は? なんで庭野?」

『ポニーさん興味あると思うのよね。ほら。小説の参考になるかもだし』 

 そうか?と思わず足を止めて、スマホ相手に首を傾げてしまう。すると夏実は、やたら自信満々に続けた。

『ほら、前に言ってたじゃない。庭野くんの部屋に、色んな分野の参考文献があったって。歴史ってネタの宝庫じゃない? こういう展示会も、絶対興味あると思うのよね!』

 結局夏美に押し切られ、後日丹原は美術館のチケットを受け取った。

 ハプスブルクの至宝展は、その名の通り、歴史で栄華を誇ったハプスブルク家の絵画や工芸品、武具に至るまで特別に集めた期間限定の企画展だ。

 テレビでも紹介されていたが、かなり見ごたえのある人気の展覧会だ。少しでも世界史を齧ったことがあれば楽しめる内容だろう。

 だからといって、会社の後輩と一緒に行くかというと話は別で。

「……庭野と行って来いって言われてもな」

 財布に忍ばせたチケットを覗き、丹原を考え込む。夏美がくれたチケットは二枚。庭野に一枚だけ渡しても余るわけだけど、一緒に行くのはなんか違う気がする。

 といって自分が持っていても、ひとりでは行かない気がする。しばらく考えて、二枚とも庭野に渡してしまおうという結論に至った。

 そんなある時、ちょうど休憩室で庭野と二人きりになるタイミングがあった。さっそく丹原は、財布からチケットを出して庭野に見せた。

 庭野の食いつきは、思ったより良かった。

「うわーー! ハプスブルクの至宝展じゃないですか! 六本木でやってるやつですよね? 俺、めちゃくちゃ行きたかったんです!」

 きらきらと目を輝かせる庭野に、若干圧されてしまう。とはいえ、喜んでもらえるなら良かった。姉にもらったチケットも、心から望む人間の手に渡って本望だろう。

 ほっとしつつ、丹原は二枚とも庭野に渡そうとした。だがその前に、期待たっぷりに庭野に聞かれてしまった。

「いつ行きます? 先輩、今度の土曜日って暇ですか?」

「は?」

「え?」

 真顔で聞き返したら、純真無垢な一点の曇りもない瞳で問い返されてしまった。しばらく見つめあってから、コホンと咳払いをして丹原から口を開いた。

「えっと……。え? 一緒に行くのか?」

「だって2枚ありますよ、これ?」

 確認のために聞けば、こてんと首を傾げられてしまう。

 いや。だからなんで、一緒に美術館に行くことにこれっぽっちも疑問を抱かないんだ。そのように戦慄しつつ、丹原は気を取り直して説明した。

「2枚ともお前にやろうと思ってたんだ。俺はたぶん行かないし」

「えー! 一緒に行きましょうよ!」

 妙に食い下がられてしまった。

「や、だからそこまで興味ないんだって」

「なんでですか? 先輩、美術館嫌いとか?」

「嫌いってわけじゃないけど」

「じゃあ、行ってみましょうよ! 行ってみたら、案外楽しいかもしれないし!」

(ぐいぐいくるな!?)

 なぜか一緒に行きたがる庭野があんまりに熱心なので、丹原はうっかり押し切られてしまいそうになる。

 けれども冷静に考えて、週末に男二人で、それも会社の後輩と美術館に行くのはなんとなく抵抗がある。だから丹原は、チケットを二枚とも押し付けようとした。

「一人で行くのが嫌なら、興味がある誰かを誘えばいいだろ。とにかく、これはやるから。どうせ貰い物だし、好きに使ってくれ」

「――うん。だから、好きに使う」

 立ち去りかけた丹原の手が、後ろから摑まれる。何気なく振り返れば、驚くほど近くに庭野のきらきらフェイスがあった。

(う、わ……っ)

「土曜日の11時。美術館前で待ち合わせ。どう?」

「へ?」

 はっと我に返って確認すると、摑まれた手にチケットを一枚握らされている。慌てて返そうとするが、庭野はにこにこと笑みを浮かべてさっと丹原の手を逃れた。

「じゃあね、先輩! 俺、待ってますから!」

「は? あ、おい、庭野!?」

 丹原の制止も虚しく、庭野は爽やかに手を振りながらさっさと休憩室を出て行く。置いてけぼりをくらった丹原は、ひとり地団駄を踏むのを我慢していた。

(庭野の奴! 俺相手に、無駄にイケメンオーラ振りまくなよ!)

 庭野に関心を抱くようになってから知ったことだが、庭野は女性社員の人気が高い。

 すらりと背高のスタイル抜群のシルエットや、まるで少女漫画のヒーローのような人懐っこくも甘い顔の作り。ふわふわと柔らかそうな髪質と、明るい瞳。

 そうしたビジュアルから、庭野は裏でこっそり白王子と呼ばれているらしい。

 忠犬よろしく駆け寄ってくる姿や、少年のようにきらきらと目を輝かせた無邪気な表情。そっちの印象が強いせいで、丹原なんかは「あの庭野が王子?」と首を傾げていたが、さっきの庭野は確かに王子だった。白王子だった。

(うっかりトキめいちまったじゃねえか! ああ、調子狂う……!)

 なんということか。度を越したイケメンオーラは、性別の壁をも超えてしまうらしい。

 ガシガシと髪をかきむしって、頭の中から庭野のきらきらフェイスを追い出そうとする。

 ――ちなみに。

 庭野の「白王子」のあだ名は、丹原の「黒王子」のあだ名と対になってつけられたものだということや。最近、黒王子と白王子が頻繁に一緒にいるところが社内で目撃されることで、密かに一部の女性社員の胸をときめかせていることなど。
 
 丹原も知らない事実がいつくかあったりするのだが、それはまた別の話だ。

「土曜日11時……ね。あいつ、本気か?」

 コーヒーを飲んだりしてようやく落ち着いた頃。丹原は改めて、手の中のチケットを見た。

 もしかしたら冗談かも。希望的観測でそう思い込もうとしてみたが、無駄だった。待つと言ったら待つ。庭野はきっと、そういう奴だろう。

(……まあ。ポニーさんの取材に付き合うと思えば、仕方ないか)

 最終的に諦めた丹原は、スマホの予定帳に『土曜11時 美術館』と書きこんだのだった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

処理中です...