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22.不思議と頭によぎるひと(後半)
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* * *
小説投稿サイト『モノカキの城』。
無料で小説を投稿できるそのサイトに、庭野が登録したのは3年前。今の会社に入って一年ほど経った頃だった。
以前から『モノカキの城』のことは知っていた。サイトに公開されている小説のうち、人気作がちらほらと書籍化されていたからだ。
本屋に行くとライトノベルの一角にそうした書籍化作品が集められていて、当時の庭野は「小説家になる窓口も色々あるんだな」と他人事のように感心したものだ。
サイトに登録したのは、本当に何気ないきっかけだった。高校の時に一緒に同人誌を出していた友達と久しぶりに飲みに行ったとき、一緒に本を作ったときのことが話題になったのだ。
〝頭ン中で妄想みたいに考えていたことがさ、本になって目の前にあるんだ。あの時は、めちゃくちゃ感動したよなあ〟
ビールを飲みながら、友人は懐かしむみたいに目を細めた。庭野にも、友人の気持ちは痛いほどよく分かった。あの時胸を襲った興奮は、今も深く心に焼き付いている。
けどさ、と。そいつは昔みたいに目をキラキラさせてこう続けた。
〝ほんっとーに嬉しかったのは、俺たちの本を買ってってくれたひとがさ、次の物販会でわざわざブースに来て、面白かった!って言ってくれたことだよな〟
この先どんなことがあろうと、あの出来事は人生の嬉しかったことトップ3に絶対入るよと。そう言って、友達は笑っていた。
そんな話をした夜。なぜだか庭野は眠れなかった。
瞼の裏に浮かぶのは、遠い日の物販会場でのこと。友人に言われるまで忘れていたのに。わざわざブースに来てくれたその人の、顔はもう思い出せないのに。
〝すっごく面白かったです!〟
そのたった一言で、生かされた気がした。世界が瞬時に輝きだして、何もかもが新しく見えた。
――そうだ。まるで魔法にかかったかのような。あんな体験をしたのは、後にも先にもあの時だけだった。
翌日。気が付くと庭野は『モノカキの城』に登録をしていた。熱に浮かされたと言ってもいい。本当に、衝動的な行動だった。
当たり前だけど、その時点で公開できる作品は手元になかった。なにせ高校では二次創作、大学在籍中は誰に見せる宛もなくポチポチとオリジナル小説を書いていたものの、社会人になってからはそれも辞めてしまっていた。
自分が好きだからという理由で、漠然と現代青春モノでも書こうかと思いつつ、まずは『モノカキの城』でどんな作品が読まれているのか調べてみる。そこで、庭野は驚いた。
男性向けであろうと女性向けであろうと、『モノカキの城』で圧倒的人気を誇るのは異世界、つまりファンタジー世界を舞台にしたものだった。それ以外の作品も探せばもちろんあるのだが、ランキングを見れば何が読まれているかは一目瞭然だ。
(どうしよう……。ランキングとか気にせず、自由にやってみようかな)
サイトを調べながら、庭野はううむと悩んだ。
一年ほど創作から離れていたというブランクもある。これまで現代世界を舞台にした作品しか書いたことがないというビハインドもある。
まずは無理せず、得意分野を書いてリハビリするべきじゃないだろうかと。
けれども。
(俺の小説を読んでもらいたい。そのためにサイトに登録したんだ。だったら、道はひとつじゃないか!)
高校生のあの日、全身を駆け巡った痺れるほどの喜びを思い出す。その時の記憶を糧に、庭野はさっそく取り戻した夢に向かって走り出した。
それからというものの、庭野は『モノカキの城』の人気作を読み漁り、熱心に研究した。
何が読者に支持されているのか。どういう展開が喜ばれるのか。
求められているものは。誰がいつ、どんなときに読むのか。
自分なりに導き出した答え。そこに、オリジナルのアイディアを合わせる。
そうして一つの作品が生まれた。1万字ほどの短編だった。
〝頑張ってくれよ、俺の作品……!〟
心臓が飛び出そうな興奮の中で、庭野はその作品をサイトにアップした。
――結論から言えば、その作品はまったくの鳴かず飛ばすだった。
『モノカキの城』は、読者からお気に入り登録数、PV数、応援ポイントが数値として表示される。
初めこそ庭野はソワソワして、何度も各数値が増えていないから確かめに行った。
けれども一時間経って、二時間経って。ついに一晩経っても一向に増えない数値を見て、庭野はストンと夢から覚めた心地がした。
(……そっか。そうだよ。こんなもの、だよね)
妙に冷えた頭で、背もたれにしているビーンズクッションにもたれかかる。
このサイトに、どれだけの量の小説があると思っているのだ。その中から見つけてもらえる確率など、河原でたった一つの石を見つけるのに等しい。
ましてや、ファンのひとりもいない無名の駆け出し作家の作品に、目を留めて読んでくれるひとなんて。
「……載せなきゃよかったな」
無意識のうちに、そんなことを呟いていた。
けれどもこれでよかったのかもしれない。とっくに忘れていた夢を、感傷に浸って無理やりほじくり返した。かつての栄光を勲章みたいに掲げて鼓舞してみたけれど、やっぱりこれが現実。魔法はいつか解ける。それが今だっただけの話。
無限に世界が広がっていた高校生の時とは違う。いつまでも夢ばかりを追いかけてはいられない。夢は夢として区切りをつけて、日常に帰るのが大人というものだ。
そんな風に画面を閉じようとしたとき。
ピコンと通知が来た。
「なに? お知らせ?」
ブックマークしているほかのひとの小説が更新されたとかだろうか。そんなことを思いながら何気なく開く。
そこで庭野は驚きのあまり息をすることすらも忘れた。
「かん、そう?」
『新着の感想が一件です!』。通知画面には、そのようにお知らせが入っていた。
我に返って、慌ててリンク先を開く。すると、昨日掲載した短編に「あっきー」という名のアカウントから感想が寄せられていた。
『大変面白く拝読しました。すれ違いつつも手を伸ばしあう二人の関係が素晴らしくて、何度も繰り返し読んでしまいました。次の作品も楽しみにしております』
ネット小説に寄せるにしては、少々硬い、かしこまった感想。それを書きこんだ人物の、丁寧で律義な人間性が滲む。
顔も知らないどこかの誰かが書きこんだ、100字にも満たない短い感想。たったそれだけなのに、庭野は全身を雷に打たれたような衝撃が駆け巡っていた。
読んでくれた。誰かが。このひとが。俺の作品を。
震える手で、パソコンの画面に手を伸ばす。当然そんなことをしても相手の姿は見えてこないけれども、画面の奥にいるその誰かが、まるで神さまのように思えた。
「俺、書きたい」
ふわりと心の中を風が吹き抜け、世界が輝きだす。それは、やっぱり魔法にかかったような感覚で。
「あなたにもっと、俺の作品を届けたい!!」
* * *
(なーんて。そんな青臭い一心で、また書くようになったんだっけ)
記憶の海から戻ってきた庭野は、丹原からの手紙をひらりと振った。
あの時感想をくれた「あっきー」さんは、それからも庭野の作品を読んでくれているようだった。
毎度サイトに感想を寄せてくれるわけではなかったが、SNSをエゴサしたときにたまたま本人と思しきアカウントを見つけた。そちらに感想をこまめにアップしてくれていることを知り、こっそり覗きに行ったりしている。
なぜだか丹原からもらった手紙を見たとき、律義で生真面目な言葉の数々から、あっきーさんがSNSに上げてくれていた感想を連想したのだ。
その時は考えすぎだと思ったけど、資料室での一件に再び疑念が膨れ上がる。
「まさか、なあ」
ぽすんと再びベッドにあおむけになりながら、庭野は手紙を見上げ考え込む。
会社の先輩で、ひょんなきっかけから小説のことを明かした丹原と。
庭野の心に再び火を灯してくれた、神さまのような読者の「あっきー」さん。
その二人が同一人物というのは、あまりに出来すぎた偶然で。
「まさか、そんなわけないか!」
自分でもおかしくなって、庭野は笑い飛ばした。
――彼が真実を知るのは、まだ先の話である。
小説投稿サイト『モノカキの城』。
無料で小説を投稿できるそのサイトに、庭野が登録したのは3年前。今の会社に入って一年ほど経った頃だった。
以前から『モノカキの城』のことは知っていた。サイトに公開されている小説のうち、人気作がちらほらと書籍化されていたからだ。
本屋に行くとライトノベルの一角にそうした書籍化作品が集められていて、当時の庭野は「小説家になる窓口も色々あるんだな」と他人事のように感心したものだ。
サイトに登録したのは、本当に何気ないきっかけだった。高校の時に一緒に同人誌を出していた友達と久しぶりに飲みに行ったとき、一緒に本を作ったときのことが話題になったのだ。
〝頭ン中で妄想みたいに考えていたことがさ、本になって目の前にあるんだ。あの時は、めちゃくちゃ感動したよなあ〟
ビールを飲みながら、友人は懐かしむみたいに目を細めた。庭野にも、友人の気持ちは痛いほどよく分かった。あの時胸を襲った興奮は、今も深く心に焼き付いている。
けどさ、と。そいつは昔みたいに目をキラキラさせてこう続けた。
〝ほんっとーに嬉しかったのは、俺たちの本を買ってってくれたひとがさ、次の物販会でわざわざブースに来て、面白かった!って言ってくれたことだよな〟
この先どんなことがあろうと、あの出来事は人生の嬉しかったことトップ3に絶対入るよと。そう言って、友達は笑っていた。
そんな話をした夜。なぜだか庭野は眠れなかった。
瞼の裏に浮かぶのは、遠い日の物販会場でのこと。友人に言われるまで忘れていたのに。わざわざブースに来てくれたその人の、顔はもう思い出せないのに。
〝すっごく面白かったです!〟
そのたった一言で、生かされた気がした。世界が瞬時に輝きだして、何もかもが新しく見えた。
――そうだ。まるで魔法にかかったかのような。あんな体験をしたのは、後にも先にもあの時だけだった。
翌日。気が付くと庭野は『モノカキの城』に登録をしていた。熱に浮かされたと言ってもいい。本当に、衝動的な行動だった。
当たり前だけど、その時点で公開できる作品は手元になかった。なにせ高校では二次創作、大学在籍中は誰に見せる宛もなくポチポチとオリジナル小説を書いていたものの、社会人になってからはそれも辞めてしまっていた。
自分が好きだからという理由で、漠然と現代青春モノでも書こうかと思いつつ、まずは『モノカキの城』でどんな作品が読まれているのか調べてみる。そこで、庭野は驚いた。
男性向けであろうと女性向けであろうと、『モノカキの城』で圧倒的人気を誇るのは異世界、つまりファンタジー世界を舞台にしたものだった。それ以外の作品も探せばもちろんあるのだが、ランキングを見れば何が読まれているかは一目瞭然だ。
(どうしよう……。ランキングとか気にせず、自由にやってみようかな)
サイトを調べながら、庭野はううむと悩んだ。
一年ほど創作から離れていたというブランクもある。これまで現代世界を舞台にした作品しか書いたことがないというビハインドもある。
まずは無理せず、得意分野を書いてリハビリするべきじゃないだろうかと。
けれども。
(俺の小説を読んでもらいたい。そのためにサイトに登録したんだ。だったら、道はひとつじゃないか!)
高校生のあの日、全身を駆け巡った痺れるほどの喜びを思い出す。その時の記憶を糧に、庭野はさっそく取り戻した夢に向かって走り出した。
それからというものの、庭野は『モノカキの城』の人気作を読み漁り、熱心に研究した。
何が読者に支持されているのか。どういう展開が喜ばれるのか。
求められているものは。誰がいつ、どんなときに読むのか。
自分なりに導き出した答え。そこに、オリジナルのアイディアを合わせる。
そうして一つの作品が生まれた。1万字ほどの短編だった。
〝頑張ってくれよ、俺の作品……!〟
心臓が飛び出そうな興奮の中で、庭野はその作品をサイトにアップした。
――結論から言えば、その作品はまったくの鳴かず飛ばすだった。
『モノカキの城』は、読者からお気に入り登録数、PV数、応援ポイントが数値として表示される。
初めこそ庭野はソワソワして、何度も各数値が増えていないから確かめに行った。
けれども一時間経って、二時間経って。ついに一晩経っても一向に増えない数値を見て、庭野はストンと夢から覚めた心地がした。
(……そっか。そうだよ。こんなもの、だよね)
妙に冷えた頭で、背もたれにしているビーンズクッションにもたれかかる。
このサイトに、どれだけの量の小説があると思っているのだ。その中から見つけてもらえる確率など、河原でたった一つの石を見つけるのに等しい。
ましてや、ファンのひとりもいない無名の駆け出し作家の作品に、目を留めて読んでくれるひとなんて。
「……載せなきゃよかったな」
無意識のうちに、そんなことを呟いていた。
けれどもこれでよかったのかもしれない。とっくに忘れていた夢を、感傷に浸って無理やりほじくり返した。かつての栄光を勲章みたいに掲げて鼓舞してみたけれど、やっぱりこれが現実。魔法はいつか解ける。それが今だっただけの話。
無限に世界が広がっていた高校生の時とは違う。いつまでも夢ばかりを追いかけてはいられない。夢は夢として区切りをつけて、日常に帰るのが大人というものだ。
そんな風に画面を閉じようとしたとき。
ピコンと通知が来た。
「なに? お知らせ?」
ブックマークしているほかのひとの小説が更新されたとかだろうか。そんなことを思いながら何気なく開く。
そこで庭野は驚きのあまり息をすることすらも忘れた。
「かん、そう?」
『新着の感想が一件です!』。通知画面には、そのようにお知らせが入っていた。
我に返って、慌ててリンク先を開く。すると、昨日掲載した短編に「あっきー」という名のアカウントから感想が寄せられていた。
『大変面白く拝読しました。すれ違いつつも手を伸ばしあう二人の関係が素晴らしくて、何度も繰り返し読んでしまいました。次の作品も楽しみにしております』
ネット小説に寄せるにしては、少々硬い、かしこまった感想。それを書きこんだ人物の、丁寧で律義な人間性が滲む。
顔も知らないどこかの誰かが書きこんだ、100字にも満たない短い感想。たったそれだけなのに、庭野は全身を雷に打たれたような衝撃が駆け巡っていた。
読んでくれた。誰かが。このひとが。俺の作品を。
震える手で、パソコンの画面に手を伸ばす。当然そんなことをしても相手の姿は見えてこないけれども、画面の奥にいるその誰かが、まるで神さまのように思えた。
「俺、書きたい」
ふわりと心の中を風が吹き抜け、世界が輝きだす。それは、やっぱり魔法にかかったような感覚で。
「あなたにもっと、俺の作品を届けたい!!」
* * *
(なーんて。そんな青臭い一心で、また書くようになったんだっけ)
記憶の海から戻ってきた庭野は、丹原からの手紙をひらりと振った。
あの時感想をくれた「あっきー」さんは、それからも庭野の作品を読んでくれているようだった。
毎度サイトに感想を寄せてくれるわけではなかったが、SNSをエゴサしたときにたまたま本人と思しきアカウントを見つけた。そちらに感想をこまめにアップしてくれていることを知り、こっそり覗きに行ったりしている。
なぜだか丹原からもらった手紙を見たとき、律義で生真面目な言葉の数々から、あっきーさんがSNSに上げてくれていた感想を連想したのだ。
その時は考えすぎだと思ったけど、資料室での一件に再び疑念が膨れ上がる。
「まさか、なあ」
ぽすんと再びベッドにあおむけになりながら、庭野は手紙を見上げ考え込む。
会社の先輩で、ひょんなきっかけから小説のことを明かした丹原と。
庭野の心に再び火を灯してくれた、神さまのような読者の「あっきー」さん。
その二人が同一人物というのは、あまりに出来すぎた偶然で。
「まさか、そんなわけないか!」
自分でもおかしくなって、庭野は笑い飛ばした。
――彼が真実を知るのは、まだ先の話である。
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