拝啓、隣の作者さま

枢 呂紅

文字の大きさ
上 下
6 / 36

6.初めてのファンレター

しおりを挟む
 ――二日後の朝。

(昨日も丹原先輩、なんかおかしかったなあ)

 何も知らない庭野はひとり首を傾げていた。

 いつもの喫茶店で昼食と書き溜めを終え、会社に戻る道すがら。ビルの前で偶然、丹原に会ったのはつい先日のこと。

 庭野としては軽い気持ちで声を掛けたのだが、なぜか丹原には逃げられてしまった。

(昨日は昨日で、定時になったらものすごい勢いで会社を出てったし。あの人のこと、いまだによくわからないんだよな)

 わき目も振らず退社をする丹原に唖然としたのを思い出し、庭野は苦笑した。

 丹原……下の名前はなんだっけ。

 誰とでもすぐ仲良くなる庭野にしては珍しく、下の名前も思い出せない。それほど希薄な付き合いしかしてこなかった、同じ部署の先輩だ。

 頭脳明晰、容姿端麗。誰もが認める部のエースである丹原は、同時にどこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。

 本人も会社の人間と深く関わることを望んでいないのか、大抵は一人でいる。

 仕事面での面倒見はいいらしく同じグループの後輩をよくフォローしてやっているが、あくまでそれだけ。接待以外の飲み会にも滅多に顔を出さない、プライベートが見えてこない人物だ。

 そんな丹原と、偶然会社の外で会った。

 本屋で。しかも、まさか自分の本を買ってくれたところで。

 正直、驚くより浮かれた。まさか同じ会社のひとが、それも丹原先輩が自分の本を買ってくれるなんてと狂喜乱舞した。まあ蓋を開けてみれば、丹原は姉の代理で本を買っただけだったが。

 丹原本人が読む機会がなさそうなのは残念だったが、それでも手を伸ばしてくれて嬉しかった。

 しかも丹原は、浮かれた庭野がアレコレ打ち明けるのに、興味深そうに耳を傾けてくれた。そればかりか本を出したことに「もっと自分を誇れ!」とまで言ってくれて。

 けれども、舞い上がっていたのは自分だけだったのかもしれない。

(先輩とちょっと仲良くなれたかもなんて思ったけど……俺の勘違いだったかな)

 軽く肩を竦めて、ひとりでエレベーターに乗り込む。

 自動で扉が閉まりかける。そのときだった。

「ま、待て!」

 ガッと、閉まりかけた扉を手が差し入れられる。

 ぎょっとした庭野は、扉の先にいた人物にますます目を丸くした。

「丹原先輩!?」

「あ、ああ。おはよう、庭野」

 今日も今日とてカチッと上品に決まったスーツスタイルで、挨拶をして乗り込んできた丹原に、庭野はぽかんと口を開けた。

 この登場で「おはよう」って。朝だし間違っちゃいないんだけど、そうじゃなくて。

「どうしたんですか? まだ始業ぎりぎりって時間でもないですけど」

「まあな。……お前がひとりでいるのが見えたから、ちょうどいいかと追いかけたというか」

「はい?」

 目を逸らしてごにょごにょと答える丹原に、庭野は首を傾げる。

 ていうか。

(先輩、ほんとイケメンだよなあ)

 改めて間近で見れば、つくづく綺麗な顔をした先輩だ。

 正統派イケメンと言えばいいのだろう。切れ長の目を縁取るまつ毛は長く、鼻筋もすっと通っている。白い細面はほんの少し女性的でもあり、手足もすらりと長くスタイルがいい。

 女性社員の人気ダントツで、取引先からの見合い話もひっきりなし。それも納得の美形ぶりだなと、何やら口籠る丹原を待ちながらそんなことを思う。

 わざわざ追いかけてきたということは、何か二人きりで話したい用があったのだろう。このまま待っていては、あっという間に自分たちのフロアについてしまう。

 気を聞かせて、庭野は助け船を出した。

「仕事の話ですか? それとも、俺の小説絡みのこと?」

「っ、そうだ。お前の、小説のことで」

 一瞬怯んだように目を泳がせた丹原だが、すぐに神妙な顔で頷く。

「小説、俺も読んだんだ」

「え?」

 思いもよらない言葉に、胸の鼓動が跳ねた。

「丹原さんが、俺の本を?」

「ああ」

「本はお姉さんに渡したんじゃ」

「っ、それは」

 ポロっとこぼれた何気ない質問だったが、なぜか丹原は目を泳がせた。こほんと咳ばらいをした彼は、不思議と取り繕うように続ける。

「俺も買ったんだ。お前が書いたっていうから気になって」

「えっ!?」

 つまりお姉さんに渡すのとは別に、もう一冊買ってくれたというのか。嬉しいけれども、それはそれで申し訳ない気になる。

「言ってくれれば一冊プレゼントしたのに」

「いや、いいんだ! お前が心血注いで作ったものだし……なにより、俺が買いたかったんだから」

 首を振りつつ、丹原はそんな嬉しいことを言ってくれる。思わず庭野はうっと声を詰まらせた。

(なにそれ。すっげー嬉しいんですけど)

 うっかり惚れてしまうところだった。惚れないけど。もしも相手が女の子だったら、確実に落ちていたと思う。

 同時に、違う意味でも鼓動が早くなっていって。

「それで、どうでした?」

 からからと喉の中が渇く。

 実家の家族に感想を聞くときは、こんなに緊張しなかったのに。不思議に思いながらも、質問を引っ込める気にはなれない。

 ごくりと生唾を飲み込んでから、庭野はもう一度繰り返した。

「俺の本、読んでみてどうでした?」

「すごく良かった」

 間髪入れず返ってきた答え。一拍遅れて、庭野は実感を持ってその言葉が聞こえた。

 良かった。丹原は、そう言ってくれた。

「主人公の聖女が好感を持てたし、相手の男との関係性も良かった。ストーリーも面白くて、引き込まれて一気に読んでしまった」

「え、あ、ええ?」

 喜びに胸が震えたのも束の間、丹原の口から賛辞が次々垂れ流される。そこまで絶賛してもらえるとは完全に予想外だったため、庭野は軽くパニックを起こした。

 そのうえ丹原は、テンパる庭野にずいと何かを突き出した。

「だから、これ。書いてきた」

「へ?」

「感想!」

 その時、エレベーターが最寄りのフロアに到着する。

 たぶん照れ隠しだ。怒ったような顔で、そのくせ頬を染めて、丹原は薄い水色の封筒を押し付けた。

「家で読めよ! ……会社で読まれると、なんか恥ずい」

 一足先にエレベーターを降りて、スタスタと歩き去っていく丹原。残された庭野は呆然としながらも、改めて手の中のものを見つめた。

 ――薄水色の封書を選んだのは単に丹原の趣味か、それとも「てんこい」の主人公のイメージカラーだからか。なぜだか後者のような気がしてしまうのは、さすがに浮かれすぎだろうか。

 小説の感想をしたためた手紙。世間一般にはファンレターと呼んで差し支えないもの。

 たぶんだけど、昨日丹原が慌てて会社を飛び出して行ったのは、押し付けられたコレを用意するためで。

「あー……。やばい」

 ぷしゅーと風船の空気が抜けるように、庭野は頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 生まれて初めてファンレターをもらったという事実も。それを、あの律儀な先輩が一生懸命に用意してくれたということも。
 
(……心臓、すっげえうるさいんだけど)

「そんで、俺の嫁さんが……って、うわあ!?」

「庭野!? なんでエレベーターの床に座ってんだ!?」

 いつのまにかエレベーターは、再びエントランスに降りてしまったらしい。ちょうど乗り込もうとした同僚ふたりが、ぎょっとしてたたらを踏んだ。

 赤く染まった顔を隠すためうずくまったまま、丹原はふるふると頭を振った。

「俺、もうダメかも」

「なにが!?」

「どうした!?」

「新しい扉、こじあけられちゃったかも……」

「「どゆこと!?」」

 同僚二人の素っ頓狂な声がこだまする。



 ――その日の夜。言われた通り家に帰ってから手紙を開いた庭野は、まっすぐすぎる同じ部署の先輩の、下の名前が『千秋』であることを知ったのであった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】

彩華
BL
 俺の名前は水野圭。年は25。 自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで) だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。 凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!  凄い! 店員もイケメン! と、実は穴場? な店を見つけたわけで。 (今度からこの店で弁当を買おう) 浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……? 「胃袋掴みたいなぁ」 その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。 ****** そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...