上 下
20 / 50
第二話 萩焼と文車恋煩い

13.

しおりを挟む


「以上で、私が講義する歴史学入門を終えます。またどこかで、皆さんとご縁がありますよう」

 ――響き渡るチャイムの音を合図に、ガタガタとあちこちで椅子が鳴る。窮屈だった体を伸ばしたり、学食に行こうと笑顔で声かけあったり。学生たちがおもいおもいに教室を出ていく中、私は教壇の上を片付ける有栖川教授を見つめていた。

 今日は歴史学入門で有栖川教授が授業を受け持つ、最後の日。学年があがれば別の講義を受けられるようになるが、一年生の私が有栖川教授の話を聞ける授業はこれでおしまい。先生とはしばしのお別れである。

 教授を見るのは縁結びカフェの一件があって以来だが、講義の中で見る有栖川教授の様子は以前と変わらない様子にみえた。

 そういえば、キヨさんもこの教室にいたんだろうか。先週まで座っていた、一番前の席には見つけられなかったけれども。

 そんなことを思った時、隣から真希ちゃんにがばりと抱きつかれた。

「すーず! お腹すいたー。ごはんいこー!」

「うわっぷ」

「急げば、マシュマロメロンパンがまだ売ってるかも。はやく行こ行こっ」

「う、うん」

 ふみちゃんに急かされ、私は慌てて荷物をまとめる。そして、ふたりと一緒に教室を出ようときたのだけれども。

「水無瀬鈴さん」

 大教室の入り口あたりで、後ろから呼び止められた。まさかと思いながら振り返ると、やっぱりそこにいたのは有栖川教授だった。

「有栖川先生?」

「なんで鈴ちゃんの名前……」

 目を丸くするふみちゃんと真希ちゃんをよそに、有栖川教授はあの人同じ、すっと伸びた背筋で美しく私の前に立つ。

 教授の、あの日と変わらない柔らかな笑みを見て、私は妙に納得してしまった。やっぱり教授は、深海魚のような人だ。摩訶不思議なことが周囲で起きても、動じずに静かに泳ぎ続ける。

「お昼、一緒にどうかしら?」

 にこりと笑って、教授は私を誘ってくれた。





 何が何やらわからずぽかんとする友人二人に見送られ、私はいま、有栖川教授の研究室にいる。

 教員棟の一角にあるその部屋は、図書館よりもさらに古い本の匂いが満ちていて、なんだか文学の海の中にいるかのような錯覚を抱いた。

(あ。古本の精霊だ)

 天井あたりをぷわぷわ浮かぶ光の玉を、私はなんとなしに見上げる。授業中は大人しくしていたキュウ助も精霊たちに気づいたらしく「きゅうっ」と鳴いて、光の玉たちの方に飛んでいった。

「そこにも何かのいるのですね」

 楽しそうに飛ぶ倉ぼっこたちを眺めていたら、有栖川教授が研究室に戻ってきた。どうやら、給湯室で紅茶を用意してくれていたらしい。

 私は反射的にキュウ助たちのことを誤魔化しかけて――すぐに思い直して、素直に頷いた。

「いますけど、悪いモノじゃありませんよ。風が吹けば飛んでっちゃいそうな小さな子ばかりですし。先生の研究室が過ごしやすいんでしょうね」

「よかった。きっと、私ととても趣味の合う子達なのですね」

 ふんわりと微笑んで、有栖川教授は大学通りにある人気のパン屋さんのサンドイッチを勧めてくれた。

「あなたをお招きしようと、教室に行く前にパン屋さんに寄ってきたのですよ」と、教授は友達と秘密を共有するように、こっそりと悪戯っぽく白状した。

「――あの日のことは、色々と記憶があやふやなのです」

 ピリッとマスタードの効いたポテトのサンドイッチと、だし巻き卵のたまごサンドを食べ終わった頃。紅茶の入ったマグカップを両手で包みながら、有栖川教授はポツポツと話し出した。

「あのお店にどうやって行ったのか、誰と何を話したのか。まるで目が覚めて夢が溶けて消えてしまったように、私は思い出せることができないんです。――だけど、水無瀬さん。あなたと、お店にいた『彼女』のことは、不思議と覚えていました」

 明るいグレーの瞳で見つめられ、どきりと心臓が跳ねた。だけど教授は私を追求するでも、不気味がるでもなく、ただただ静かに微笑んだ。

「水無瀬さん。あなたが、私と『彼女』の縁を繋いでくれたのですね」

「聞かないんですか? お店のことや、について」

「だって私、説明してもらってもきっと、半分も理解できないもの」

 有栖川教授はくすくすと笑って、薄い肩を揺らした。それから空になったマグカップを置いて立ち上がると、机越しに手を差し出した。

「だけど、これだけははっきりしています。あの日、あの場所で、私は『彼女』に会えて幸せでした。私はけっして、あなたを忘れはしません。そう、彼女に伝えてください」

「有栖川先生……」

 細い指が綺麗な白い手を、私はしばらく見つめる。それから、私はぎゅっと、有栖川教授の手を握った。

「わかりました」

 笑い皺の浮かぶ有栖川教授をまっすぐに見つめて、私は強く頷いた。

「これもなにかの、縁ですし」





 キュウ助を連れて、私は有栖川教授の研究室をお暇した。すると、研究棟を出てすぐのところで、私はキヨさんとばったり出くわした。

「おお、スズ。こんなところで奇遇だの」

「キヨさん! なんでこんなところに……」

 言いかけて、私は途中で言葉を呑みこんだ。世の中には、聞くだけ野暮という言葉がある。今回のコレは、間違いなくそういった部類の出来事だろう。

 キヨさんもキヨさんで、新緑の眩しい木々を見上げながらすっとぼけた。

「ところでスズ。わらわは無性に、甘味が食べたい気分じゃがな。暇ならわらわに付き合え。今日は気分がいいから、お主にも存分に甘味を喰わせてやるぞ」

「そんなこと言って、キヨさんが抹茶フロートを食べたいだけでしょうに」

「良いではないか。抹茶フロートが以下に革新的であるか、お主は知らんのじゃ。良いか? もとは抹茶というのは、一部の風流で雅な貴族の嗜みであってだな……」

 亜麻色の髪を揺らす文車と、ただの大学生の私がのんびり並び、大学構内をぶらりと歩く。

 こんな関係もいとおかし、と。そんなフレーズが、ふと頭に浮かんだのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

【短編】悪役令嬢と蔑まれた私は史上最高の遺書を書く

とによ
恋愛
婚約破棄され、悪役令嬢と呼ばれ、いじめを受け。 まさに不幸の役満を食らった私――ハンナ・オスカリウスは、自殺することを決意する。 しかし、このままただで死ぬのは嫌だ。なにか私が生きていたという爪痕を残したい。 なら、史上最高に素晴らしい出来の遺書を書いて、自殺してやろう! そう思った私は全身全霊で遺書を書いて、私の通っている魔法学園へと自殺しに向かった。 しかし、そこで謎の美男子に見つかってしまい、しまいには遺書すら読まれてしまう。 すると彼に 「こんな遺書じゃダメだね」 「こんなものじゃ、誰の記憶にも残らないよ」 と思いっきりダメ出しをされてしまった。 それにショックを受けていると、彼はこう提案してくる。 「君の遺書を最高のものにしてみせる。その代わり、僕の研究を手伝ってほしいんだ」 これは頭のネジが飛んでいる彼について行った結果、彼と共に歴史に名を残してしまう。 そんなお話。

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭
キャラ文芸
 ――此処はかつての讃岐の国。そこに、古くから信仰の地として人々を見守って来た場所がある。  弘法大師が開いた真言密教の五大色にちなみ、青黄赤白黒の名を冠した五峰の山々。その一つ青峰山の近くでは、牛鬼と呼ばれるあやかしが人や家畜を襲い、村を荒らしていたという。  やがて困り果てた領主が依頼した山田蔵人という弓の名手によって、牛鬼は退治されたのだった。  青峰山にある麺処あやかし屋は、いつも大勢の客で賑わう人気の讃岐うどん店だ。  ただし、客は各地から集まるあやかし達ばかり。  早くに親を失い、あやかし達に育てられた店主の遠夜は、いつの間にやら随分と卑屈な性格となっていた。  それでも、たった一人で店を切り盛りする遠夜を心配したあやかしの常連客達が思い付いたのは、「看板娘を連れて来る事」。  幽霊と呼ばれ虐げられていた心優しい村娘と、自己肯定感低めの牛鬼の倅。あやかし達によって出会った二人の恋の行く末は……?      

溺愛彼氏は消防士!?

すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。 「別れよう。」 その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。 飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。 「男ならキスの先をは期待させないとな。」 「俺とこの先・・・してみない?」 「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」 私の身は持つの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。 ※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。

あやかし坂のお届けものやさん

石河 翠
キャラ文芸
会社の人事異動により、実家のある地元へ転勤が決まった主人公。 実家から通えば家賃補助は必要ないだろうと言われたが、今さら実家暮らしは無理。仕方なく、かつて祖母が住んでいた空き家に住むことに。 ところがその空き家に住むには、「お届けものやさん」をすることに同意しなくてはならないらしい。 坂の町だからこその助け合いかと思った主人公は、何も考えずに承諾するが、お願いされるお届けものとやらはどうにも変わったものばかり。 時々道ですれ違う、宅配便のお兄さんもちょっと変わっていて……。 坂の上の町で繰り広げられる少し不思議な恋物語。 表紙画像は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID28425604)をお借りしています。

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

離縁の脅威、恐怖の日々

月食ぱんな
恋愛
貴族同士は結婚して三年。二人の間に子が出来なければ離縁、もしくは夫が愛人を持つ事が許されている。そんな中、公爵家に嫁いで結婚四年目。二十歳になったリディアは子どもが出来す、離縁に怯えていた。夫であるフェリクスは昔と変わらず、リディアに優しく接してくれているように見える。けれど彼のちょっとした言動が、「完璧な妻ではない」と、まるで自分を責めているように思えてしまい、リディアはどんどん病んでいくのであった。題名はホラーですがほのぼのです。 ※物語の設定上、不妊に悩む女性に対し、心無い発言に思われる部分もあるかと思います。フィクションだと割り切ってお読み頂けると幸いです。 ※なろう様、ノベマ!様でも掲載中です。

処理中です...