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第二話 萩焼と文車恋煩い
10.
しおりを挟む アンキセウスは内心溜息をつき、苦く笑った。所詮、金も力もないただの奴隷あがりの召使の自分に、どうしてリィウスを助けることができるだろう。そんな絶望的な諦観が、最近のアンキセウスを、ふとすれば虚無的にさせていた。
「ああ! ずるい、ずるい! 兄さんばかりいい思いをして、ずるい!」
あられもない格好のまま、ナルキッソスが地団駄ふんだ。
一瞬、アンキセウスは本当にナルキッソスの気が狂ったのではないかと疑った。
蝋燭一本の薄闇のなかに、あらためて彼を見ると、心なしか肌はやつれ、唇はひからびて見え、どことなく生気がないように感じられる。
若いくせに荒淫にふけり酒に溺れ、夜更かしが多いせいだろう。思い出せば、ナルキッソスはここ数日、きちんとした食事を取ってないことを思い出した。
一人だけいる厨房の奴隷女は、言われれば食物を用意するが、言われない限りはなにもしない。最初は、ちゃんと用意していたが、ナルキッソスがろくに手をつけず、食堂にもあまり顔を出さなくなったので、止めてしまったのだ。貴族の家ではあるまじきことである。
リィウスがいたころには信じられないような、だらけた空気が屋敷じゅうに漂っている。
アンキセウスも、この横暴な主人に対しては、どうしても誠実な気持ちで面倒みようなどとは思えず、食事を取るまいが夜更かししようが、注意しようなどとは思わなかった。注意したところで聞くわけもないからだ。
あらためて見渡すと、室内の掃除もあまりきちんとされておらず、象牙の小卓のうえには飲みほした瓶や杯がかたづけられることもなく放置されている。室全体、いや、屋敷全体に饐えた空気が満ちあふれているようだ。
(もう、この家は終わりだな)
リィウスが身を売ると決めたとき、プリスクス家は終わったのかもしれない。レムスとロムレスの時代、つまりローマ建国のころから栄えつづけたこの家も、もはや終わろうとしている。
奴隷として生まれ、奴隷として育った屋敷である。自分の人生と運命を支配しつづけた家の終焉を間のあたりにしながら、アンキセウスの胸には、いい気味だ、というような感慨はわいてこない。むしろ哀愁めいた切ないものが胸を埋めつくす。
「ああ! ずるい、ずるい! 兄さんばかりいい思いをして、ずるい!」
あられもない格好のまま、ナルキッソスが地団駄ふんだ。
一瞬、アンキセウスは本当にナルキッソスの気が狂ったのではないかと疑った。
蝋燭一本の薄闇のなかに、あらためて彼を見ると、心なしか肌はやつれ、唇はひからびて見え、どことなく生気がないように感じられる。
若いくせに荒淫にふけり酒に溺れ、夜更かしが多いせいだろう。思い出せば、ナルキッソスはここ数日、きちんとした食事を取ってないことを思い出した。
一人だけいる厨房の奴隷女は、言われれば食物を用意するが、言われない限りはなにもしない。最初は、ちゃんと用意していたが、ナルキッソスがろくに手をつけず、食堂にもあまり顔を出さなくなったので、止めてしまったのだ。貴族の家ではあるまじきことである。
リィウスがいたころには信じられないような、だらけた空気が屋敷じゅうに漂っている。
アンキセウスも、この横暴な主人に対しては、どうしても誠実な気持ちで面倒みようなどとは思えず、食事を取るまいが夜更かししようが、注意しようなどとは思わなかった。注意したところで聞くわけもないからだ。
あらためて見渡すと、室内の掃除もあまりきちんとされておらず、象牙の小卓のうえには飲みほした瓶や杯がかたづけられることもなく放置されている。室全体、いや、屋敷全体に饐えた空気が満ちあふれているようだ。
(もう、この家は終わりだな)
リィウスが身を売ると決めたとき、プリスクス家は終わったのかもしれない。レムスとロムレスの時代、つまりローマ建国のころから栄えつづけたこの家も、もはや終わろうとしている。
奴隷として生まれ、奴隷として育った屋敷である。自分の人生と運命を支配しつづけた家の終焉を間のあたりにしながら、アンキセウスの胸には、いい気味だ、というような感慨はわいてこない。むしろ哀愁めいた切ないものが胸を埋めつくす。
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