上 下
11 / 50
第二話 萩焼と文車恋煩い

4.

しおりを挟む
 キヨさんと出会った翌日、私は朝から大学にいた。

 結局、サークルや部活には入らず縁結びカフェでのバイト一本で大学生活を謳歌中の私だけれども、学生の本文は勉強だ。それも一年生は、必修科目も多く授業が詰まっている。

 そういうわけで、今日は1限からみっちりと授業が組まれていた。

「ひぃー。1限からの授業はやっぱしんどいわー!」

 その朝一の科目を終えて、2限目の教室へと向かう途中。身体をぽきぽきと鳴らして、同じ学部の友人・真紀ちゃんが嘆いた。それに、やはり社会学部のふみちゃんが笑って答える。

「そんなこと言って、真紀ちゃんは授業の頭から終わりまで寝てたでしょー」

「だって、あんなの起きてらんないよー! 朝早くから先生の声が眠すぎるよ!」

「そういえば先生、来週はちょっとした小テストをするって言ってたね」

「嘘!? やだー! ふみちゃん今日のノート、コピーさせてー!」

「しょうがないなー」

 きゃっきゃと話す二人に挟まれながら、私はなんとなく、昨日カフェで出会った文車のキヨさんのことを考えていた。

(キヨさん、この大学の中にいても、ちっとも不思議じゃない姿をしていたなあ……)

 歴史を感じさせつつも壮麗さのある構内を歩きながら、そんなことを思う。ちょうど授業の合間とあって、廊下にはたくさんの大学生が歩いているけれども、キヨさんがこの中のひとりに紛れていてもきっと私は気づかない。

 案外妖怪とはそんなものなのだろうか。

 今日も縁結びカフェには常連の妖怪たちがお気に入りのメニューを楽しみに来ているだろうし、真紀ちゃんたちには見えていないけど、現在進行形で私のパーカーのフードの中では倉ぼっこのキュウ助がすやすやと昼寝をしている。

 私が知らなかっただけで、私が見えなかっただけで。狐月さんが以前話していたように、妖怪たちはずっと私たちの傍にいるのかもしれない。もしかしたら、このたくさんいる大学生の中にも、ひとりくらい妖怪が混ざっているのかもしれない。

 そんなことを考えながら歩いていたら、ふいに真紀ちゃんが私に話題を振ってきた。

「そういえば! 昨日ふみと、鈴のバイト先の店に遊びに行こって話してたの。なのに、気が付いたら別のカフェに入っちゃってたの!」

「そ、そうなんだ」

 悔しそうに嘆く真紀ちゃんに、私は思わず顔を引き攣らせる。幸いそれには気づかず、ふみちゃんも残念そうに小首を傾げた。

「ふたりで大学を出て歩いていたら、ちょうどスタパで新作ラテの看板見ちゃって……。気が付いたら、すっかりそこで話し込んじゃって」

「あり得ないよねー。鈴の店に行こうとしてたのに別の店に入っちゃうの、もうこれで四回目だよ!? なんで私たちってこう、大学通りのお店の誘惑に負けやすいんだろ」

「あ、あはは、はは。そういうときもあるよね……」

 冷や汗をだらだら流しつつ、私は精一杯誤魔化す。

 ふたりが他の店に吸い込まれてしまうのは、たぶん、いや、十中八九、狐月さんの結界のせいだ。たぶん妖怪たちと無縁の生活を送るふたりは、なんらかの邪魔が入って縁結びカフェにたどり着けないようになっているのだろう。

 けど、邪魔が入ると言っても危ない目に遭うわけではなさそうなのはよかった。あの優しい狐月さんが危険な結界を張るわけないとわかってはいるけど、二人が恐い目にあうんだとしたら、友達として放っておけないから。

 さて、そんなことを話しているうちに、私たちはあっという間に2限目の授業が行われる大教室に到着した。

 大学の授業は、受講人数によって教室の大きさがかなり異なる。この教室は、よほどの人気授業か学部の必修科目でないと使わないような、構内でも特に大きな教室だ。

 それもそのはず。この日の2限目は、私たち社会学部生の1年生のほとんどが受講する「歴史学入門」であるからだ。

 授業の始まりを告げる鐘がなり、すらりと細身の年配の女性が教壇に立つ。顎のラインで切りそろえられたシルバーグレーの髪に、細いチェーンが光る眼鏡の奥に覗く、海を思い出させる理知的な眼差し。ピンと伸びた背筋には気品が漂う。

「さあ、皆さん。今日から3回、一緒に国文学の夢路へ旅立ちましょう」

 一瞬で大教室の空気を掴んだ女史は、そう微笑んだ。

 歴史学入門は、その名の通り1年生向けの「入門」授業だ。オムニバス形式で4名の教授が持ち回りで担当し、うち今日から3回は、この有栖川涼子女史が受け持つことになっている。

 有栖川教授の名前は、入学する前から知っていた。

 有栖川教授の専門は、源氏物語や枕草子、ほかにもその時代に記された歌や書物など様々な手記から、当時の文化・生活を研究するというものだ。何度か歴史番組に解説として呼ばれたり、数年前の歴史映画で時代考証を行っていたりしていて、私もなんとなく名前を聞いたことがあった。

 武骨な武将たちの人間ドラマや知略戦……というよりは、女性の視点から見たその時代の空気感や流行、人々の何気ない日常に焦点を当てた研究が多く、歴史好き女子からの人気も高い――というのは、歴史大好き女子・真紀ちゃんからの情報だ。

「有栖川教授、今日も麗しい……っ」

 となりで真紀ちゃんが、感激してうっとりと教壇を見つめている。真紀ちゃんの言うように、すらりと教壇に立ち、澄んだ声で歌うように歴史学について話す教授の姿は、ファンでなくても見惚れてしまうものがある。

 どうやらこの授業では、後で真紀ちゃんにノートを強請られることはなさそうだ。そんな風にくすりと笑ってしまったとき、私は気づいた。

 大教室の一番前。……特に理由はなくとも、学生が敬遠しがちで、後ろの席とは違ってまばらに空いたその列の一番端に。見覚えのある、亜麻色のストレートヘアの後ろ姿があった。

(あれって……)

「きゅう?」

 目を瞠った私に何かを感じ取ったのか、フードの中でおとなしくしていたキュウ助がもぞもぞと出てくる。一瞬慌てかけるが、ふみちゃんも真紀ちゃんもふわふわ毛玉に気付いた様子はない。ふたりには妖怪が見えないし、聞こえないのだから当然だ。

「きゅう、きゅう!」

 キュウ助も亜麻色の髪の女子生徒を見つけたらしく、嬉しそうに私の肩の上ではねながら鳴き声を上げた。それにピクリと肩を揺らし、亜麻色の髪の女子生徒が振り向く。

「しっ」と。

 人差し指を唇に当てて顔をしかめたのは、やはりというか、縁結びカフェで出会った文車・キヨさんだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

【短編】悪役令嬢と蔑まれた私は史上最高の遺書を書く

とによ
恋愛
婚約破棄され、悪役令嬢と呼ばれ、いじめを受け。 まさに不幸の役満を食らった私――ハンナ・オスカリウスは、自殺することを決意する。 しかし、このままただで死ぬのは嫌だ。なにか私が生きていたという爪痕を残したい。 なら、史上最高に素晴らしい出来の遺書を書いて、自殺してやろう! そう思った私は全身全霊で遺書を書いて、私の通っている魔法学園へと自殺しに向かった。 しかし、そこで謎の美男子に見つかってしまい、しまいには遺書すら読まれてしまう。 すると彼に 「こんな遺書じゃダメだね」 「こんなものじゃ、誰の記憶にも残らないよ」 と思いっきりダメ出しをされてしまった。 それにショックを受けていると、彼はこう提案してくる。 「君の遺書を最高のものにしてみせる。その代わり、僕の研究を手伝ってほしいんだ」 これは頭のネジが飛んでいる彼について行った結果、彼と共に歴史に名を残してしまう。 そんなお話。

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭
キャラ文芸
 ――此処はかつての讃岐の国。そこに、古くから信仰の地として人々を見守って来た場所がある。  弘法大師が開いた真言密教の五大色にちなみ、青黄赤白黒の名を冠した五峰の山々。その一つ青峰山の近くでは、牛鬼と呼ばれるあやかしが人や家畜を襲い、村を荒らしていたという。  やがて困り果てた領主が依頼した山田蔵人という弓の名手によって、牛鬼は退治されたのだった。  青峰山にある麺処あやかし屋は、いつも大勢の客で賑わう人気の讃岐うどん店だ。  ただし、客は各地から集まるあやかし達ばかり。  早くに親を失い、あやかし達に育てられた店主の遠夜は、いつの間にやら随分と卑屈な性格となっていた。  それでも、たった一人で店を切り盛りする遠夜を心配したあやかしの常連客達が思い付いたのは、「看板娘を連れて来る事」。  幽霊と呼ばれ虐げられていた心優しい村娘と、自己肯定感低めの牛鬼の倅。あやかし達によって出会った二人の恋の行く末は……?      

溺愛彼氏は消防士!?

すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。 「別れよう。」 その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。 飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。 「男ならキスの先をは期待させないとな。」 「俺とこの先・・・してみない?」 「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」 私の身は持つの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。 ※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。

あやかし坂のお届けものやさん

石河 翠
キャラ文芸
会社の人事異動により、実家のある地元へ転勤が決まった主人公。 実家から通えば家賃補助は必要ないだろうと言われたが、今さら実家暮らしは無理。仕方なく、かつて祖母が住んでいた空き家に住むことに。 ところがその空き家に住むには、「お届けものやさん」をすることに同意しなくてはならないらしい。 坂の町だからこその助け合いかと思った主人公は、何も考えずに承諾するが、お願いされるお届けものとやらはどうにも変わったものばかり。 時々道ですれ違う、宅配便のお兄さんもちょっと変わっていて……。 坂の上の町で繰り広げられる少し不思議な恋物語。 表紙画像は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID28425604)をお借りしています。

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...