狐姫の弔い婚〜皇帝には愛されませんが呪いは祓わせていただきます

枢 呂紅

文字の大きさ
上 下
89 / 92
7章 誰か為の涙

9.

しおりを挟む

 翔龍はようやく十歳になる少年だが、あと数年もすれば立派な青年になる。

だからこそ紅焔は、今回の園遊会を皮切りに、翔龍を表舞台に戻そうと考えた。丞相はそれと反対のことを考えていたというわけだ。

「何を言い出すかと思えば。同じだろう。春陽妃と私の間に皇子が産まれた時のため、次の皇帝の座を争う男子を減らそうとした。それも香家のためではないか」

「違います。我が命、いえ、丞相としての矜持をかけて、断言いたします。――私がこのようなことを申し上げたのは、すべて、陛下のおんためにございます」

「…………は?」

 本気で意味がわからなく、紅焔は呆けた。

 戸惑う紅焔に、丞相は重い口を開く。

「陛下は即位なさる前の出来事を……兄君様との最期を悔やみ、ご自身を律しておられると常々感じておりますが、私は真逆に考えております。過程はどうあれ、陛下のご決断は正しいものであったと、私は考えます」

「正しかった? あれが?」

「陛下もご存知の通り、焔翔様の背を最後に押したのは、氾家の先代当主、氾憂帥ユースイにございました。我ら旧北領の香家、旧南領の孫家など、旧西朝以外の家が力をつけることを憂慮した憂帥が、焔翔様を利用し、貴方様を支持する旧北・南領の貴族もろとも中央から排除しようとした。それが、あの者の魂胆にございました」

 言われるまでもなく、紅焔もよく覚えている。忘れられるわけがない。

 氾家は李家、梁家と同じく、旧西朝の家だ。今でこそ力を無くしたが、昔は憂帥の孫娘である麗鈴が焔翔に嫁いだことにより、李家の外戚として幅をきかせていた。

 だが、氾憂帥はその処遇だけでは満足できなかった。彼は野心家で、瑞国の統治においても、李家の真の臣下・・・・である旧西朝の家が中心になって行うべきだと、たびたび先帝・流焔に主張していた。

 けれども実態は憂帥の理想と異なった。李家が楽江統一を掲げた時、まっさきに李家に跪いた香家を、流焔は政治の中枢に重用した。国家統一あと、旧王朝勢力が各地で暴れるのを紅焔が収めた時、共に戦場をかけて武勲をあげた旧南朝の孫家を軍部に取り立てた。

 旧西朝以外の家が力をつけるたびに、氾憂帥は氾家の地位が脅かされると義憤を覚えた。焦りと怒りに突き動かされた彼は、孫娘の伴侶である焔翔に目を付けた。

 その頃には既に、「李紅焔こそ次の皇帝だ」などという噂が巷に流れていた。紅焔と共に戦場を駆ける孫家や、自領の内乱を鎮めてもらった地方豪族が、その噂に賛同した。焔翔と政策的にぶつかることが多かった香家の官僚らも、紅炎皇帝説に好意的な反応を示した。

 小さな積み重ねが、急速に拡大した国の運営に奔走する焔翔の心をすり減らした。いつしか焔翔とその側近は、疑心を紅焔に抱くようになった。

 そこを氾憂帥に利用された。氾憂帥にそそのかされた焔翔は紅焔を討つため刺客を送った。

結果、返り討ちにした紅炎により、焔翔と氾憂帥、他にも焔翔派として紅炎暗殺に加担した大勢が捕えられた。彼らはもう、この世にはいない。

「焔翔様は気の毒ではございました。あの方はこの国の発展を願い、その礎を築くことに全身全霊をかけておいででした。ですが一時、不安に呑まれ、己を駒としか思わない悪臣に耳を傾けてしまいました」

 陛下は違います、と丞相は続けた。

「貴方様は、何が正義で、何が悪かを見極める目をお持ちです。そのうえで、必要に応じて個人の情を捨て、国としての『正しさ』を貫く強さもおありになる。その背中に私は、楽江全土を背負うにふさわしい為政者のあるべき姿を見つけた気がいたしました」

 初めて聞く香丞相の本心に、紅焔は言葉を挟むこともできない。呆気にとられる紅焔を、壮年の丞相は強く見据えた。

「どうせこの世は血にまみれております。人の世と地獄に、どこに違いがありましょうや。その地獄の中で、正しさを知りながら国の為に自分を殺せる貴方様を私は尊敬いたします。――だからこそ、貴方様の御世を脅かすものを、私がかわりに排除して差し上げたかった。これだけは、どうしてもお伝え申し上げたかったのです」

 そう言って、香丞相は再び深くこうべを垂れた。

 この壮年の丞相を、父がなぜ「最も信頼に足る臣下」と称したのか、ようやく紅焔は腑に落ちた。丞相には権力への執着や野心はない。誰よりも誠実に、国に仕えている。そういう意味では、信頼できる。

けれども裏を返せば、香丞相は冷徹で公正な為政者だ。国に害があると判断されれば、容赦無く切り捨てる。

 その丞相が、紅焔を尊敬するとはっきり口にした。背筋に薄寒いものを感じつつ、その重みを考える。

(どうせこの世は地獄、か)

 兄が自分を討とうとしていると知った時、紅焔も同じことを思った。

 阿美妃の呪いにより、この地はひととひととが争い、血を流し続けるように定められた。身をもってそれを理解したからこそ、紅焔はすべてを捨てて呪いに抗い、太平の世を実現すると己に誓った。そのために、目の前の犠牲に見ないふりをした。

 だけど、今は違う。

“君は母の解放を望み、俺はこの国に真の平和を望む。入口が違うだけで、何も矛盾しちゃいない。俺たちは協力しあえるはずだ”

 藍玉を引き留めるために叫んだ言葉が、今は紅焔を支えている。

 父が、兄が目指したのは、誰もが笑って暮らせる真の太平の世だ。かつては夢幻に過ぎなかったそれが、藍玉との出会いにより現実味を帯びてきた。

 紅焔は人の王として、藍玉は狐の姫として。それぞれができる方法で、千年の呪いと戦っている。

 だから、自分だけいつまでも、絶望しているわけにはいかない。

「忠心には感謝する。だが、そなたの目指す落とし所を、受け入れることはやはりできない」

「陛下! なぜ……」

「これまでが地獄だからとて、この先も地獄であることを私は良しとしないからだ」

 紅焔が言い切ると、香丞相は目を丸くした。その一言だけで、香丞相は紅焔が阿美妃の呪いに抗うつもりだと伝わったようだ。

 だから、と紅焔は続ける。

「こたびの騒ぎは徹頭徹尾、幽鬼によるものであるほうが、私には好ましい。鬼通院に手柄をあげさせ、繋がりを深くし、いつの日か共に阿美妃の呪いを祓うための足がかりとしたい」

「本気、にございますか?」

「このようなこと、冗談で言うと思うか」

「いえ、ですが……」

「千年、呪いが続いたからか。それを言うなら、楽江の地は千年戦乱が続き、華の国以来統一されることはなかった。それを打ち破ったのは誰だ? 我ら李家と、その元に集ったそなたたちだ」

 勝機はある。

 千年の呪いに抗い、楽江の地が統一された。鬼通院には、生まれ持っての天才と言われる淵春陽もいる。そして楽江の統一と同じくするように、――運命に導かれるように、藍玉という狐の姫までもが現れた。

 すべてが重なりつつある。千年の呪いを解くための鍵が、惹かれ合うように集まっている。

 この偶然の意味は、必ずある。

 若き皇帝の決意が固いことを理解したのだろう。驚きに言葉を無くしていた香丞相は、やがて眩しいものを見るように目を細めた。

「陛下のお考え、よく理解いたしました。――私の考えが浅はかにございました。すべて、貴方の望まれるままに。貴方を主君と仰ぎ見る幸運に、心から感謝致します」

「二人を牢から出してくれるな?」

「今すぐに」

 香丞相が牢の近くの衛兵に合図を送ると、衛兵が腰の鍵を持ち上げた。ガチャリと音がして錠がはずれ、鉄格子が開いた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します

矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜 言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。 お互いに気持ちは同じだと信じていたから。 それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。 『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』 サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。 愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。

雇われ側妃は邪魔者のいなくなった後宮で高らかに笑う

ちゃっぷ
キャラ文芸
多少嫁ぎ遅れてはいるものの、宰相をしている父親のもとで平和に暮らしていた女性。 煌(ファン)国の皇帝は大変な女好きで、政治は宰相と皇弟に丸投げして後宮に入り浸り、お気に入りの側妃/上級妃たちに囲まれて過ごしていたが……彼女には関係ないこと。 そう思っていたのに父親から「皇帝に上級妃を排除したいと相談された。お前に後宮に入って邪魔者を排除してもらいたい」と頼まれる。 彼女は『上級妃を排除した後の後宮を自分にくれること』を条件に、雇われ側妃として後宮に入る。 そして、皇帝から自分を楽しませる女/遊姫(ヨウチェン)という名を与えられる。 しかし突然上級妃として後宮に入る遊姫のことを上級妃たちが良く思うはずもなく、彼女に幼稚な嫌がらせをしてきた。 自分を害する人間が大嫌いで、やられたらやり返す主義の遊姫は……必ず邪魔者を惨めに、後宮から追放することを決意する。

処理中です...