68 / 90
6章 雨濡れの迷い子
2.
しおりを挟む「白の一族にも何か知っていることはないか聞きましたが、無駄でした。そもそも千年前のことですし、彼らは里を出て行った者には基本的に無関心です。同族を呪いの化身に貶められたことは怒ってはいましたが、母が嫁いだあとのことはよく知らないそうです」
肩をすくめて、藍玉はやれやれと首を振る。
白の一族というのは、阿美妃が連なる妖狐の一族だ。宗と玉も、その一族から遣わされて藍玉の下に来たと、前に藍玉が話していた。
そういえばと、紅焔は首を傾げる。麓姫は阿美妃が蘇芳帝に嫁いでからの娘だ。そして藍玉は、麓姫の記憶を引き継いではいるものの、両親は完全に人間だ。
「君は前世と今世、どちらも人間の中で育ったんだよな。白の一族の里には、行ったことはあるのか?」
「ありませんよ。宗と玉を通じて里長とやりとりしたことはありますが、私自身は、里の場所すら知りません」
「前に、里は仙脈のどこかにあると聞いたが……」
「引越ししたんです。母があんなことになってから、里長は一族が人間と関わるのを禁じました。だから里も、今度は決して人間が立ち入れない場所にしたそうです」
里長の人間排除はかなり徹底している。玉と宗も、藍玉のそば付きとして人里に出る時、里長により里の場所に関する記憶を消されたというから相当だ。
「あくまで一時的、彼らが帰郷したいと里長に願えば、遠隔で解除できる術式でありますが。とはいえ、二人を私のもとに送るのは苦渋の選択だったようです」
「じゃあ、里長は君のことも……?」
「本心では、よく思ってないんじゃないですか。しかし、郷里での母――阿美狐は、白子一族内でもそこそこ位の高い狐だったみたいです。里長は私にも、人間の世を完全に捨てて、一族のもとで狐として暮らすよう告げました」
だが、千年前の真実を調べるには、人間との関わりを断つわけにはいかない。だから藍玉の里行きは、「保留」という形で断ったそうだ。
(保留、か)
その一言が思いのほか胸に突き刺さり、紅焔はしばらく瞼を伏せた。
つまり、いずれ藍玉は、人間との関わりを絶って狐の里へ帰るつもりなのだ。
しかし、考えてみれば何も不思議なことはない。こうして話していても、藍玉は阿美妃の娘としての自分に重きを置いている。ひとつ目の狐事件の時だって、正体がバレたことで紅焔のもとを去ろうとしていた。
天宮城に残る判断をしたのだって、彼女が切実に助けを必要としていたからであって、別に紅焔への情があってのことではない。加えて、これまでの付き合いから察するに、彼女は一度こうと決めたことには頑固だ。
(わかってはいたが、凹むなぁ)
今更のように落ち込む紅焔に、藍玉は不思議そうに首を傾げる。けれども次の瞬間、彼女は何かを思い出したように、ポンと手を打った。
「宗から聞きました。旦那さま、劉生兄さまのことも調べていたそうですね」
「劉生兄さま?」
その親しげな響きに一瞬ピンとこなかったが、すぐにそれが華劉生のことだとわかった。
華劉生は白の一族の里を発見した探索隊のひとりであると同時に、かくいう阿美妃を処刑した張本人である。藍玉にとっては、敵のような相手のはずだが。
「やはり、親しかったのか?」
「ええ。劉生兄さまは、都になんの後ろ盾のない母のことをとても気にかけ、私のことも娘のように可愛がってくれました」
記録に残る華劉生は、蘇芳帝とは二十歳近く年の離れた、大層しなやかで美しい男だ。はじめは位の低い母の元に産まれた末端の皇子として苦労するが、後に蘇芳帝に取り立てられ、将軍にまで登り詰める。
けれども北領の軍司令を命ぜられて都を離れた数年後、彼は大軍を率いて都に登り、蘇芳帝、阿美妃の首を次々にはねた――
「私も、生まれ変わってから色々と調べて、一番驚いたのが劉生兄さまのことです。あの大軍を率いていたのが……母を処刑したのが劉生兄さまとは、まさか思いませんでした」
気になるのは、やはりその点だ。
蘇芳帝の首をとったまでは、まだわかる。晩年の蘇芳帝は暴君として伝わる。伝承にあるような義憤のためか、皇帝の座を狙ってのことかはわからないが、暴君が身内や臣下に討たれることは歴史上ままあることだ。瑞の国もまさに、紅焔の父が主君に反旗を翻したことで成った国である。
しかし華劉生は、なぜ阿美妃をも処刑したのか。
蘇芳帝の治世が荒れるにつれ、妖術により皇帝を操る悪女として、世間から阿美妃に向けられる目は厳しくなった。だが、阿美妃とその娘を長年気にかけてきた劉生が、その噂を鵜呑みにするとも考えづらい。
蘇芳帝の暴政により怒りを募らせてきた諸侯や大臣らをまとめるためには、次に恨まれる阿美妃の命も奪わざるを得なかった……。そういう可能性もあるが、阿美き妃を捕らえた三日後には処刑する素早さは、あまりに躊躇いがなさすぎる。
「華劉生は君の母を気にかけていたと言ったが、その関係に何か変化はなかったか?」
「私が知る限り、ありません。私が最後に兄さまに会ったのは、あの方が北領に向かう前です。その日も、兄さまは私たち親子に優しかったですし、年々おかしくなる皇帝のもとに私たちが残ることを案じていました」
だとしたら、ますますわからない。阿美妃のことは、幽閉するなり都から遠ざけるなり、いくらでもやりようはあったはずだ。
(残るは、阿美妃と自分のことで、周囲に気取られたくない何かがあったかだが……)
かなり悩んでから、紅焔は思い切って藍玉に問いかけた。
「母君と華劉。二人の間に、妃と義理の弟以上の特別な関係があった。もしくは華劉生が君の母に、義理の姉に向ける以上の感情を抱いていた。――そういう素ぶりはなかっただろうか」
藍玉の水晶のような大きな瞳が、ついと紅焔を見据える。その眼差しの強さに、紅焔は一瞬怯みそうになった。
紅焔だって、この質問を藍玉にぶつけるのは躊躇われた。彼女にしてみれば、愛する母と叔父とを同時に侮辱されたようなものだ。
けれども緊張して待つ紅焔に、藍玉は意外なことにふっと笑いを漏らした。
1
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
デリバリー・デイジー
SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。
これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。
※もちろん、内容は百%フィクションですよ!
拝啓、隣の作者さま
枢 呂紅
ライト文芸
成績No. 1、完璧超人美形サラリーマンの唯一の楽しみはWeb小説巡り。その推し作者がまさか同じ部署の後輩だった!
偶然、推し作家の正体が会社の後輩だと知ったが、ファンとしての矜持から自分が以前から後輩の小説を追いかけてきたことを秘密にしたい。けれども、なぜだか後輩にはどんどん懐かれて?
こっそり読みたい先輩とがっつり読まれたい後輩。切っても切れないふたりの熱意が重なって『物語』は加速する。
サラリーマンが夢見て何が悪い。推し作家を影から応援したい完璧美形サラリーマン×ひょんなことから先輩に懐いたわんこ系後輩。そんなふたりが紡ぐちょっぴりBLなオフィス青春ストーリーです。
※ほんのりBL風(?)です。苦手な方はご注意ください。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる