狐姫の弔い婚〜皇帝には愛されませんが呪いは祓わせていただきます

枢 呂紅

文字の大きさ
上 下
64 / 93
5章 無限書庫

9.

しおりを挟む

 入念な打ち合わせにより、手順の確認を行い。

 紅焔らは、改めて書庫係の霊の背後に立っていた。

 これまでと同じく、扉を開けただけでは書庫係の霊は反応しない。こちらに背を向けたまま茫然と立ち尽くす姿を前に、宗がこそりと紅焔に囁いた。

「ねえ。旦那さま、本気でやるつもり?」

「ああ。試してみる価値はある」

 紅焔も小声で囁き返す。霊がこちらに気付き、飛び掛かってくるまでは一瞬だ。その動きを見極めるためにも、こちらのペースで幽霊に刺激を与えたい。

(部屋の両側に並ぶ書棚。中央には机と二脚の椅子……。ほかの部屋と違うのは、俺たちと机の間に彼がいるだけ。問題ない。何度も、別の部屋で頭に叩き込んだ通りの位置取りだ)

 書庫係の霊は依然として動かない。緊張を逃がすために紅焔は深く息を吸い込み、長く静かに吐き出した。

(行くか!)

「宗!」

「了解!」

 紅焔の合図に叫んで、宗が勢いよく禁書庫の中に足を踏み入れる。

 途端、書庫係の霊がぐりんと体を回転させ、宗めがけて・・・・・咆哮した。

(そうなるよな!)

 書庫係の霊は、宗と紅焔、足を踏み入れたほうに反応する――。これは、これまで何度も試した中でわかったことだ。そして二人一緒にいるからわかりにくいが、飛びかかってくる先も足を踏み入れた側だというのもわかっている。

 だからこそ宗も、慌てる素振りなく叫んだ。

「旦那さま、今!」

「そうだな!」

 言うが早いが、紅焔は一気に床を蹴って禁書庫に飛び込んだ。すでに書庫係の霊は、宗に向けて飛び出している。一瞬、落ちくぼんだ双眼の奥から鋭い眼差しが紅焔に向けられた気がしたが、さすがの幽霊もいまさら勢いを消すことはできない。

 おかげで紅焔は、かつて戦場を駆けた体の軽やかさも相まって、なんの問題もなく幽霊の横を通り抜けることができた。

 それでも、生者としてはあり得ない反応速度で書庫係の霊が体を捻り、鋭い爪の先を紅焔に向けるのをビリビリと背中に感じた。それでも紅焔は迷いなく床を蹴り、次の瞬間、襲い掛かる腕をかいくぐって机の下へと滑り込んだ。

(よし! 狙い通りだ!)

「宗!」

「わかってるって!」

 紅焔に言われるまでもなく、宗も机の下に遅れて飛び込んでくる。彼もまた、書庫係の霊が紅焔に気を取られた隙を狙ったのだ。

 飛び込んでくるやいなや、宗は床に両手をつけて叫んだ。

「強化!!!!!」

 ぶわりと宗を中心に床に魔術陣が浮かび、呼応するようにして木製の机が淡く光った。紅焔が顔をあげた時、机の脚の向こうにいる書庫係の霊と視線が交わった。改めて紅焔らに襲い掛かろうと身構えてはいるが、心なしかその瞳に戸惑いの色が見える。

 ここまで来たら、もう慌てる必要はない。

 紅焔らがこの部屋から逃げ出さなかったことで、強制的に終焉の幕が下ろされた。

「ギャアアアァァァアアウガッ!」

 二人に飛びかかろうとした書庫係の霊が、次の瞬間、落ちてきた書棚に潰されて見えなくなる。同様に、まるですべてを押しつぶしてしまおうとするかのように、机の上にも、横にも、書物や壊れた書棚の破片やらは滝のように降り注ぐ。

 ミシリと嫌な音を立てる机に、紅焔は思わず叫んだ。

「耐えろ、宗! あと少しだ!」

「言われなくても!」

 宗の滑らかな頬を汗が滑り落ち、床に浮かぶ魔術陣の光が強くなる。

 永遠に続くかに思われた瓦礫の雪崩のあと、ついに辺りは完全な沈黙に包まれたのだった。





 天井も、書棚も、何もかもが崩れ落ちた禁書庫の中央で。不自然に盛り上がった瓦礫の下、こほり、と誰かが小さく咳をする。

 次の瞬間、積み上がった書物の山がどさどさと音を立てて崩れ、中から紅焔と宗の二人が這い出した。

「あ~~~~~っ! 死ぬかと思った~~~~っ!」

 外に這い出した途端、宗が崩れた書物のうえに大の字になって寝転ぶ。その言葉に嘘はないようで、宗の襟のあたりは汗でびっしょり濡れている。

 さすがにそれを茶化すつもりにもなれず、紅焔も地面に片膝を立てて座り込み、慰めるように宗に笑いかけた。

「よくやった、宗。お前の強化呪文がなければ、俺たちは机ごと潰されてたかもしれない」

「ほんっっっっと、それな!!!! だからボクは、この作戦は無謀だって言ったんだ!」

「しかし、春明が『机の下に隠れろ』と言ってただろ? だから、なんとかなるんじゃないかと思って」

「どう考えても、なんとかならない勢いだったでしょ!? まーったくさー! 姫さまが旦那さまのことほっとけないの、なんかわかっちゃったよ。あんた本当に、危なっかさすぎ!」

 ぎゃんぎゃんと喚いていた宗だが、不意に口をつぐんだ。その視線の先を追った紅焔も、無意識に背筋を正す。

 宗が見つめる先、瓦礫で積まれた床の上には、書庫係の霊が項垂れるようにして座っていた。

 毎度崩れた書庫の下敷きになっていた彼が、こうして五体満足で姿を見せるのは初めてのことだ。動揺した宗が、ちょんちょんと紅焔の衣の裾を引く。

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと。なんで、あいつが普通にいるのさ。この部屋で・・・・書庫の雪崩を・・・・・・耐えれば・・・・幽鬼は消える。旦那さま、そう言ったよね?」

「…………」

 紅焔はじっと書庫係の霊を見つめた。先ほどまでの半狂乱の姿が嘘のように、彼は俯いたまま沈黙している。ややあって紅焔は、ふっと肩の力を抜いた。

「大丈夫だ。彼に、もう俺たちに飛び掛かる理由はない」

「はい? どういうこと?」

「いいから、そこで待ってろ」

 言い置いて、紅焔は瓦礫の山を慎重に抜け、沈黙する書庫係の霊に近づく。宗は何か言いたそうな顔をしたが、紅焔の好きにさせることを選んだらしい。霊の真正面に立った紅焔は、項垂れる書庫係の顔を覗き込むように床に膝をついた。

 静かだと、紅焔は思った。風のない夜の湖面のように凪いでいて、荒ぶるものは何もない。その静かさに敬意を払うよう努めて、紅焔もまたそっと言葉をつむいだ。

「大儀であった」

 書庫係は動かない。聞いているのか聞いていないのかわからない頭頂に、紅焔はおだやかに続ける。

「そなたは、余とこの者が瓦礫の下敷きとならぬよう、守ろうとしてくれていたのだろう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します

矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜 言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。 お互いに気持ちは同じだと信じていたから。 それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。 『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』 サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。 愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

処理中です...