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3章 ひとつ目の狐
12.
しおりを挟む都にいくつか点在する兵部の詰所のうち、最も鬼通院に近しい詰所に、異形に殺された犠牲者の遺体は安置されていた。
ひと月も経っても遺体が残っていたのは、遺体がカラカラに干からびていたために腐敗の心配がなかったというのと、鬼通院の術師が埋葬前に邪気を祓う必要があるためだ。
「過去には、ひとつ目の狐に殺された死体が、数か月たってから墓を這いだして都を徘徊したという記録も残っているそうです」
遺体が置かれた小屋に案内してくれる治安武官が、そう言ってぶるりと体を震わせる。彼とはもともと顔見知りで、紅焔が詰所の入り口で城の遣いであることを示す札を見せつつ彼の名を告げたら、しばらくして仰天した彼が奥から飛び出してきた。
どんどん裏手へと案内されていることをヒシヒシと感じながら、紅焔は治安武官に尋ねた。
「だから、犠牲者の遺体は見つかった場所と関係なく、この詰所に集められるのか」
「はい。ここは鬼通院と近く、定期的に呪術師が死体を置く小屋に結界を張り直してくれます。邪気祓いの儀式が整うまでの間、奥の小屋に死体を閉じ込めておけるのですよ」
「邪気祓いの儀式、ですか。名前だけは大仰ですね」
紅焔の後ろで、ぼそりと藍玉が毒を吐く。今の彼女は、紅焔が貸した深い藍色の衣で男装している。長い髪も結わえて被り物の下に隠しているので、年若い美少年のようだ。
詰所の者には、藍玉は「新しい近衛武官であり、この服は変装」と説明してある。不服そうに鼻を鳴らす藍玉に、前をいく治安武官は眉尻を下げて苦笑した。
「呪いだとか怨霊の類は、私らにはどうしようもないものだからねえ。準備が整うまで待てと言われれば、そうするより仕方がないんだよ」
「おおかた呪符で封じられる程度の穢れだからと、後回しにしているだけでしょう。この程度、流しの術師でもどうにかできますよ」
「あんたは妙なことを言うねえ。まるで、あんた自身に呪術の覚えがあるみたいだ」
「いえ……」
感心したように頷く近衛武官に、藍玉は曖昧に目を逸らす。その間にさりげなく入り、紅焔は近衛武官を急かした。
「それで、死体のある小屋はそろそろだろうか?」
「もうすぐそこにございますよ」
事前に聞いていたように、古屋の扉は大きな錠前がかかる太い鎖で厳重に閉じられたうえ、隙間を埋めるようにして無数の護符が貼られている。
皇帝自ら来てしまったので顔馴染みの彼が応対してはくれたが、基本は小屋に近づきたくないのだろう。恐々と鍵を開ける武官の後ろで、紅焔はちらりと藍玉を盗み見た。
(やっぱり、少し不機嫌だよな?)
飄々としていて何を考えているのか推し量りにくい藍玉だが、先ほどからちょいちょい発言にトゲがある。なにより形のよい小さな唇がちょんと尖っている。正直かわいい。
(……かわいい、は余計だとして)
不思議そうに藍玉に見られる横で、紅焔はこほんと咳払いする。
藍玉がトゲのある言葉を発するのは、鬼通院に対して何かを言う時だ。そういえば淵春明と紅焔が顔を合わせた日も、藍玉はすぐに飛んできた。あれはひとつ目の狐のことを彼女に知らせなかったせいだと思ったが、依頼先が鬼通院であることも少なからず影響していたのだろうか。
そんなことを考えていたら、ジャラリと重苦しい音が響いて、鎖が外れた。
「お待たせいたしました、陛下。……大変申し訳ありませんが、この中には、その、私は……」
「問題ない。死体の確認は、我々だけで行う」
紅焔が答えると、武官は人の良さそうな顔を見るからにホッとさせた。それほどにひとつ目の狐は彼らにとって身近な怪談であり、それへの恐れが骨身に染みているのだろう。
少し離れたところから治安武官が心配そうに見守る中、背後の扉が閉まる。じめりと空気までもが重い小屋の中に、藍玉と紅焔だけが――正確には、加えて犠牲者たちの骸だけが、残された。
(彼らが、狐に喰われた……)
彼らの上には布がかけられているが、その端からは黒く変色し、骨のように細くなった手足が覗いている。布の上には壁にベタベタと貼られているのと同じ呪符が置かれており、かなり異様な光景だ。
紅焔が死体に近づこうとすると、藍玉がさっと手を上げた。
「旦那さまはここでお待ちを。念のため、室内のものには触れないでください」
「この程度、流しの呪術師でも対処できるとかどうとか言ってなかったか?」
「呪術の覚えがある人間なら恐るるに足らず、という意味ですよ。旦那さまはど素人なんだから、ちゃんと怖がってください」
「へいへい。お好きにどうぞ」
紅焔が両手を掲げて下がるのを確認してから、藍玉は改めて死体の横にしゃがみこむ。そのまま彼女はためらうことなく、バサリと布を取り払った。
(なるほど、これはすごいな)
戦場で死体を見慣れている紅焔ですら、思わず顔をしかめてしまう。それほど犠牲者たちの姿は異様に映った。
全身が干からび黒く変色しているのは、永倫から聞いていた通りだ。加えて、犠牲者たちの顔は一様に、恐怖と苦悶を綯い交ぜにしたような表情で歪んでいる。これが、千年を超える呪いから生まれたモノに殺されるということかと、背筋が寒くなる光景だ。
彼らに、藍玉はしばし手を合わせて祈る。それから、改めて死体を確かめ始めた。
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