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2章 霊憑きの髪飾り

8.

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 その夜、紅焔は不思議な夢を見た。

 自分は子供で、あたりは夜だ。なのに周囲がはっきり見えるのは、眼下に広がる都を舐めるように呑み込む炎の海が、夜空の蒼さえも紅く染め上げているから。

 呆然と立ち尽くす視線の先、火の海の中心で、めらめらと燃える巨大な狐が炎の中から頭をあげる。

 まるで水滴を払おうとするように、巨大な炎の狐はぶるりと首を振る。それにより炎の塊が撒き散らされ、見張り台と思われる高台が新たな炎に包まれた。

“かあさま!”

 隣を駆け抜けていった十歳ほどの少女が、崖のぎりぎりのところで張り裂けるような声で叫んだ。

 当然ながら狐にその声は届かない。狐は悠然と首を巡らせ、自身が生み出した炎の海を眺めている。それが悲しくて、潰れそうなほどに胸が苦しくて、少女は再び叫ぶ。

“やめてください、かあさま! 呪いになど呑まれないで……!”

 狐が咆哮する。空を裂き大地を破るような、激しい怒りに満ちた叫び。一度低く構えた炎の狐は、次の瞬間、大火に染まる空に力強く飛翔する。

 数多の嘆きと憎しみを呑み込む、哀しきも美しき空。そこにいくら手を伸ばせど、声は届きようもない。ちっぽけな人間を置いて、狐はどこまでも高く昇っていく――。
 



 妙に鮮明な夢だ。初めて見る光景のはずなのに、なぜかそうでもない気もする。知らない都。知らない空。それが、無性に胸をかき乱す。

 もしかしたら、これも霊憑きの簪のせいだろうか。そう。簪だ。胡伯が持ってきた簪に取り憑く霊は、果たして麓姫なのか、そうではないのか。それを確かめるため、夢枕に現れる霊を藍玉と待ち受ける。それが、今夜の目的だったはずだ。

 では、肝心の麓姫はどこにいる?

 夢現にぼんやりと考えたとき、誰かに揺さぶられるのを感じた。

「旦那さま。目を開けてください、旦那さま」

「……………ん」

「簪に憑く霊が、私たちに会いに来ましたよ」

 頭が理解した瞬間、紅焔はぱっと目を開く。

 途端、薄闇の中、漆黒の髪が枝垂れのように頭上に揺れているのを見て、紅焔は「ぎゃあ!」と叫んだ。

(で、出やがった!!)

 見れば見るほど、お手本のような幽霊だ。長い髪で顔は見えず、あちこち擦り切れた衣からは、生きている人間とは思えない青暗く変色した手がのぞく。

 こわい。シンプルに、薄気味悪い。

 青ざめて固まる紅焔の肩を、再び誰かが控えめに引いた。

「大丈夫ですか、旦那さま。落ち着いてください。例の亡霊です。簪の霊が、枕元に現れたのです」

「藍玉……」

 美しい面差しに普段通りの涼しい表情を浮かべた藍玉が傍に座っているのに気づき、紅焔はかなり、ものすごくホッとした。

 そうだった。ここは春陽宮で、胡伯から購入した簪に取り憑くという霊に会うため、藍玉と一緒に床に入ったのだった。

 というか。そうじゃなくて。

「なんで霊が普通にいるんだ? 簪の霊はたしかあれだろう。夢枕に立つとか、持ち主を金縛りにあわせるとか……なんだこれ。思い切り、目の前にいるじゃないか!」

 寝床から這い出て距離をとりつつ、陰鬱な空気を纏って枕元で沈黙する亡霊を、紅焔は気味悪く見つめた。

 ――うん、いる。何度瞬きしても、目を擦っても、ぼろぼろに荒れた衣を身につけた女が、顔が見えないほどに深く項垂れ、枕のすぐ近くにどんよりと座っている。

 理不尽な怒り方をする紅焔に、藍玉はしかし、軽く肩をすくめてみせた。

「これ、夢の中ですよ」

「はあ!?」

「正確にいえば、私の夢の中です。旦那さまが部屋にいらっしゃる前に、寝床の周りに夢繋ぎの術をかけておきました。簪に取り憑く霊がどちらかの夢に現れたら、もうひとりが相手の夢の中に入れるようにしたのです」

「ここが君の夢の中……? いや。たしかに、君ならそういうこともできそうだな」

 思い直して、紅焔は辺りを見渡す。ここが夢だというなら、なんと再現度が高いことだろう。自分と藍玉、そして春陽宮にある寝室まで、なにもかもが寝る前に見た景色のままだ。

 だが言われてみれば、体を動かすと少しだけ違和感がある。例えるなら、手足に触れるものすべてが薄い膜の向こうにあるような感じだ。

「ここが春陽宮なのも、君の術が関係しているのか?」

「いえ。私の術式は、あくまで旦那さまと私の夢をつなぐというもの。この光景は、おそらく霊の仕業でしょう」

「あの霊が、わざわざこの光景を俺たちに見せていると? なんでまた、そんなことを」

「なぜかはわかりません。眠る前と同じ場所であることが重要なのか、もしくは春陽宮で・・・・あること・・・・ことが必要なのか。どちらにせよ、答えは彼女が教えてくれるでしょう」

「彼女ね……うわあ!?」

 藍玉につられて女の霊に視線を戻した紅焔は、知らない間に女の霊が自分たちの真横に立っていることに気づき、思わず腰を抜かしそうになった。
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