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1章 呪われた皇帝

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 ――そしてついに、紅焔は耳にしてしまった。来る新月の夜。兄と、兄の側近の一派が、夜襲により紅焔を亡き者にしようとしていると。

 ああ。太平の世など。真の平和など、夢幻に過ぎないのだと、紅焔は心から理解した。

 確かに、この地は呪われている。千年もの昔、太古の大妖狐が呪いをかけたように、ひとは憎しみあい、互いで互いの血を洗い流すようにできている。たとえ仮初の平和が大地に満ちようと、必ず不安の種が芽吹き、新たな火種がそこに生じるのだ。

 その日、紅焔は明確に夜叉となった。父を支えるためでもなく、ましてや兄への憧れのためでもなく、自らが信じる太平の世のため、紅焔は剣を手に立ち上がると決めた。

 そして、来る新月の夜、暗殺者を捕らえた紅焔はその足で兄の住む東宮へと攻め入り、兄とその協力者たちを一網打尽にした。

“すまなかった、紅焔! 兄が愚かだった!”

 処刑の朝、縛られ、処刑場に連れてこられた兄は、紅焔を見るなり涙を流して懇願した。

“お前を信じることができなかった、俺の心の弱さがいけなかった! 許してくれ、紅焔。二度と、お前を疑わない! 二度と、お前を裏切らない! 俺は、お前を……!”

“残念ですが、兄上”

 絶望と恐怖に目を見開く兄に、紅焔は冷徹に剣を構えた。

“私が目指す太平の世に、皇帝は二人も不要なのですよ”

 ためらいなく刃は振り下ろされ、紅焔の顔には生暖かい兄の血が飛び散った。

 兄の処刑から十日後、紅焔は父に譲位を迫った。父が、次の皇帝は焔翔だと改めて明言すれば、兄はあんな強硬策に出なかった。

 なのに紅焔を支持する者がかつて共に戦場を駆けた戦友に多かったせいで、皆の声を邪険にするのを渋った。そのせいで兄は不安に呑まれてしまったのだ。

 父・流焔は、兄の死にすっかり意気消沈していた。だからなのか、紅焔に大人しく皇帝の座を譲り、自ら都をあとにした。父はいま、父の母方の縁戚が管理する、隠州島という小さな島で細々と余生を送っている。

 ――冷酷無慈悲の、血染めの夜叉王。瑞国の二代目皇帝となった紅焔は、いつしかその名で呼ばれるようになった。

 永倫は「何も知らない連中が、好き勝手いいやがって」と怒るが、紅焔はその名を、これ以上なく自分にふさわしいと思う。

 実の兄の首をはね、この手を鮮血に穢した。愛する息子の死に呆然とする父を都から追い出し、皇帝の座を奪った。自らの目指す『太平の世』を優先するあまり、血を分けた家族を蹴落とした自分に、これほどふさわしい呼び名はない。

 ああ。だからこそ。だからこそ、だ。

 俺は呪われて当然だと、安堵する自分もいるのだ。
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