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66.新しい世界にお呼ばれしまして。

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「ギルベール儀典長のお孫さん、ですか?」

 その夜。いつものようにカウンターに座るエリアスは、フィアナの話を聞いてエールを飲む手を止めた。彼の前にチョリソーを置きながら、フィアナはこくりと頷いた。

「はい。サラさんっていう、私と同い年の女の子です。お知り合いですよね?」

「……ああ。そういえば、一度だけご挨拶したこともあったような」

「嘘おっしゃい。儀典長をしているおじい様と出席したパーティで、二三回挨拶したことあるって言ってましたよ」

「すみません、見栄張りました。全然思い出せません」

 軽くつついてみれば、あっさりとエリアスは白状する。つくづく、フィアナ以外の娘に興味関心が低いエリアスである。開き直った彼は、無邪気に問いかけた。

「その、サラさんがどうしたのですか?」

「今度、おうちにお呼ばれしました」

「へ?」

 さすがにそう来るとは思わなかったのだろう。エリアスはきょとんと瞬きをする。そんな彼に、フィアナは肩にかかる髪をくるりと指でもてあそび、照れくさそうに告げた。

「サラさんのお家で開くお茶会に、参加させてもらうことになったんです。ですので、さっそくダウスさんにマナー講義をお願いしたいのですが……、スケジュールを相談させてもらってもいいでしょうか?」




 話は少々さかのぼる。

 キュリオの店の控室に勢いよく飛び込んできたご令嬢、サラ。彼女はなんと、フィアナが以前、公園で偶然鉢合わせたことのあるギルベール儀典長のお孫さんだという。

 くわえて彼女は、フィアナとエリアスをモデルにした恋愛小説『氷の宰相と春のエンジェル』の大・大・大ファンであった。

「なんとなんとなんとー! まさか本物のエンジェルに会えるなんて!!」

 きらっきらの幸せオーラを放ち、サラは何度目かになる感嘆の悲鳴を上げる。その向かいでは、一冊の本を手にフィアナがふるふると震えている。

 本の題名は、まさしく『氷の宰相と春のエンジェル』だ。

「こ、これは……っ」

「今、王都で最も売れている恋愛小説ですわ、フィアナ様!!」

 顔を青ざめさせるフィアナを置き去りに、サラはくるりと回って歌うように続ける。

「舞台は架空の国・レイズ。若き宰相エリオノールは、天才すぎるがゆえに孤独を抱え、その心は冷たく凍えていました。そんなある日、彼は偶然に町娘フィリアを暴漢から救います。それをきっかけに二人の交流が始まり、いつしか氷の心は甘美な春の息吹に誘われ……!」

「わぁあああぁぁ!! もういいです!! なんかもう、大体わかりましたから!!」

 本を返し、フィアナは後ろに飛び退る。サラは残念そうに「ここからがいいところなのに……」と呟きつつ、愛おしげに本を胸に抱いた。

「『氷の宰相と春のエンジェル』は、いまや街一番のベストセラー。いえ。乙女の聖典、バイブルと言っても過言ではありませんわ。その原典であるリアルエンジェル、フィアナ様にお会いできるなんて、まさに天界の祝福ですわ!!!!」

「うっ、無理……。心がしんどい……」

 限界を迎えたフィアナは、ぺちょんとローテーブルの上に倒れこむ。その隣で、お腹を抱えてひとしきり笑い転げていたキュリオが、ひーひーと肩で息をしながら涙をぬぐった。

「あー、楽しい。サラ様、そのあたりで勘弁してあげて。フィアナちゃん、そろそろ目を回して倒れちゃいそうだわ」

「ひどいわ、マダム。私が『氷の宰相と春のエンジェル』の大ファンだってこと、この間話したのに。フィアナ様とお友達なら、もっと早く紹介してくれてもいいじゃない」

「こうなることがわかっていたからですわ! 大丈夫、フィアナちゃん? ほら、お水飲みましょ。すっきりして、頭も冷えるわよ」

「う、うう……。すみません……」

 もらった水を一口飲んで、フィアナはもう一度ローテーブルに潰れる。その肩をぽんぽんと叩いて、キュリオはサラの隣に座った。

「ね? いいとこのお嬢さんっていっても中身はこんな感じ。構える必要、全然ないでしょ」

「ちょっとー? どういう意味? 失礼じゃない、マダム?」

「ごめんなさいねえ。ちょうど、フィアナちゃんとそんな話をしていたものだから」

 そういって、キュリオはサラに事情を話して聞かせた。近々、フィアナとエリアスが結婚すること。それに伴い、マナーの特訓を行うこと。フィアナが結婚後の人付き合いに、少々不安を抱えていること。

 すると、既に頂点を迎えていると思われたサラのテンションは、ますます上がりに上がった。

「結婚!? フィアナ様と、ルーヴェルト宰相が!?」

「は、はい」

 ものすごい勢いで詰め寄られ、フィアナは顔を引きつらせながら、なんとか頷く。その隙に彼女は指輪の存在に気づいたらしく、キュリオとは比べ物にならない黄色い悲鳴を盛大に上げた。

「きゃぁぁあぁぁあ! 氷の宰相閣下とエンジェルが! 結! 婚! 公式が強い! 公式の供給が全力でぶん殴ってくるわ……!」

「キュリオさん? この子も、結構個性的な部類に入るんじゃないですか? いいとこのお嬢さんって、みんながみんな、こういう感じじゃないですよね?」

「あはは。まあ、みんな色々よ。色々」

「大雑把!」

 まったく。エリアスといい、サラといい、上流階級に普通の人はいないのだろうか。そのようにフィアナが怪しみだしたとき、サラが勢いよくフィアナの手を掴んだ。

「水臭いですわ、フィアナ様! そうと決まったら、私に力にならせてください!」

「うわぁい。すごく不安しかないけど、力と言いますと……?」

 怯えつつ、フィアナは一応先を促す。反してサラは、人形のように整った顔いっぱいに笑顔を浮かべ、ぐいと身を乗り出してこう言った。

「人付き合いが不安なら、今からお友達を作ってしまえばいいのだわ! どうぞ、フィアナ様! 私の主催するお茶会に、お友達としてご参加くださいな!」




「そんなわけでして。サラさんのお宅に、お邪魔することになったんです」

「お友達として?」

「はい。お友達として」

 こくりと頷き、フィアナは答える。そわそわと髪をもてあそびつつ、フィアナは反応を窺うようにちろりとエリアスを見た。

「せっかく声を掛けてもらったから、出てみたいと思うんです。マナー講座を実践するいい機会ですし、お友達も、出来たら心強いなって……。エリアスさん、どう思います?」

「いいんじゃないですか?」

 即座にエリアスは微笑む。そして、ほんの少し迷いの残るフィアナを安心させるように、カウンター越しにフィアナの顔を覗き込んだ。

「そういうことでしたら、すぐに手配いたします。ダウスもかなり張り切っていますので、スケジュールを詰めてマナー講座を始めましょう」

「っ! 本当ですか!」

「もちろんっ。フィアナさんを全力でサポートするのが、私の務めですから」

 にっこりと麗しい笑みを浮かべ、エリアスが大きく頷く。だが、ほっとしたフィアナが顔を綻ばせたその時、彼はちょっぴり拗ねたように唇を尖らせつつ「ところで」と小首を傾げた。

「儀典長のお孫さんが主催するわけですし、信頼したいとは思うのですが……。サラさん、お茶会のメンバーのことは何か言っていました? どんな方をお呼びすると?」

「え? 聞いてないです。サラさんのお友達、としか」

「ふーん。……フィアナさんと、同い年くらいの男の子もいるんですかね?」

「はい?」

 突然、何を言い出すんだ、この人は。

 目を丸くしてエリアスを見れば、エリアスはぶつぶつと続けた。

「ほら。最近の子は進んでいると言いますし。お茶会も、平気で男女混合でやったりするそうじゃないですか」

「いや、知りませんけど」

「主催が儀典長のお孫さんなのです。当然、呼ばれるゲストも同年代の方。つまりは、どこぞのご子息と、ハイパーミラクルキューティーフィアナさんが出会ってしまう可能性もあるわけでして……」

「いいじゃないですか、別に。何も始まらないんですから。……まさか私、信用されていないんです?」

「してますよ、信用! でも、そういう問題ではなく、胸がもにょもにょするんです!」

 くわっと目を見開いたエリアスは、何やら頭を抱えて、言葉通りもにょもにょと身じろぎしだした。

「お茶会に参加するときのフィアナさん、絶対かわいいじゃないですか。いえ、フィアナさんはいつでも天上の女神のごとく可憐ですけど。でも、当日はおめかしするわけじゃないですか。ちょっぴりお化粧なんかもしたりして」

「そりゃ、しますよ。お呼ばれなんですし」

「それが悔しいんです! だって私、そのフィアナさん見れないんですよ!? それだけでも身がよじれる想いなのに、どこぞのガキんちょがフィアナさんに見惚れて、事もあろうか手でも出そうものなら……! ダメです。考えただけで、血反吐を吐きそうです」

「なるわけないじゃないですか、そんな事態。エリアスさんじゃないんだから」

 口を押えて顔を青ざめさせるエリアスに、フィアナは呆れて腰に手を当てる。けれども、フィアナの冷静な突っ込むも空しく、エリアスは思い切ったようにカウンター越しに身を乗り出した。

「こうしましょう。そのお茶会、私も参加します。サラさんに、エリアス・ルーヴェルトも同席したがっていると伝えていただけませんか?」

「はい!? だめ。だめだめだめ! 大騒ぎになりますって!」

 自分を前にしたときのサラを思い出し、フィアナは慌てて首を振る。もしも『エンジェル』に続いて『氷の宰相』までもが現れたら、彼女は歓喜を通り越して失神してしまうだろう。

 だが、エリアスはしつこかった。

「なぜダメなのですか! サラさん、私たちのファンなのでしょう? ファンサービスとして、めいっぱいイチャイチャしましょう。それで、不届きなお邪魔虫どもも蹴散らしてやるのです!」

「だから! そんなお邪魔虫、心配しなくても出てきませんから!」

「出てきますよ、フィアナさんは最高ミラクル可愛い天使なんですから! あー、いてもたってもいられません。フィアナさんがサラさんにお願いしてくれないなら、私、裏から手を回しますよ? ギルベール儀典長にお願いしちゃいますよ?」

「仕事関係の人に迷惑かけるのはやめましょうね!? 大人げないなあ、ほんとにもう!」

 どうにか断りたいフィアナと、絶対にあきらめないエリアス。二人の無益な押し問答は、そのあとも、エリアスの迎えの馬車が到着するまで続いたのであった。
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