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42.親代わりの人に認められまして。
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さて、一方その頃、シャルツはというと。
「……はあ。やっぱりいいな、この屋敷は。大きさといいしつらえといい、色々とちょうどいいよ。落ち着くわ、ここに来ると」
「御幼少の折りにもいらしたことがあるので、そのように感じられるのでしょう」
「それもあるかもしれないけどさ。一番は、ダウスじいの働きのおかげでしょ。じいはずっと前から、この屋敷に仕えているもんな」
歯を見せて笑いかければ、ダウスは「過ぎたお言葉です」と恭しく一礼。とはいえ、謙遜の奥には屋敷を預かる者としての強い誇りと自負が感じられる。
シャルツが通されたのは、慣れた客間だった。ダウスの言葉の通り、ルーヴェルト夫人が乳母だった関係で、幼少の折りにも何度かこの屋敷に訪れたことがある。そこで、同じくまだ子供であったエリアスに無茶を言って、困らせたこともあったっけ。そんな風に、シャルツは笑いを漏らした。
「んで? ダウスじいには珍しく、さっきからそわそわと落ち着かないな。言っとくけど、二人の邪魔をしに行っちゃダメだよ。俺からのお願い」
「そのようなことは……」
「ない? だったらいいんだ」
澄ました顔で、シャルツは紅茶を口につける。うむ。やはりダウスの淹れる紅茶は、逸品だ。そう、満足げに頷いてから、シャルツはにっと悪戯っぽくダウスを見た。
「ちなみに、質問は許可する」
「――――では、恐れながら」
モノクルをきらりと輝かせて、ダウスが物々しく口を開く。そして、覇者の風格を漂わせて悠然と足を組むシャルツに、ダウスはぐいと身を乗り出した。
「あのお嬢様は、どのような方なのですか。エリアス様は大丈夫なのですか。万が一にも、エリアス様を騙して財産をふんだくろうとするような、悪い女などではないのですか」
「おーお。すんごい溜まっていたな。実に遠慮がない」
愉快そうに笑うシャルツに、ダウスは肩を落とす。
「エリアス様の目は信頼しております。けれども、色恋は時として人を狂わせるもの。エリアス様の熱の上げようを間近に見ておりますと、どうにも心配になってしまうのです」
「まあ、エリアスの奴が恋に落ちて相当狂っちゃっているのは同意するけど」
苦笑をしてから、シャルツは力強く親指を立てた。
「あの子は大丈夫。俺が保証する」
「左様ですか」
当然と言えば当然だが、ダウスは納得できない様子だ。すっかりトレードマークになってしまっている眉間の皺も、いつもよりくっきり深くなってしまっている。そんな彼に、シャルツは少年のような笑みを向かた。
「もっと明るい顔しなって。ダウスじいはエリアスの育ての親みたいなもんだし、色々思うところもあるだろうけど。色眼鏡抜きに、あの二人を見てやってよ。そしたらわかるはずだ。あいつには、あの子が必要だって」
「……善処いたします」
難しい表情のままダウスが頷いたとき、控えめに客間のドアがノックされた。扉を開けて顔をのぞかせたのは、ダウスを探しにきたフィアナである。目当ての人物を見つけた彼女は、相変わらず険しいダウスの表情に少々気後れしつつも伝えた。
「あの、ダウスさん。エリアスさん、目を覚ましました」
「そうですか! ありがとうございます。すぐにかゆをお持ちするとお伝えいただけますか」
「わかりました!」
フィアナは頷き、すぐに顔を引っ込める。それを見送ったところで、シャルツは空になったカップを置いて立ち上がった。
「じゃあな、ダウスじい。俺は帰るよ。エリアスがぶっ倒れた分、戻って働かなくちゃ。フィアナちゃんの送り届けだけ、よろしくな」
「では、お見送りいたします」
「いいよ、ここで。あいつの看病してやって」
「あの、シャルツ陛下」
ひらひらと手を振って、シャルツは部屋を出ようとする。けれども、その背中をダウスが引き留めた。シャルツが振り返ったとき、ダウスは深いしわを刻んだ顔で、王をまっすぐに見つめていた。
「親代わり……というのは、あまりにおこがましい言葉ですが、私にはエリアス様をお守りする義務があります。陛下のお口添えといえども、あの方を見る目はどうしても厳しくなってしまうでしょう」
厳かに言ったところで、ダウスはかっと目を瞠った。
「そのうえで、あの方をみっちりと見極めさせていただきます」
真剣なあまり、かなりの圧を伴って自分を見つめるダウスに、シャルツはふっと笑みを漏らす。それから彼は、もう一度力強く、親指を立てた手を突き出した。
「うん。それでいいよ」
――人知れずそんな約束をして、別れた二人だったのだが。
「ふぃあなさん、あーん。あーんを、してほしいです」
「え、エリアスさん……ダメですって、ダウスさんがびっくりしちゃいますから」
ふとんの中から期待に満ちた目で少女を見上げる主人と、顔を真っ赤にして必死に主を宥める少女。まさか聞こえてしまったのでないかと、顔を真っ赤にしてこちらを気にするお嬢さんに伝えてあげたい。大丈夫です。全部聞こえています。
慌てるフィアナをよそに、エリアスはゆっくりとだが尚も粘る。
「あーんは、おみまいでーとの、てっぱんです。あーんもなしでは、なんのためにかぜをひいたのかわかりません」
「そんなことのために、風邪をひく人間がどこにいますか! エリアスさんだって、わざと熱出したわけじゃないでしょ!?」
「わたしはころんでも、ただではおきません」
「いい心がけですけど、しょうもない!」
頭を抱えるフィアナと、しつこくおねだりを続けるエリアス。そんな二人を、ダウスは無の境地で見つめた。
自分は一体、何を見せられているのだろうか。これが、幼い時分より聡明にして理知的、我ら使用人が誇りをもってお仕えする若き主人、エリアス・ルーヴェルトなのだろうか。
(……落ち着くのだ。エリアス様はもとより、飄々としてユーモアのあるお方ではないか)
これまでの長い経験を振り返り、ダウスはなんとか平静を取り戻す。そうだ。心根が優しく使用人にも気を砕いてくださり、意外にも冗談がお好きな、柔らかな人柄で……。
「ふぃあなさんがしてくださらないなら、かゆはたべません。このまま、ずーっとかぜっぴきのままでいます」
「ああぁあ! またそういうコト言う!」
やっぱり、なんかいつもと違う! ダウスは現実から目を背けるのをやめた。彼はひくひくと強張った笑みを張り付けると、エリアスに声を掛ける。
「エリアス様。もしご自身で食べるのがお辛ければ、私がお手伝いさせていただきます。ですので、フィアナ様に無理にお頼みしなくても……」
助けが必要でなら、私をお頼りください。そのように、やんわりと伝えたつもりだったが。
「……だうすにあーんされても、うれしくないです」
「んなっ!?」
「え、エリアスさん! す、すみません、ダウスさん」
むすりと唇を尖らせたエリアスに代わり、フィアナがあたふたと謝る。冷静に考えて、彼女が謝る要素はどこにもないのだが、衝撃を受けるダウスに申し訳ないと思ったようだ。
しかし、これしきのことで動揺してはならない。なにせ自分は、まだエリアスが幼い時から彼の面倒を見ていたのだ。過ごした年月も、積み重ねた信頼も自分が上。たかだか「あーん」をさせてもらえなかったぐらいで、負けを感じる理由はどこにも――。
「あまえるなら、ふぃあなさんがいいです。だめ、ですか?」
「ぐはあ!!」
「なんかダウスさんがダメージ受けてる!?」
完敗だ。……いや、何にどう負けたのかすらよくわからないが、とりあえず敵わないと思った。ぎりぎりと悔しさをにじませつつ、ダウスは苦渋の表情でミルクがゆをフィアナに差し出した。
「フィアナ様……こちらを……。あなたに、託させていただきます……」
「本当にいいんですか!? いえ、まあ、でも、はい」
ダウスの気迫に圧されつつ、フィアナは神妙な顔をしてボウルを受け取る。そして、照れくさいのかちょっぴりふて腐れた顔をしつつ、それでもしっかりとエリアスに向き合った。
「というわけですので、エリアスさん。食べたらちゃんと寝るんですよ? ぐっすり休むんですよ? 約束してくれるなら、これ食べさせてあげます」
「します。ふぃあなさんとのやくそく、やぶりません」
こくりと頷くエリアスに、なんだかんだ言ってフィアナも表情を緩める。そうやって彼が起き上がるのを助け、枕を背もたれに座らせてやると、改めてほかほかのミルクがゆをスプーンでよそってやった。
「はい。あー……ん」
「あーん」
そろそろと慎重な手つきで差し出されたスプーンを、エリアスがぱくりと咥える。エリアスはゆっくりと味わうように目を瞑ると、こくりと飲み込んでほっと息を吐いた。
「おいしい、です」
「良かった! さあ、どんどん行きますよ。エリアスさんには元気になってもらわなきゃ、私も困るんですから」
「……っ、はい」
エリアスはわずかに息を呑み、それから愛おしそうに微笑んだ。そんな柔らかな表情を見ていたら、ダウスは思い出してしまった。
その昔、まだエリアスが子供だった頃。幼い少年は、大半の時間をひとりで過ごした。
もちろん、宰相の息子として生を受けた彼は、何一つ不自由なく暮らしていた。親が傍におらずともダウスをはじめとする使用人連中が世話を焼いたし、週に二日は家庭教師が屋敷を訪れたりしていた。
しいて言うならば、ただひとつ。家族と呼べる存在との時間が、少年には足りていなかった。
父親は王に。母親は王子に。両親には、それぞれに第一に仕える相手がいた。どれだけ愛が深くとも、自分は二人にとっての「最優先」にはなれない。小さい頃の彼は、どこかでそれを感じ取っていたのだろう。聞き分けのいい、甘え下手な子供。そんな印象を、ダウスはエリアスに抱いていた。
両親の前では笑顔でいるくせに、窓から馬車を見送るときには寂しそうな表情を浮かべる。そんな彼の姿は、どうしようもなくいじらしかった。弱音ひとつ吐かないエリアス少年の、親代わりになれたら。いつしかそんな思いを抱き、接するようになった。
けれども、いまの彼の、幸せそうな笑みを見てしまったら。
(ようやく。ようやく、素直になれる相手が出来たのですね)
じんと胸が熱くなったダウスの目頭に、ほろりと光るものがにじむ。若い二人に気取られないようそっと拭っていると、ふいにフィアナが感嘆の声を上げた。
「良かった! 全部食べられましたね!」
「ふぃあなさんの、おかげです」
慌てて皿の中身を確認すれば、たしかにかゆは綺麗になくなっている。今朝はフルーツを一口食べただけで残してしまったから、心配をしていたのだ。そのようにダウスが胸をなでおろしていると、エリアスがこちらを見た。
「だうすも、ありがとうございます。やはり、あなたのあじは、ほっとします」
ふわりとほほ笑まれてしまったが最後、涙腺が結界した。眉間に皺を刻んだまま、急にだばっと滂沱の涙を流したダウスを、フィアナがぎょっとした目で見る。
「だ、ダウスさん!? 大丈夫ですか!?」
「申し訳ございません。ただ、ただただ、良かった、良かったと……」
「エリアスさん、どんだけダウスさんに心配かけちゃってるんです……?」
「だいじょうぶです。だうすはいつも、こうですよ」
いまだ心配そうにダウスを見つめるフィアナに、エリアスはふわふわと微笑む。
その傍らでダウスは、これからはエリアスだけではなく、エリアスとフィアナ、ふたりの第一の味方であろうと固く誓ったのだった。
「……はあ。やっぱりいいな、この屋敷は。大きさといいしつらえといい、色々とちょうどいいよ。落ち着くわ、ここに来ると」
「御幼少の折りにもいらしたことがあるので、そのように感じられるのでしょう」
「それもあるかもしれないけどさ。一番は、ダウスじいの働きのおかげでしょ。じいはずっと前から、この屋敷に仕えているもんな」
歯を見せて笑いかければ、ダウスは「過ぎたお言葉です」と恭しく一礼。とはいえ、謙遜の奥には屋敷を預かる者としての強い誇りと自負が感じられる。
シャルツが通されたのは、慣れた客間だった。ダウスの言葉の通り、ルーヴェルト夫人が乳母だった関係で、幼少の折りにも何度かこの屋敷に訪れたことがある。そこで、同じくまだ子供であったエリアスに無茶を言って、困らせたこともあったっけ。そんな風に、シャルツは笑いを漏らした。
「んで? ダウスじいには珍しく、さっきからそわそわと落ち着かないな。言っとくけど、二人の邪魔をしに行っちゃダメだよ。俺からのお願い」
「そのようなことは……」
「ない? だったらいいんだ」
澄ました顔で、シャルツは紅茶を口につける。うむ。やはりダウスの淹れる紅茶は、逸品だ。そう、満足げに頷いてから、シャルツはにっと悪戯っぽくダウスを見た。
「ちなみに、質問は許可する」
「――――では、恐れながら」
モノクルをきらりと輝かせて、ダウスが物々しく口を開く。そして、覇者の風格を漂わせて悠然と足を組むシャルツに、ダウスはぐいと身を乗り出した。
「あのお嬢様は、どのような方なのですか。エリアス様は大丈夫なのですか。万が一にも、エリアス様を騙して財産をふんだくろうとするような、悪い女などではないのですか」
「おーお。すんごい溜まっていたな。実に遠慮がない」
愉快そうに笑うシャルツに、ダウスは肩を落とす。
「エリアス様の目は信頼しております。けれども、色恋は時として人を狂わせるもの。エリアス様の熱の上げようを間近に見ておりますと、どうにも心配になってしまうのです」
「まあ、エリアスの奴が恋に落ちて相当狂っちゃっているのは同意するけど」
苦笑をしてから、シャルツは力強く親指を立てた。
「あの子は大丈夫。俺が保証する」
「左様ですか」
当然と言えば当然だが、ダウスは納得できない様子だ。すっかりトレードマークになってしまっている眉間の皺も、いつもよりくっきり深くなってしまっている。そんな彼に、シャルツは少年のような笑みを向かた。
「もっと明るい顔しなって。ダウスじいはエリアスの育ての親みたいなもんだし、色々思うところもあるだろうけど。色眼鏡抜きに、あの二人を見てやってよ。そしたらわかるはずだ。あいつには、あの子が必要だって」
「……善処いたします」
難しい表情のままダウスが頷いたとき、控えめに客間のドアがノックされた。扉を開けて顔をのぞかせたのは、ダウスを探しにきたフィアナである。目当ての人物を見つけた彼女は、相変わらず険しいダウスの表情に少々気後れしつつも伝えた。
「あの、ダウスさん。エリアスさん、目を覚ましました」
「そうですか! ありがとうございます。すぐにかゆをお持ちするとお伝えいただけますか」
「わかりました!」
フィアナは頷き、すぐに顔を引っ込める。それを見送ったところで、シャルツは空になったカップを置いて立ち上がった。
「じゃあな、ダウスじい。俺は帰るよ。エリアスがぶっ倒れた分、戻って働かなくちゃ。フィアナちゃんの送り届けだけ、よろしくな」
「では、お見送りいたします」
「いいよ、ここで。あいつの看病してやって」
「あの、シャルツ陛下」
ひらひらと手を振って、シャルツは部屋を出ようとする。けれども、その背中をダウスが引き留めた。シャルツが振り返ったとき、ダウスは深いしわを刻んだ顔で、王をまっすぐに見つめていた。
「親代わり……というのは、あまりにおこがましい言葉ですが、私にはエリアス様をお守りする義務があります。陛下のお口添えといえども、あの方を見る目はどうしても厳しくなってしまうでしょう」
厳かに言ったところで、ダウスはかっと目を瞠った。
「そのうえで、あの方をみっちりと見極めさせていただきます」
真剣なあまり、かなりの圧を伴って自分を見つめるダウスに、シャルツはふっと笑みを漏らす。それから彼は、もう一度力強く、親指を立てた手を突き出した。
「うん。それでいいよ」
――人知れずそんな約束をして、別れた二人だったのだが。
「ふぃあなさん、あーん。あーんを、してほしいです」
「え、エリアスさん……ダメですって、ダウスさんがびっくりしちゃいますから」
ふとんの中から期待に満ちた目で少女を見上げる主人と、顔を真っ赤にして必死に主を宥める少女。まさか聞こえてしまったのでないかと、顔を真っ赤にしてこちらを気にするお嬢さんに伝えてあげたい。大丈夫です。全部聞こえています。
慌てるフィアナをよそに、エリアスはゆっくりとだが尚も粘る。
「あーんは、おみまいでーとの、てっぱんです。あーんもなしでは、なんのためにかぜをひいたのかわかりません」
「そんなことのために、風邪をひく人間がどこにいますか! エリアスさんだって、わざと熱出したわけじゃないでしょ!?」
「わたしはころんでも、ただではおきません」
「いい心がけですけど、しょうもない!」
頭を抱えるフィアナと、しつこくおねだりを続けるエリアス。そんな二人を、ダウスは無の境地で見つめた。
自分は一体、何を見せられているのだろうか。これが、幼い時分より聡明にして理知的、我ら使用人が誇りをもってお仕えする若き主人、エリアス・ルーヴェルトなのだろうか。
(……落ち着くのだ。エリアス様はもとより、飄々としてユーモアのあるお方ではないか)
これまでの長い経験を振り返り、ダウスはなんとか平静を取り戻す。そうだ。心根が優しく使用人にも気を砕いてくださり、意外にも冗談がお好きな、柔らかな人柄で……。
「ふぃあなさんがしてくださらないなら、かゆはたべません。このまま、ずーっとかぜっぴきのままでいます」
「ああぁあ! またそういうコト言う!」
やっぱり、なんかいつもと違う! ダウスは現実から目を背けるのをやめた。彼はひくひくと強張った笑みを張り付けると、エリアスに声を掛ける。
「エリアス様。もしご自身で食べるのがお辛ければ、私がお手伝いさせていただきます。ですので、フィアナ様に無理にお頼みしなくても……」
助けが必要でなら、私をお頼りください。そのように、やんわりと伝えたつもりだったが。
「……だうすにあーんされても、うれしくないです」
「んなっ!?」
「え、エリアスさん! す、すみません、ダウスさん」
むすりと唇を尖らせたエリアスに代わり、フィアナがあたふたと謝る。冷静に考えて、彼女が謝る要素はどこにもないのだが、衝撃を受けるダウスに申し訳ないと思ったようだ。
しかし、これしきのことで動揺してはならない。なにせ自分は、まだエリアスが幼い時から彼の面倒を見ていたのだ。過ごした年月も、積み重ねた信頼も自分が上。たかだか「あーん」をさせてもらえなかったぐらいで、負けを感じる理由はどこにも――。
「あまえるなら、ふぃあなさんがいいです。だめ、ですか?」
「ぐはあ!!」
「なんかダウスさんがダメージ受けてる!?」
完敗だ。……いや、何にどう負けたのかすらよくわからないが、とりあえず敵わないと思った。ぎりぎりと悔しさをにじませつつ、ダウスは苦渋の表情でミルクがゆをフィアナに差し出した。
「フィアナ様……こちらを……。あなたに、託させていただきます……」
「本当にいいんですか!? いえ、まあ、でも、はい」
ダウスの気迫に圧されつつ、フィアナは神妙な顔をしてボウルを受け取る。そして、照れくさいのかちょっぴりふて腐れた顔をしつつ、それでもしっかりとエリアスに向き合った。
「というわけですので、エリアスさん。食べたらちゃんと寝るんですよ? ぐっすり休むんですよ? 約束してくれるなら、これ食べさせてあげます」
「します。ふぃあなさんとのやくそく、やぶりません」
こくりと頷くエリアスに、なんだかんだ言ってフィアナも表情を緩める。そうやって彼が起き上がるのを助け、枕を背もたれに座らせてやると、改めてほかほかのミルクがゆをスプーンでよそってやった。
「はい。あー……ん」
「あーん」
そろそろと慎重な手つきで差し出されたスプーンを、エリアスがぱくりと咥える。エリアスはゆっくりと味わうように目を瞑ると、こくりと飲み込んでほっと息を吐いた。
「おいしい、です」
「良かった! さあ、どんどん行きますよ。エリアスさんには元気になってもらわなきゃ、私も困るんですから」
「……っ、はい」
エリアスはわずかに息を呑み、それから愛おしそうに微笑んだ。そんな柔らかな表情を見ていたら、ダウスは思い出してしまった。
その昔、まだエリアスが子供だった頃。幼い少年は、大半の時間をひとりで過ごした。
もちろん、宰相の息子として生を受けた彼は、何一つ不自由なく暮らしていた。親が傍におらずともダウスをはじめとする使用人連中が世話を焼いたし、週に二日は家庭教師が屋敷を訪れたりしていた。
しいて言うならば、ただひとつ。家族と呼べる存在との時間が、少年には足りていなかった。
父親は王に。母親は王子に。両親には、それぞれに第一に仕える相手がいた。どれだけ愛が深くとも、自分は二人にとっての「最優先」にはなれない。小さい頃の彼は、どこかでそれを感じ取っていたのだろう。聞き分けのいい、甘え下手な子供。そんな印象を、ダウスはエリアスに抱いていた。
両親の前では笑顔でいるくせに、窓から馬車を見送るときには寂しそうな表情を浮かべる。そんな彼の姿は、どうしようもなくいじらしかった。弱音ひとつ吐かないエリアス少年の、親代わりになれたら。いつしかそんな思いを抱き、接するようになった。
けれども、いまの彼の、幸せそうな笑みを見てしまったら。
(ようやく。ようやく、素直になれる相手が出来たのですね)
じんと胸が熱くなったダウスの目頭に、ほろりと光るものがにじむ。若い二人に気取られないようそっと拭っていると、ふいにフィアナが感嘆の声を上げた。
「良かった! 全部食べられましたね!」
「ふぃあなさんの、おかげです」
慌てて皿の中身を確認すれば、たしかにかゆは綺麗になくなっている。今朝はフルーツを一口食べただけで残してしまったから、心配をしていたのだ。そのようにダウスが胸をなでおろしていると、エリアスがこちらを見た。
「だうすも、ありがとうございます。やはり、あなたのあじは、ほっとします」
ふわりとほほ笑まれてしまったが最後、涙腺が結界した。眉間に皺を刻んだまま、急にだばっと滂沱の涙を流したダウスを、フィアナがぎょっとした目で見る。
「だ、ダウスさん!? 大丈夫ですか!?」
「申し訳ございません。ただ、ただただ、良かった、良かったと……」
「エリアスさん、どんだけダウスさんに心配かけちゃってるんです……?」
「だいじょうぶです。だうすはいつも、こうですよ」
いまだ心配そうにダウスを見つめるフィアナに、エリアスはふわふわと微笑む。
その傍らでダウスは、これからはエリアスだけではなく、エリアスとフィアナ、ふたりの第一の味方であろうと固く誓ったのだった。
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