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29.不思議なお客がやってきまして。

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 その男は、お昼時も大分過ぎた午後の暇な時間帯に、ふらりと店に現れた。

「いらっしゃいませー」

「どうも、子猫ちゃん」

 気さくに片手を上げた男に、フィアナはおやと首を傾げた。

 広い肩幅に、長い手足。服の上からも分かる、よく鍛え上げた体。男らしくも甘く整った顔立ちと、さわやかな短髪。警備隊や軍人のひとだろうか。そのように思っていると、男はにっと少年のように歯を見せて笑った。

「カウンター空いてる? まだ昼飯食えるかな?」

「大丈夫ですよ。いまメニュー持っていきますね。お好きな席に座ってください」

「そっか、そっか。そうだなぁ……」

 男は吟味するようにカウンター席を眺める。だが、ふいに確信を持ったように微笑むと、普段エリアスが夜に座っている左端の席へとまっすぐに歩いていった。

「やっぱりここ、かな?」

「はぁ……」

 答え合わせを求めるように男は微笑むが、フィアナはあいまいに頷くしかない。

 なんだろう、このひと。疑わしげに見つつ、フィアナはメニューを男に手渡す。すると男はメニューを開くことなくカウンターに置くと、その上で手を組んでいたずらっぽくフィアナを見上げた。

「子猫ちゃんにお任せするよ。だからさ、エリアス・ルーヴェルト宰相のお気に入りの料理。その中から、オススメを選んでくれない?」




「ルッツさん、警備隊にお勤めなんですか」

「そ! 城門周りが主な管轄だから、あんまりこっちには来ないんだけどさ」

 ぱくりとオムライスを頬張りながら、ルッツと名乗った男は頷いた。以前、エリアスがランチタイムに来た時、嬉しそうにオムライスを食べていたのでセレクトしたのだが、どうやら口にあったらしい。フィアナと話しながら、ルッツは忙しなくスプーンを口に運んでいた。

 さて、このルッツという男。話によれば、彼は警備隊の中でも城回りを守る隊に所属しているらしい。それでエリアスのことも知っているが、知り合いと呼べるほどの関係でもないらしい。

「ルーヴェルト宰相は、毎日どの大臣よりも早く登城して、そのくせ遅くまで城で粘っているからさ。俺たちの間でも、よく話題に上るわけ。どれだけ仕事人間なんだよってね」

「でも、だからってどうして、うちの店に?」

 当然の疑問をフィアナは口にする。するとルッツは嬉しそうに身を乗り出した。

「そりゃさ。あれだけ仕事人間だった宰相が、急に早く帰るようになったんだぜ。それもいそいそと。そんなの、絶対女が出来たとかじゃん。面白そうだから、この間、こっそり宰相の後をつけてみたんだ。それで、このお店を見つけたってわけ」

「よくわかりました。ルッツさん、暇なんですね」

「好奇心旺盛って言ってほしいな」

 悪びれなくのたまうルッツに、フィアナは呆れた目を向ける。

 ――正直なところ、初めは警戒したのだ。意味ありげにエリアスの名を出してきたところといい、わざわざ人の少ない時間帯を狙って現れたことといい、ルッツは怪しすぎる。てっきり、エリアスの政敵だかライバルだかが、彼の弱みを握りに来たのかと、そう思ったのだ。

 けれども、話を聞けば聞くほど、ルッツはただのはた迷惑な野次馬さんだ。そもそも、「面白そうだから」という理由だけで宰相の後をつけるのはどうなのだろう。そういう輩を取り締まるのが、警備隊のお役目ではなかろうか。

(……まあ、ルッツさんが本当のことを言っているとも限らないし)

 適当に相槌を打ちつつ、フィアナはそのように気を引き締めなおした。ルッツの真の目的が何にせよ、フィアナのすることは変わらない。エリアスであれ誰であれ、お客が店で漏らした内容は他言しないというのが酒場の矜持である。

(もしも、私とエリアスさんの関係を聞かれたって、この間の儀典長さんのときみたいに、はぐらかしちゃえばいいもんね)

 そのように、心のうちで拳を握りしめたフィアナだったが。

「フィアナちゃんのことだよね? 天使で女神で宰相のスウィートハニーってのは」

「っ、!?!?」

 聞き覚えのありすぎるフレーズに、フィアナのポーカーフェイスは一瞬で崩れ去った。動揺のあまり、フィアナはカウンター越しにルッツに詰め寄った。

「なっ、なんでその言い回し知っているんですか!?」

「んー? なんというか、風の噂?」

 茶目っ気たっぷりに小首を傾げたルッツに、フィアナは愕然とした。なんということだろう。フィアナがこんなにもやきもきしているというのに、エリアスのほうはこれっぽっちも世を忍ぶつもりがないらしい!

(……そういえば、この間の儀典長さんと鉢合わせしたときも、本当のことを話すのにこれっぽっちも躊躇がなかったっけ)

 天使がー、女神がーと、ふわふわと嬉しそうに同僚たちに話をするエリアスの姿を想像し、フィアナは戦慄をした。

 だが、おかしい。エリアスは『氷の宰相』という異名がついてしまうほど、お城で恐れられていたはずだ。そんな彼が、仕事の合間に大臣や部下相手に恋バナに花を咲かせるだろうか。それとも、そんな異名すら吹き飛んでしまうほど、最近のエリアスは浮かれているのだろうか……。

 フィアナが悶々と考えていると、「でさ!」とルッツがスプーンを突き出した。

「実際、ルーヴェルト宰相とはどこまで行ったの? 行くとこ行った感じ??」

「な、にゃにゃにゃにゃ、にゃに言っているんですか!? 私とエリアスさんは、そういう関係じゃありませんから!!」

「おーお。毛逆立てちゃって可愛い。君、本当に子猫ちゃんだな」

 にこにこと見上げるルッツに、フィアナはどきまぎと胸を押さえた。なぜだかルッツと話していると、エリアスを彷彿とさせる。エリアスほどではないが、ルッツも会話がマイペースなのだ。

 これ以上、相手のペースに呑まれてしまわないように深呼吸をしてから、改めてフィアナは首を振った。

「本当に、なんでもないんです。確かに、エリアスさんはよくお店に来てくれますし、仲良くもさせてもらっていますけど。それだけです」

 にこりと接客用の笑みで答えつつ、ルッツからは見えないカウンターの下で、フィアナはポケットの中にしまったキーホルダーをきゅっと握る。――こっそり繋いだ絆は、自分とエリアスだけが知っていればいい。そんな風に思いながら。

 すると、ルッツはしばし「ふーん?」と疑うような目をフィアナに向ける。だが、すぐに元の軽い調子に戻ると、身を乗り出した。

「話は変わるんだけど、君、今晩暇だったりしない? 少し付き合ってもらいたいことがあるんだけど」

「……警備隊の苦情窓口がどこか、教えてもらえますか。人の後をつけて楽しんだり、お店で女の子をナンパする問題隊員がいますよって、通報したいんですけど」

「どうどう。話を聞こうか、子猫ちゃん。俺は何も、やましいお誘いをしたわけじゃ……」

 その時、からんとドアベルが鳴った。扉を開けて店に入ってきたのは、なんとキュリオであった。彼はぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、疲れた様子で厨房に声を掛けた。

「あーあ。採寸に時間がかかっちゃって、すっかりお昼食べ損ねちゃったわぁ。ねえ、カーラ! なにか食べるもの出してくれない? お腹に入ればなんでも……いい……から……」

 なんとなくルッツを見たキュリオの目が、そこに釘付けとなった。彼はぽかんと口を開いたまま、その場に棒立ちになった。

「……え? へ、なんで……? え??」

「どうしたんですか、キュリオさん? ルッツさんを知っているんですか?」

「い、いや、知り合いとかそういう次元じゃなくて……え、ルッツ……?」

 何やら要領を得ないキュリオの返答に、フィアナは眉根を寄せる。だが、その向かいに座るルッツは、悪だくみを思いついたガキ大将の顔でにやりと笑った。

「どうも、マダム・キュリオ」

 にやにやと笑ったまま、ルッツは頬杖を突いた。

「直接会うのは初めてだが、お噂はかねがね……。さっそくだけど、マダムに依頼があるんだ。ここはひとつ、頼まれちゃくれないかな?」
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