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13.文官Aは目撃しまして。
しおりを挟むメイス国、シャルツ王の居城、サンルース城。そこが、メイス国の政治の中心でもある。
宰相エリアス・ルーヴェルトを筆頭に、財務大臣、法務大臣と大臣クラスが軒並み名を連ね、その下には彼らが抱える文官が日夜走り回っている。
そんな中、宰相の役割は何かと言えば、王と大臣とを繋ぐ双方の相談役かつ、各大臣から上がってくる報告・提言の実質的な判断役――いわば、政治面におけるトップである。
特にいまの王、シャルツ王はどちらかと言うと軍人寄りであり、乳兄弟であり幼馴染であるエリアス・ルーヴェルトを信頼し、政治のほとんどを任せている。もはや、メイス国で起きることで、エリアス・ルーヴェルトが関わらないものはゼロと言っても過言ではないだろう。
そんなわけだから、大臣であれ、一文官であれ、政務に携わる以上は宰相との関わりは深い。――深いのだが。
(あぁ……、なんで負けちまったんだ)
サンルース城で働く文官のひとり、儀典室に所属するとある男は、シクシクと痛む胃のあたりを押さえながら、そのように己の不幸を嘆いた。そんな彼の前には、先導して宰相執務室へ向かうギルベール儀典長の背中がある。
ローウェン・ギルベール儀典長とエリアス・ルーヴェルト宰相。そのふたりの関係は、たびたび龍と虎、蛇と獅子、犬と猿といったもので言い表される。
事の発端は、シャルツ王の治世となってから初めての建国式典。そのために組まれていた国家予算について、無駄が多すぎるとエリアス・ルーヴェルトが指摘をしたのが何もかもの始まりだった。
それまで式典といったものは、長い歴史の中で脈々と受け継がれてきた経緯もあり、よほど戦争や大規模飢饉といった非常事態でも起きない限りは潤沢な予算のもと絢爛に執り行われていた。たまに同じように経費の見直しが議題に上がるものの、結局は「豪華な式典は国家の威信の現れでもあるから」と有耶無耶になるのが常であった。
だからこそ、ギルベール儀典長の対応も慣れたものだった。まだ年若い宰相にはピンとこないこともあるのだろう。王国の歴史を知る年長者として、ここは上手く導いてやらなくては。そんな考えのもと、絢爛なる式典の重要性をとくと説き、要は丸め込もうとしたのだ。
しかし、ここで丸め込まれないのがエリアス・ルーヴェルトだ。それどころか、早々に儀典長の目論見を見破ったらしい彼は、より冷淡に儀典長に予算案を突き返した。
〝儀礼の重要性を理解することと、国費を湯水のように垂れ流す現状を見て見ぬふりをすることとは別問題です。必然か否か、その検証をしないまま『これまでもそうだったから』で押し通すのは、職務の怠慢というものではありませんか〟
エリアスの言い分はド正論だった。歴代の宰相がそこはかとなく思いつつも敢えて言わなかっただけで、改めて言葉にしてしまえば反論の余地はまるでなかった。
儀典長のダメージは大きく、ずたずたにプライドを切り裂かれた。だからこそ彼はキレた。それはもう、猛烈に反発した。
以降、宰相と儀典長の関係は水と油、混ぜるな危険の様相を帯びていた。式典、祭事、ことあるごとにふたりは対立した。無駄か、必然か。効率か、伝統か。平行線をたどる議論は回数を重ねるごとに熾烈を極め、周囲の者を戦慄させた。
(ああ、くっそ……! あのとき、グーを出しておけばっ)
このあとのことを想像し、じゃんけんに弱い己の右手を呪った。
儀典長はいま、本年度の建国式典の予算案を通す説明するため、エリアス・ルーヴェルトの執務室に向かっている。
そのお供に、誰が行くか。儀典室の誰もが嫌がるなか、ギルベール儀典長が見ていない隙にじゃんけん大会が催され、結果びりっけつとなった男がギルベールに伴って宰相室に行くこととなったのだ。
逃げたい。今すぐ家に帰って、愛猫を膝にのせてモフりたい。
そんな現実逃避もむなしく、ふたりは宰相執務室に到着し、ギルベールとエリアスが顔を合わせてしまった。
「…………」
「…………」
「…………」
ぱらり、ぱらりと、紙をめくる音だけがやたらと大きく響く。
感情の読めない瞳で書類に目を通すエリアスと、それをじっと見下ろすギルベール。ふたりの間に流れる空気は温度が下がっていく一方で、男はごくりと息を呑み込んだ。
そのとき、最後のページまでめくらず、エリアスが書類から手を離した。
瞬時に空気が張りつめるなか、彼は小さく嘆息した。
「……結構です。やはり、私の意図はご理解いただけてないようですね」
びしりと、その場の空気が凍った気がした。さぁっと青ざめる男の目の前で、ギルベールの手が、肩が、小刻みに震えている。
終わった。あとはもう泥沼のぶつかり合いだけだ。執務室に吹き荒れるブリザードのごとき議論を思い、男は半泣きになって胃のあたりを押さえた――。
「――こちらと、こちらの間。昨年までは、もう一行程、式が組まれていたはずです。無くしたのはなぜですか」
「は……?」
(え……?)
細い指で示しながら静かに見上げられ、男もギルベールも虚を衝かれて、一瞬答えることができなかった。
いつものエリアスであれば、的確な駄目出しが淡々と始まっている。途中でギルベールが切れて言い返すが、にべもなく冷たくあしらわれ、最終的に決別、となるのが常だ。こんなふうに、静かに意図を問われたのは初めてだ。
「……可能な限り、経費を切り詰めるように。本年もそうご指示されると思い、先んじて式次第の簡略化を図りました。お気に召しませんでしたか?」
探るように見ながら、若干の嫌味を織り交ぜつつ儀典長が答える。するとエリアスは珍しく――もっとも、大臣や文官たちにとっては、だが――ムッとしたようにわかりやすく表情を変えた。
「式の行程にはひとつひとつ意味が込められているのだと、貴方に幾度となく伺いました。
――経費を抑えるよう要請はしてきましたが、歴史や伝統を軽んじる意図はありません。行程を削ることで式の意味が変わってしまうなら、削るべきでないと私は考えます」
「で、ですが、昨年は最後まで渋い顔をされていたではありませんか」
思わず口をはさんでしまって、男は後悔をした。エリアスの美しくも凍えた眼差しが、男を映したからだ。
この瞳が苦手だと、皆が口をそろえる。言い訳も甘えも、すべてをさらけ出して暴いてしまう。そんな恐ろしさがあるのだと。
だが、エリアスは男を一瞥しただけで、静かに首を振った。
「依然として無駄が多い。そう思っているのは事実です。しかし、それは必要以上に絢爛さを求める風潮に対してです。過ぎた装飾は、ともすれば下品になりますから」
「しかし、華やかさが損なわれれば陛下のご威光が損なわれてしまうやも……」
「権威は、金銀財宝に宿るとお思いですか?」
わずかに首を傾げて、エリアスがギルベールを見る。純粋に問いかける声に、いつもの冷たさはない。
だからだろうか。ギルベールは悔しそうに顔をしかめたあと、渋々答えた。
「いえ。我ながら、子供じみた懸念でした」
そのとき、事件が起きた。まるで雪解けのように、エリアスが小さく笑ったのだ。
ギルベールは幻でも見たように何度も瞬きをし、男は天変地異の瞬間を目撃してしまったかのように目をまん丸に見開いた。そのように硬直するふたりに、エリアスは細い指で二か所、書類を叩く。
「この部分と、この部分。再検討の余地があると、私が考える箇所です。あとは一度持ち帰って、検討いただけますでしょうか。……式典に関しては、儀典室がプロです。良い案が出てくることを、期待しておりますよ」
呆けた顔のまま、ギルベールはエリアスから書類を受け取る。その目は明らかに、「目の前に座る、このエリアス・ルーヴェルトの皮をかぶったナニカは誰だろう」と本気でいぶかしんでいた。
対して、男は歓喜していた。いや、ギルベールに負けず劣らず驚愕していたが、それ以上に狂喜乱舞していたのだ。
(ルーヴェルト宰相が……、ルーヴェルト宰相が、丸くなっている!!!!!!)
長い冬が明けて春が訪れたような喜びに、男はそのように胸の内で叫んだのだった。
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