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第6章 黒曜宮(マグレア・クロス)

蒙恬

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  ナギとセドナのいる場所から、五キロほど離れた平原。
  勇者エヴァンゼリンは、蒙恬(もうてん)と対峙していた。
 勇者エヴァンゼリンは聖剣を構えながら、蒙恬を観察していた。
 戦う前に敵を観察するのは、兵法の常道である。
 
  蒙恬は、三十歳前後の風貌をしていた。
 身長は190センチ前後。
 体重は百二十キロを超えている。
 一見すると肥満に視えるが、分厚い脂肪の内側に、強靱な筋肉が内臓されていた。
 蒙恬は、巨大な戦斧を持ち、勇者エヴァンゼリンと間合いを取り合う。
 間合いとは距離と角度である。
 相手よりも優位な距離と角度を取るものが敵に打ち勝つ。
 蒙恬は、歴戦の古豪らしく、慎重に、かつ狡猾に勇者エヴァンゼリンと間合いを取り合っていた。 
 
  数秒後、蒙恬の方が、間合いの取り合いで、エヴァンゼリンよりも優位にたった。
 だが、エヴァンゼリンはさして脅威を覚えなかった。
 灰金色の髪の少女は、内心で、

(惜しいな……)
 
 と、蒙恬を憐れんでいた。
 蒙恬は、強い。対峙しているだけで、百戦錬磨の戦士だということがよく理解できる。
 それ程、蒙恬には気迫と威厳がある。 
 だが、蒙恬は魔力量が低い。
 エヴァンゼリンの十分の一もない。 
 この戦いは端から勝負にならないのだ。

(戦えば確実に僕が勝つな……)
 
 エヴァンゼリンはそう思い、蒙恬に同情した。
 同情したのは蒙恬という人間が、敵とはいえ、まだ誰も殺していない存在だからだ。
 彼は召喚されたばかりで今の所、特に人類や世界に害悪をもたらした訳ではない。
 それに、正々堂々、一対一で正面から戦おうとするその姿勢も好感がもてる。

(どうにも気が引けるな)
 
 と、エヴァンゼリンは嘆息した。
 だが、ふいに蒙恬が、エヴァンゼリンを睨んだ。

「小娘、俺にたいして憐憫をかけるつもりではあるまいな?」
 
  蒙恬が、低く鋭い声を出した。
 エヴァンゼリンは、はっとした。蒙恬に心中を見抜かれたと思った。
 エヴァンゼリンが無意識に加減しようと思考しつつあり、それを蒙恬は鋭い洞察力で見抜き、彼女を叱咤したのだ。
 
  エヴァンゼリンは、わずかに頬を染めた。
 それは自身の浅慮と未熟さを実感したからだ。
 この場合の憐憫や、浅い同情は蒙恬に対して無礼であり、全力で戦うことが正道だと、目の前の男に気付かされたのだ。

「……失礼した」
 
  エヴァンゼリンは魔力を全開にした。
  青い魔力光が、灰金色の髪の勇者から放たれる。
 エヴァンゼリンは聖剣を晴眼に構えた。

「貴卿の名前は?」
  
 灰金色の髪の勇者が問う。

「蒙恬。秦の将なり」 
 
  秦の国の名将は、誇りをもって答えた。
 蒙恬は戦斧を上段に構えた。
 エヴァンゼリンが、応じて腰をわずかに沈める。
 数秒の静寂。
 次の刹那、蒙恬が動いた。
 蒙恬は無言の気合いとともに戦斧を真っ向から振り下ろした。
 エヴァンゼリンの脳天にめがけて戦斧が打ち下ろされる。
 その時、エヴァンゼリンの聖剣が、白い剣光を発した。
 
  二つの剣閃が煌めく。
 エヴァンゼリンの放つ、一つ目の斬撃で蒙恬の戦斧が粉微塵に砕ける。
 ほぼ同時に、蒙恬の胸が、エヴァンゼリンの二撃目の斬撃で横に斬りさかれた。
 蒙恬には剣閃を目で視認することすら出来なかった。
 
  エヴァンゼリンは身体を引いた。
 そこに蒙恬の巨体が倒れた。
 蒙恬の身体が仰向けに倒れ、血が地面に広がる。 
 エヴァンゼリンは聖剣を鞘にしまった。
 
 
 
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