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第6章 黒曜宮(マグレア・クロス)

恐怖

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「来てくれたか、ナギ」
 
 レイヴィアは安堵の表情を浮かべた。

「八神光輝は、倒したようじゃな」
「ええ」
 
 ナギが、神剣〈斬華〉を油断なく構えて、エリザベートを見る。

「あの女吸血鬼……、強いですか?」
「とてつもなくな」 
 
 レイヴィアが答える。

「正直、手に負えないよ。なにせ、ボクの剣が届かない」
 
 エヴァンゼリンが、ナギの隣に立つ。

「私の聖槍も、アンリエッタの魔導も、無効化された。攻撃できないのでは勝ち目がない」
 
 クラウディアも、ナギの隣に移動した。

「空間操作による防御。瞬間移動。時間遅延。これ程厄介な相手はおらん。ワシには倒す策(て)が思いつかん」
 
 レイヴィアが悔しそうに言う。

「分かりました。俺が倒します」
 
 ナギが、数歩前に出た。

「倒せるのかい?」
 
 エヴァンゼリンが、端麗な顔に驚いた表情をたたえた。

「倒せる」
 
 ナギは、微笑を浮かべて神剣を脇構えにする。

「……任せる」
 
 アンリエッタが、後方にひいた。応じて、レイヴィア、エヴァンゼリン、クラウディアも後方に下がる。

「ナギ様、どうかご無事で……」
 
 セドナが、最愛の人の武運を祈り、後ろに下がる。    

「ああ。心配いらないよ。すぐに終わる」
 
 ナギが、セドナに答える。  
  ナギとエリザベートが、1対1で対峙した。
 二人とも、高度一千メートルの宙空に飛行の魔法で浮かび、互いに隙を見いだし合う。
  
 エリザベートは、内心で安堵していた。
 レイヴィアたちの連続攻撃で体力と精神力を消耗していたのだ。
 ナギ達が会話している隙に、わずかだが回復できた。
 エリザベートは、三十メートル先にいるナギに碧眼を向けた。

(この男が相葉ナギか)
 
 魔神軍最大の敵。数多の十二罪劫王を倒した猛者。
 だが、眼前にいる相葉ナギの姿は、華奢にすら見える端正な顔立ちの少年で、とても強そうには見えない。

「私を倒すとは随分と自信家のようね」
 
 エリザベートが、細剣(レイピア)を構えた。

「自信家というわけではないな。たんに事実を言っているだけだ」
 
 ナギが静かに言う。

「ほざけ。ガキが」
 
 エリザベートの碧眼が不気味に光った。
 エリザベートが、【空間圧縮】を発動した。
 敵のいる空間を圧縮し、敵を空間ごと圧殺して殺害する技だ。
 エリザベートの魔力に呼応して、ナギの周囲にある空間が圧縮されていく。
 一千分の一秒にも満たない時間で、ナギの周囲の空間がねじ曲がる。 ナギは機敏に悟り、即座に上空に退避した。

「逃げられると思うな! 空間と時間を操作する私は無敵だ!」
 
 エリザベートが吼えた。
 エリザベートが、次々に【空間圧縮】を放ち、ナギを圧殺しようとする。
 不気味な轟音とともに、【空間圧縮】が連続してナギを襲う。 
 ナギは飛行の魔法で【空間圧縮】から逃げ続ける。

「ナギ様!」 
 
 セドナが、夢幻的な美貌に緊張の色を浮かべた。
 そして、ナギを助けるため駆けつけようとする。
  レイヴィアが、すかさずセドナの肩を掴んで止めた。

「待て、セドナ。心配いらぬ」
「で、ですが……」
「大丈夫じゃ。ナギは『倒す』と言った。その言葉を信じよ。やつは己の言葉を裏切るような真似はせん」
 
 レイヴィアの桜色の瞳に強い確信が浮かんでいた。

「好いた男の言葉を信じてやれ。良い女は、黙って待つ時を弁えているものじゃぞ?」
  
 レイヴィアが、微笑をたたえた。
 セドナは頬を染め、そして、ナギの勝利を祈りながら戦いを見守った。





「ネズミのように逃げるだけか!」
 
 エリザベートが、嘲弄した。
 ナギはエリザベートの周囲を飛行して【空間圧縮】から逃げ続けている。
 エリザベートは嘲弄しつつ、内心では焦りを浮かべていた。

(まさか、【空間圧縮】から、ここまで逃れるとは……)
 
 【空間圧縮】は、エリザベートの攻撃魔法の中でも最強レベルの魔法である。地味だが、相手を魔法障壁ごと圧殺できる技であり、汎用性が高く、攻撃力は非常に高い。
 それを相葉ナギは易々と躱している。

(なぜ、かわせる? 何故、私の【空間圧縮】からここまで逃げられる?)
 
 エリザベートは疑問に思う。
【空間圧縮】の最大の武器はその発動の速度にある。
 千分の一秒に満たない速度で、敵を空間ごと圧縮して押し潰す。
 それを相葉ナギは易々と避け続けている。

(一体どういうことだ? なぜ、相葉ナギはここまで私の攻撃をかわせるのだ?)
 
 エリザベートの心に焦慮が広がる。
 ナギが、エリザベートの【空間圧縮】を避けられる理由は、『津軽神刀流の武芸』の応用である。 
 武道家は、攻撃をかわす時、相手から発する殺気や闘志、微妙な筋肉のゆれ、顔の変化、眼球の移動。
 あらゆる側面を瞬時に分析して、対応する。
 
 幾千と稽古をしていく内に脳と身体が、敵の攻撃を先読みする能力を会得するのだ。
 ナギは、津軽神刀流の武芸と、圧倒的な魔力。
 双方を組み合わせて戦っている。
 どちらか一つでは、エリザベートの【空間圧縮】をかわせない。
 だが、二つが合わされば、避けるのは容易かった。
 そして、攻撃する隙を見いだす能力も同様である。
 ナギは、エリザベートのわずかな心身の乱れを的確に読んだ。
 
 ナギが、神剣を握りしめてエリザベートの後背から襲いかかる。
 エリザベートはナギが攻撃に転じてきたことに驚いた。
 いつの間にか、後方に回り込まれ、間合いを潰されている。
 武道の歩法を利用した踏み込み。
 敵に距離感と速度を見誤ませる歩法だ。

(いつの間に、ここまで私に接近した? どうして、こんなに速い?)
 
 エリザベートはパニックになった。
 ナギの神剣が、上段になって自分に振り下ろされている。

(このままでは斬られる!)
「くそ!」
 
 エリザベートは時間遅延を発動した。
 ナギの速度を遅延させようとする。
 だが、ナギはこの時を待っていた。

「メニュー画面!」
  
 ナギがメニュー画面を呼ぶ。

『了解です』
 
 メニュー画面が刹那に答える。
 メニュー画面は、《食神の御子(ケレスニアン)》を発動した。
 
 《食神の御子(ケレスニアン)》の広範な能力の一つを利用して、エリザベートの時間遅延を相殺して、無効化する。
 無効化された時間はわずか、百分の一秒。
 だが、それで十分だった。
 
 ナギの神剣が、閃光となってエリザベートに襲いかかった。
 津軽神刀流の基本技。基礎の中の基礎の技。
 相手を袈裟懸けに斬る。
 『袈裟斬り』。
 
 数多の剣術流派に存在する技。
 その技をナギは静かにエリザベートに叩き込んだ。 
 数千、数万と、幼少から剣を振るい続け、細胞レベルにまで染み込んだ。『袈裟斬り』。
 その技は教本通りの美しい剣閃を描いてエリザベートに叩き込まれた。
 エリザベートの左肩口から、ヘソを通り抜けて、右の腰骨まで切り裂いた。
 エリザベートは痛みを感じなかった。
 斬られたことすら気付かなかった。
 絶命する瞬間、エリザベートはナギの袈裟斬りを見て、

(なんて美しいのだろう)
 
 と思った。
 ふいにエリザベートの脳裏に走馬灯が浮かんだ。
 前世のエリザベートの記憶。
 エリザベート・バートリーは、1560年8月7日。
 ハンガリー王国の貴族の令嬢として生まれた。
 幼い頃から、その美貌を讃えられ、すぐれ叡智をもつ神童と称された。
 裕福な家系に生まれ、何不自由なく育った。
 すぐれた美貌と教養を兼ね備え、不満などなかった。
 だが、いつしか、黒魔術に傾倒し始めた。

(どうして私は、黒魔術を始めたのかしら……)
 
 エリザベート・バートリーは思った。
 そうだ。美しくなりたかった……。
 私は永遠の美貌が欲しかった。
 そして、数多の書物を読んでその方法を見つけた。
 それは吸血鬼になること。
 
 私の祖国では、お伽話で、永遠の生命をもつ怪物がいるというお話があった。
 人間の血しか飲めなくなるが、その代わり不老不死になるという伝説だ。
 私はそれを求めた。
 吸血鬼になるという夢想に取り憑かれた。 
 黒魔術の本を買い漁り、日夜、研究した。
 だが、吸血鬼になる方法を記載した本はなかった。
  当然だ。
 吸血鬼などお伽話なのだから。
 
 しかし、私はどうしても吸血鬼になりたかった。
 そのために、血を欲した。
 無数の美しい処女を殺してその血を飲み、全身に浴びた。
 殺して、殺して殺し続けた。
 私は貴族であり、財力と権力を使えば容易いことだった。
 だが、吸血鬼にはなれなかった。
 
 美貌は日々衰えた。
 皺が増えた。黒子がふえた。
 肌に張りがなくなった……。
 私は恐怖した。
 醜くなることを恐れた。
 怖かった。
 ただ、ひたすらに怖かった。 
 そうだ、私は美貌を求めたのではない。
 老いて、嘲弄されるのを恐れたのだ。

(恐怖が私を堕落させた……)
 
 だが、吸血鬼になれば本当に、恐怖がなくなるのだろうか? 
 永遠の美貌と生命があれば、怖くないのか?
 いや、有り得ない。
 間違っている。
 
 永遠の美貌と生命があっても恐怖がなくなることはない。
 その後は、また次の恐怖が訪れる。 
 違うモノが怖くなる。
 金がなくなる。
 他人の評価を気にする。
 権力がなくなる。
 地位が脅かされる。
 ありとあらゆることで人間は恐怖し、怯える。

(なんて無意味な……)
 
 エリザベート・バートリーは、相葉ナギを見た。
 一切の迷いなく、私に剣をふるった少年。
 相葉ナギの剣は美しく強かった。
 剣も心も体もまったくブレていない。
 芯の通った真っ直ぐな美しさ。

(私も……。彼のような強さと美しさがあれば迷わずにすんだだろうに……)
 
 私は間違えた。
 恐怖は、外見を美しくしても消えない。
 恐怖は心と魂を強く美しくすることでしか無くせない。
 私はどうしてそれに気付かなかったのだろう。
 

 なんという愚かな……。
 私は、なぜこの事に気付かなかった……。
 
  
 生まれ変われたら……。
 心を美しくしよう……。
 そうすれば怖くない……。
  
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