花街に生きて

H・C・舟橋

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 大相撲が年四場所制になった翌年の昭和二十九年。真澄は次女嘉子を出産した。由紀子に続いて女の子だったことに、幸太郎は舌打ちしたが、由紀夫は満足だった。相変わらず子煩悩で、二人の娘を分け隔てなく愛しんだ。

 このころ、真澄は夫が不意に口走る言葉を不吉に思うことがあった。最初は近所の芸者置屋の女将への、日常挨拶の中だった。

「親戚でも無いのにお世話になります。娘たちをよろしくお願いします」

 なにを出征する兵隊さんみたいなこと言ってるの! 笑顔で女将に返されて頭を掻いていた由紀夫であったが、冗談を言った顔では無いことに真澄は違和感を覚えた。

 気の荒い火消したちの中では温厚で、また体格も兵隊上がりの先輩ほど逞しくなかった由紀夫は、日常の訓練は消防士としてのそれを受けているが、出場の際には後方支援が主務であり、命がけで火事場に飛び込む役回りではなかった。
 だが、折に触れ
「俺に万一のことがあったら、子供達を頼む」
と真澄に言い含めていた。言われるたびに、真澄は冗談と思い込むようにしたが、他方でなにか重苦しい不安が心の奥底に湧くのを感じていた。

 九月十三日夜。超大型台風十二号来襲を緊迫した声でラジオが告げていた。翌日は非番だが、台風に備え自宅待機を命じられていた。由紀夫はまた真澄に不吉な頼みごとをしてから床に就いた。

 十四日早朝。雨戸を揺する強風に紛れ、夢うつつで聞いていた土間の戸を叩く音。母屋から呼びに来たセンの呼び声にようやく目を覚ました。消防署から電話があり、緊急招集で六時半に自動車が迎えに来ると言う。

 真澄は米を侵(つ)け置きした釜をガス台にかけて炊き上げると、手早く朝食を整えた。長女の由紀子はまだ布団の中だったが、生後二ヶ月の嘉子は、ちゃぶ台の由紀夫の対面で母親に抱かれて母乳を吸っている。

 柱時計がボーンと半時を打った。呼応するように、カーン、と玄関先で消防自動車の警鐘が鳴る。事業服に着替えて家を出る夫は、見送る真澄の腕の中の嘉子を三度優しく撫でると、車の後席に上っていった。動き出した窓を開けて由紀夫は手を振る。生暖かい南風が踊る街路に消防車は消えていった。
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