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第八章
164 ロス side
しおりを挟む半年ほど前にマシュー殿から手紙を貰い、なぜ自分に用事があるのだろうかと考えた。
しかし、あの時に彼に会いに行かなければ、今こうしてここにはいなかったんだ。
マシュー殿に会った後にクラウディアに引き合わされ、あれほど驚いたことはなかったな。数多の令嬢に会ってきたが、あんなに美しい令嬢を見たことは今までに一度もなかった。
俺もクロスローズの令嬢の噂は聞いてはいた。
筆頭公爵家の令嬢だが、病弱で領地から出ないという話だったから、自分の周りにも知り合いにも、会ったことがある人間は一人もいなかった。だから、こうして出会えたことが奇跡のようだ。
そして彼女から商会での仕事を頼まれ、それを引き受けた。引き受けたからには、そのトランでの仕事で彼女の為に成果を出したい。彼女の喜ぶ顔が見たい。彼女に認めてもらいたい。何をしていても、彼女の顔が脳裏に浮かぶ。
しかし、自分が彼女に見合う人物ではないことはわかっている。
だからこそ、この事業で彼女に一番必要とされる人物になりたいと思った。そうすれば、側に居られる。必要としてもらえる。
その為には、普通の事をしていてもダメだ。もっと、もっと頑張らなければならない。
この間のトランでの話に出た『失われた薬草』。これを見つけ出すことが出来れば、彼女は喜んでくれるだろうか?
幸い、今は時間がある。現地に行けばもっと詳しい情報を手に入れられるかもしれない。
それならば、行ってこよう。
行って、少しでも情報が入ればいいだろう。
まずは地元のアンヘルから近いゼファー渓谷を調べてみよう。
隣町のリナレスへ行き、まずはその街で聞き込みを始めた。
薬草問屋、薬師、医師をすべて訪ね、玉蜻草について聞いてみた。しかし、その存在を知っている人がおらず、伊達に『幻の薬草』ではないのだと思う。
聞いたことがあると言った一人は、祖父が薬草狩りに頻繁に出かけていたことを覚えていて、その祖父が使っていた採取小屋がそのまま残っていると話してくれた。
その場所はゼファー渓谷の入り口に近く、そのことを聞いて心臓の鼓動が速くなるのを感じた。もしかすると、その小屋に何かあるかもしれない。
その小屋は定期的に様子を見に行ってはいるが、もう何十年も使用していないので、室内は当時のまま残っていると言っていた。
行きたいと頼んだところ、もう使っていないので中の物も使ってもいいとの許可と、その小屋への行き方を教えて貰い、次の日の朝いちばんで出掛ける事にして準備をした。
その小屋までは歩いて二日ほどかかるらしいが、少しでも早く行きたいので馬を借りる事にした。
それならその日のうちに着くだろう。小屋に泊まってもいいと許可を貰ったので、荷物も多くなるが馬で行くなら大丈夫だろう。
出発する日の朝は天気も良く、馬での往復も苦も無く済みそうだ。
できればゼファー渓谷まで足を延ばしたいところだが、自分だけでは断崖の探索は無理に近いだろうと考え、まずは情報からと考えた。
朝、リナレスを出て、ゼファー渓谷への道を進んで行くと、いくつかの分かれ道があった。それを地図を見ながら迷わないように進んで行った。
自分の人生にもこんなに分岐点があるのだろう。
今まではただ漠然と生きてきたが、これからはしっかりと考え選んで進まなければならない。彼女の為にも失敗は許されない。
途中で昼食を取り、先に進む。
この辺りは強力な魔物は生息していないのだが、小物は至る所に見る。しかし、なわばりに入らない限りは襲ってはこない種類なので、気を付ければ安心して移動はできる。まあ、この辺りの魔物であれば、自分の実力では余裕で倒せるレベルだから気にはしていない。
日が傾き始めた頃、地図にある小屋へとたどり着いた。
道から少し森に入り、小屋があまり目立たないように周囲に柊の木が植えられていると聞いていたのでここに間違いないだろう。
中に入ると採取した薬草を選別する為の部屋と、保存している棚、寝室に水場も揃っていて、その人物は数日にわたりここを拠点に活動していたのだろう。
この日はここで休むことにして、明日、朝からゆっくりと探してみよう。その『何か』を見つけるまで。
部屋の中の棚には、今まで採取したであろう薬草の絵と、その名前と効能が書かれているノートが何冊もあった。そして、薬棚の引き出しの中は、薬草や種などを入れていたのだろう。それらは乾燥状態だが、もう原形をとどめてはいなかった。
他に何かないのだろうかと小屋の中を隅から隅まで細かく見ていて、床下に部屋があるのを見つけた。
そこに入ると、中には瓶が並べられていた。その瓶の中には種が入っているようで、環境が良かったからか劣化はしていない様だ。しかし、ラベルは記入されているが、ナンバリングだけで名前の記載はない。
もしかすると、ノートに書いてあるかもしれない。そう考えて、ノートと照らし合わせをする。やはり、ノートの番号とラベルは一緒のようだ。これをトランでリチャードに育ててもらえば、知らない薬草も発見できるかもしれない。
ここの所有者は中の物を使ってもいいと言っていたし、欲しいものも持ち出してもいいと言ってくれた。一度帰りに寄って確認していこう。私は種の入った瓶とノートをカバンに入れ、出発する準備をした。
この小屋の主人は几帳面な性格だったのだろう。こんなに綺麗に整頓してあったことに感謝の気持ちが湧き上がってくる。
あなたが集めた薬草…きっと役に立つよう活用します。
小屋の所有者の家に寄り、挨拶をして持ち出したものの確認をしてもらった。
彼は今ではその小屋を使わないし、薬草とは関わりのない仕事をしているので、全てを譲ってくれると言ってくれた。それであれば今度またお礼をしにこよう。それほどのものがこのかばんの中に入っているかもしれないのだ。
そしてリナレスからそのままトランへ行き、研究施設へと向かった。
アナスタシアに着くと、相変わらずみんなが笑顔で迎えてくれ、スザンナもアリスンも食事を準備してくれた。ここにいる人は自分同様、クラウディアに感謝の気持ちを持っている。だから、彼女の為に結果を出したいという気持ちはみんな同じなのだ。
リナレスから持ってきた瓶とノートをネイサンとリチャードに見てもらい、二人の意見を聞いてみたのだが、思ったよりも収穫があったようだ。
双方を照らし合わせてみると、その種の中には『玉蜻草』と『逢護草』の種があったようだ。
だが、その種は古いので、発芽するかはわからないらしい。
だが、これで発芽すれば、幻の薬草がよみがえることになる。そうすれば、クラウディアは喜んでくれるだろうか。
彼女の笑顔を間近で見られるだろうか。
そろそろ先の事も考えておいた方が良いだろう。アナスタシアだけでは流通させる量のポーションを作ることはできない。
クラウディアが公爵に見せた事業計画書に目を通しながら、大量に作る為にはどうしたらいいのかを考えてみたが、魔道具を使うのはどうだろう。魔術院へ行ったときに魔道具師を紹介してもらい、早速訪ねてみた。
行く前にマシュー殿にもお伺いを立てたのだが、彼からもその魔道具師に話を通しておくということで、魔術院へ行って、その魔道具師に考えている案を書いて渡しておいた。
クラウディアにもこのことを相談したのだが、クラウディアもその魔道具師を知っているとのことで、安心して任せられる人物らしい。形になるのが楽しみだ。
何度かクラウディアとやり取りをするうちに、口調もくだけたものになっていった。彼女もまたその方が気楽だと受け入れてくれた。それが何よりうれしかった。自分の事を身近な存在だと言ってくれているようで、心が温かくなった。彼女が喜んでくれることが自分にとって最高の贈り物だ。
先日、クロスローズの屋敷にクラウディアを訪ねた時、そこにニコラスとテオドールが来ていた。
二人はクラウディアと話をしている俺の姿に気付いて、何とも言えない鋭い視線を向けてきていたのは気が付いた。彼らはクラウディアに好意を抱いているのだろう。
特にニコラスの視線は鋭いものだった。自分とは違い、クラウディアと同じ公爵家の人間。彼女と釣り合う身分。正直言って、憎らしいとさえ思えた。
しかし、その瞬間、彼女は自分に笑顔を向けている。彼女の意識は自分に向いている。それだけで優越感を感じる事が出来た。
彼女が倒れたと聞いたときも、会いに行けないことに苛立ちを覚えた。それも深刻な状況らしいと聞き、こういう時に万能のポーションがあればと思った。
研究所の、そして商会の誰もが同じ気持ちを抱くだろう。しかし、彼女が倒れたことは口外されてはいないことだ。そして、彼女と商会との関係も同じく口外できないことだった。だからこそ、表に出ることはできない。この事業すべてを秘密にしたいという彼女の意思を尊重するためにも、出て行くわけにはいかなかった。
しかし、少しでも想いを伝えたい。花を贈るくらいはいいだろう。名前を出さなければ、誰も気が付かないだろう。『R』とだけ記せば、彼女ならわかってくれるだろう。
早く元気になってほしい。
彼女の笑顔を早く見たい。
彼女の口から自分の名前を呼んでもらいたい。
早く彼女に会いたい…
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