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第一章

1 プロローグ

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『エストレージャ国 アレクシス王女に捧ぐ』



 今から三百年程前、神と闇の争いに巻きこまれ荒廃した国があった。

 その状況を憂いた少女が一人、天に祈りを捧げたところ、その声を聞いたユグドラシルの守り神の一人でもあるヴェリタ・リリーは、その少女アレクシス・エストレージャの声を聞き届け、その闇を退け、国の復興の為に六人の代行者を使わした。

 六人の代行者はアレクシスと共に国を興し、彼女は初代女王となり平和な時代を迎えた。

 代行者は国の礎となる後継者を残し国を去り、残された人々は決してそのことを忘れないよう心に刻みこんだのだった。

 そして、ヴェリダ神とアレクシスは共に手をとり、この国を繁栄させた。 
 


 ◇ ◇ ◇



 白い病室の天井を見上げ、呟く。


 「はぁ…」


 そのつぶやきの主は、柏樹深緒かしわぎみお、28歳。

 両親は彼女が高校生の時に病気で他界しており、今は親が残したてくれた一軒家に一人で暮らしている、至って普通の女性だ。

 両親が亡くなってからは人一倍健康に気を付けるようになった。
 食材も料理方法にも気を配り、成人してからはキャンプや山登りへとアウトドアにのめり込み、そして日頃の運動も欠かさなかった。一種の健康オタクと呼ばれるタイプの人種だろう。

 健康体のお手本のように成長していたのだが、今は病院の一室で天井を見つめ、これからどうするかを考えていた。


 その時、ドアをノックする音が聞こえ、一人の男性が入ってきた。


「深緒、大丈夫かい?いきなり救急車で運ばれたって聞いて驚いたよ」

龍登りゅうとおじさん。わざわざ来てくれたの?ありがと」


 病室に入ってきたのは50歳くらいの男性で、名前は藤崎龍登ふじさきりゅうと。深緒の一番尊敬する人物で、お隣に住んでいる男性だ。そして両親が生きている時から交流のある人物だった。

 藤崎は大きな油彩画からパステル画そしてグラフィックまで多岐にわたり多彩な才能を発揮している画家兼イラストレーターで、有名な作品は“エストレージャ国物語”という大人向け絵本だ。

 パステルの優しい人物画から、写真のような風景画まで色々な作風で描かれているイラスト集兼童話で、彼の代表作でもある。

 深緒は幼い頃から隣の藤崎の家を訪れ、自身の子供のようにかわいがってくれる彼の事がとても大好きだった。
 両親が亡くなった時も親代わりとして面倒を見てくれ、感謝してもしきれないほどの恩もあったのだ。

 深緒が大学を卒業して進路に悩んでいた頃も、実の親のように相談にのってくれて深緒自身“絵”の道へ進むことを決めたほどだ。


「深緒は仕事を詰めすぎなんだ。遅くまで明かりがついてるのを見て、何度注意しに行こうと思ったか」

「納得のいく仕上がりにならない時って時間を忘れちゃうの。おじさんもその気持ちはわかるでしょ?」

「まあ…わかるが、倒れてちゃダメだよ」


 そう言って笑った。


「仕事もひと段落したから、いつも通りにランニングしてただけなんだけどな。でも、検査が終わったらすぐ退院できるわよ」


 毎日、身体には気を付けて運動も欠かさず、食事にも気を付けて健康には人一倍自信がある深緒だったが、今回は突然胸が苦しくなり蹲っていた所、通りかかった人が救急車を呼んでくれたのがここにいる始まりだ。
 しかし、今はもう何ともないのだから明日には帰れるだろうと深緒も簡単に思っていた。


 「じゃあ、帰ったらまた作ってくれないか?深緒の作るブラウニーが食べたくてね」

「おじさん、甘いもの好きだもんね。いいわよ。ブラウニーでも、シュークリームでも、何でも作ってあげる」

「おっ、いいね。じゃあ、毎日作ってもらおうか」

「まかせといて」


 声を上げて笑い合いながら、深緒は枕元に置いてある“エストレージャ国物語”を手に取り、言った。


 「私ね、おじさんのこの本、とても好きなのよ。まるでこの世界にいるような不思議な…懐かしい感じがするの」


 その言葉を聞いた藤崎は、少し懐かしい表情を浮かべて言った。


 「実はな……、この国は本当にあるんだよ」

 「えっ?」


 そう言った私の顔を見て、はははっ、と笑って続けた。


 「若い頃にな、事故にあって長い間入院していたことがあるんだ。その時、意識が戻らない間に夢で見ていたんだよ。今思い出しても、壮大で、とても充実していて、目が覚めてからその光景をどうしても残しておきたくて……絵を書くことは好きだったから、リハビリをしている間に書き溜めていたら、出版社に勤める友人がそれを見て出版しないかって。それで今、こうなってるってわけだ」


 その頃を思い出すように瞳には見えない何かが映しているような藤崎を見て、深緒は文系には見えない藤崎が、どうして絵を生業にしているのか疑問だったのだが、ようやく腑に落ちたのだった。


「でな…、これ、続編」

「続編??」


 藤崎は深緒に紙の束が入った袋を手渡した。
 その中には繊細なタッチで描かれたイラストが何枚も入っていた。


「そうだよ。エストレージャ国物語の中の、設定みたいなやつだ。深緒がこの話を好きだって言ってただろう?本にはなっていないけど入院中は暇だろうから、これでも見て早く治しな。謎解きみたいなイラストもあるから、解決したらご褒美だな」

「謎解き…」


 イラストをペラペラとめくりながら、「さすがおじさんだわ」と出来上がったイラストの精巧さに目を見張る。 


「なあ深緒、隠し部屋が『開けゴマ』って言って開くと面白くないか?」


 そう言って笑う藤崎に深緒は言う。


「おじさん、こんな西洋みたいな国で『開けゴマ』はないでしょ?せめて英語の『オープンセサミ』にしようよ」

「それじゃあ面白くないじゃないか」


 そう言う藤崎の顔が、子供っぽい顔で少しふくれたような表情がなんだか可愛らしい。
  

 藤崎が病室を後にしてから彼の言葉を思い出しながら、窓の外のすっかりと日が落ちた街を見下ろした。
 家々には幸せそうな明かりが灯っている。その光景から視線を手元のイラストへと戻した。 


 ―――本当にある国?まさかね…


 イラストを膝の上に置いて、1枚ずつめくりながらその詳細な書き込みに目を奪われた。
 草原や山脈の風景画に色々な人達の人物画、大きなお屋敷に色々な部屋、見れば見るほど謎解きの意味が分からなくなった。どれも素敵な仕上がりで見入ってしまうから、謎という考えに結びつかないのだった。

 そう考えながらイラストを仕舞い、目を閉じて眠りについた。
 
 


 ……時が過ぎ女王が亡くなった時、女王の亡骸は光となり聖なる山の神の元へと去っていき、女王を送るように国中の花が咲きほこった。

 そして、清明の月七日は女王を想いこの国の発展を願う『フィオリトゥーラ・ヴァロ・フェスト』が行われるようになった。
  




 目覚めて、深緒は思った。


 ―――私って想像力豊かね。本の続きを夢で見るなんて。


 クスッと笑った瞬間、急に胸が締め付けられるように痛み、目の前が暗くなっていく。


 ―――苦しい…なにこれ?


 そのまま床に倒れこみ、意識が遠のいていくのを感じた。
  

 
『待っていたよ。私の………今度は、大丈夫だからね。』


 緑色のまばゆい光の中から、慈しむような優しい声が聞こえてきた。



 ……あなたは…誰??


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