正しい竜の育て方

夜鷹@若葉

文字の大きさ
上 下
49 / 136
第二章「灰の竜と黒の竜騎士」

第23話「理想の先へ」

しおりを挟む
 カチ、カチと留め具が止められる音が静かな空間に響きあたる。

 竜騎学舎の林間学習用の宿舎の傍に併設された竜舎。出撃するべき騎竜達はすでに飛び立っており、残っている飛竜は少なく、飼育員も必要な作業を終え残っているの人の数は少ない。そのため、先ほどまであった喧騒が嘘のように静かになり、一人黙々と竜騎士用の補助用具の留め具を止める音が大きく響いて聞こえた。

 最後の留め具を止め、リディアは息を付く。鎧は着た。剣も竜銃も装備した。出撃の為の準備は整った。

 顔を上げ、竜舎の一角、ある位置へと目を向けようとする。継ぐ近くで、特別どうという事のない場所。それなのに、目を上手くそちらへ向けられない。

 身体が小さく震える。まだ、怖がっているのだろう。目を向けられず、結局、足元へと視線を落としてしまう。


 気が付くと足元に広がる地面が、いつの間にか見慣れたフローリングの床に変わって見える。

 怖くて目を上げられず、足元に目を向ける。いつまでも変わらない自分が情けなく思え、呆れてくる。

 目の前に、恐ろしい父が立っているわけでは無いにもかかわらず……。


『アルフォードに生まれたのなら、アルフォードとして成すべき事をしなさい」


 いつも聞かされた父の言葉が思い出される。その言葉はリディアが間違いを犯した時、決まって言われた言葉だった。

 自分が間違いを犯した時、それは名家であるアルフォードとしてどうすべきだったか、諭すような言葉だった。

 『アルフォード』それがリディアを縛る言葉であり、名前だった。アルフォードとして生まれた者はアルフォードとして生きる。そう縛り付けられていた。

 その事に疑問や、息苦しさを抱いたのは小さい頃だった。

 家の窓から見えた、街の路上で楽しいそうに遊んでいる子供を目にした時だった。その子供の表情はとても暖かく、本当に楽しそうに見えたのだ。

 その子供たちの表情を見た時、リディアは何故それほど楽しそうな表情が出来るのか疑問に思い、そして羨ましいと思った。

 それまでリディアは生きて来て楽しいと思った事は殆どなく、笑顔を浮かべた事は無かった。それが普通なのだと思っていた。父も家に居る使用人も皆、いつも硬い表情で、笑顔を浮かべる事は殆ど無かったからだ。笑顔を浮かべたとしても、そのほとんどが作り物めいていて、心から楽しそうな笑顔を浮かべているのを目にした事は無かった。

 固く閉ざされた、石の様な世界。息苦しく、狭い世界。その時からリディアの住む世界はそんな風に映って見えた。

 だからだろう、楽しそうに笑顔を浮かべる子供たちに強い興味を引かれ、羨ましく思えた。


 私もあの場所に立てば、あんな風に楽しそうに笑えるのだろうか? そんな淡い希望を抱いた。


 けれど、それは自分には手に入らないものだと、リディアは直ぐに思い知らされた。

 窓の外に居た子供たちと、自分とでは住む世界が違うのだと理解したのだ。窓の外に映った子供たちは平民で、自分は貴族。それも、他の貴族たちとも違う、名家と呼ばれる貴族だ。彼らが立つ場所と、自分が立つ場所とでは常に何かしらの仕切りがあり、段差と距離があった。それは彼らの世界と、リディアの世界を隔てるもので、彼らとリディアとでは住む世界が違うのだという事を教えていた。決して踏み入れる事は出来ない世界なのだと、思い知らされた。

 だからリディアは、彼らの様に笑う事は出来ないのだと思った。リディアの住む世界に、それは存在しないものだと思った。

 限りなく遠くに有る世界。決して交わる事の無い世界。故に決して踏み入れる事の出来ない世界。

 リディアはそこで、小さく沸いた希望を諦め、願いを閉ざした。


 王都の祭りで小さな武闘大会が行われた。竜騎士と竜騎士による一騎打ち。参加者はそれほど多くない規模の小さなものであったが、王都で行われたものであるため大きく盛り上がった。

 その武闘大会を小さなリディアは父と共に観戦した。

 その武闘大会では一人の少年が大きく活躍していた。年若く、まだ正規の竜騎士でないにもかかわらず、白い騎竜を巧みに操り、他の竜騎士達を打倒していったのだ。

 そこで見た少年は、かつて見た子供たちと同じ楽しそうな表情を浮かべていた。その少年の表情にリディアは再び強く引き付けられた。あの時と同じように、リディアもあのようになりたいと再び思った。

 そして、さらに驚かされたのが、その少年は武闘大会での活躍を称えられ、表彰式では父や他の貴族たちを笑顔で握手を交わしていた。その少年はリディアの父と同じ場所に立ち、笑っていたのだ。それがリディアには、自分と同じ世界に立ちながら、リディアが欲したものを手にした者の姿に映った。その時リディアは、自分も竜騎士に成れば、あんな風に笑えるのではないか、そう思った。

 だからリディアは竜騎士を目指した。

 平民と貴族と言う大きく離れた世界ではなく、同じ貴族の竜騎士であれば手が届くと、そう思った。

 アルフォードの家のものとして、アルフォードとしての生き方を望まれながら、生まれて初めての精一杯の反抗、父に頼み込み竜騎士に成ることを認めてもらった。

 最初で最後の反抗であり、挑戦だった。

 けれど、それは叶わないものだと、あの長距離飛行演習の際の悪竜襲撃で、見せつけられたような気がした。

 竜騎士として動くべき時に、竜騎士として動くことは出来なかった。迫りくる死に恐怖し、動けなくなった。

 結局自分は竜騎士として生きていける人間ではなかった。そう、見せつけられた。結局人は生まれた世界に縛られ、変えることは出来ず、それに従って生きるしかないのだと思えた。

 たとえ近くに有ろうとも、手が届きそうな距離であっても、人は他の自分の生きる世界から離れる事は出来ないのだと、思い知らされた。

 何をやっても無駄なのだと、思えてしまった。

 リディアはアルフォードの家で、アルフォードとして生きるしかない。そう思い知らされてしまったのだ。


(違う。そうじゃ無い)

 リディアは頭を振り、頭に浮かんだ考えを振り払う。

(私は……なりたい私になるんだ……今度こそ)

 もし、もう一度挑戦してみて、ダメだったらという恐怖が沸いてくる。けれど、待っているだけでは変われない。そう言い聞かせ、リディアは再び顔を上げる。そして、今度こそ目を向ける。

 竜舎の一角、黒い鱗の飛竜が収まるケージに目を向ける。

 ケージの中の飛竜は、戦闘用の鎧に身を包んだ状態で、顔を上げ、じっと此方に目を向けていた。

 その瞳からは、あの時と同じでどのような感情を抱いているか読み取ることは出来ない。そんな相手に対し、未だにどう接すればいいか判らない。その事が、自分が竜騎士に成るべき人間ではない事を示しているように思えてしまう。

(私は……竜騎士にとしてやっていけますか?)

 誰にでもなく問いかける。今は、誰かにそれを肯定してもらいたかった。けれど、その問いの答えは返ってこない。

 ゆっくりと足を進めケージの傍へと近付いていく。

「ヴィルーフ。あなたは……私を……今の私を受け入れてくれますか?」

 黒竜――ヴィルーフの前に立ち、問いかける。

 竜騎士としての絶対条件。騎竜である飛竜に認められる事。これが叶わなければ、どんなに優れた人間であっても竜騎士に成る事は出来ない。

 どれだけ覚悟と強い意志を持っていても、騎竜に受け入れられなければ、再スタートを切る事は出来ない。それだけに、再びヴィルーフの前に立つことが怖かった。

 ヴィルーフから逃げ、距離を置いてしまった自分が、再び受け入れてもらえると、どうしても思えなかった。だから、逃げ続け、距離を置き、現実から目をそむけた。

 飛竜に近付かず、飛竜から拒絶されなければ、その間だけはまだ竜騎士としての夢を見ていられたからだ。

 けれど、そのままでは竜騎士に成る事は出来ない。

 緊張と恐怖で身体が固くなっていく。

 ヴィルーフはリディアに目を向けたまま、咆哮を上げる事は無く、ただじっと見返してきていた。

 リディアはそっと手を上げ、ゆっくりとヴィルーフへと手を伸ばす。ゆっくりと伸ばされた手はヴィルーフに拒絶を示す事は無く――その鱗に触れることができた。

 しばらく触れていなかった、暖かな温もりを感じることができるヴィルーフの漆黒の鱗。それに再び触れることができ――ヴィルーフに受け入れられ、リディアは嬉さと安堵を思いに満たされる。

 ヴィルーフが顔を降ろし、頬をよそえてくる。再び前の様に撫でてほしい、そうねだっているようだった。

「ヴィルーフ、すまない。私は、あなたは拒絶した……そして、ありがとう、今の私を受け入れてくれて……」

 ゆっくりとヴィルーフの頬に手を載せ、撫でる。クルルルっとヴィルーフはそれに喉を鳴らす。ヴィルーフの顔の彼方此方に消えない傷跡があり、それが触れた手を通して伝わる。それでも関係なく、リディアはヴィルーフの頬を撫でる。

 しばらくヴィルーフの頬を撫でた後、リディアはヴィルーフから手を離し再びヴィルーフを正面から見上げる。

「行くよ。ヴィルーフ」

 そして、これからに踏み出すため、自分の相棒の名を呼びそう告げた。

 ヴィルーフはそれに、待っていましたと言うかのように、大きく咆哮を上げたのだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

副会長様は平凡を望む

BL
全ての元凶は毬藻頭の彼の転入でした。 ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー 『生徒会長を以前の姿に更生させてほしい』 …は? 「え、無理です」 丁重にお断りしたところ、理事長に泣きつかれました。

幸福の王子は鍵の乙女をひらく

桐坂数也
ファンタジー
「わたしをひらいて世界を救って下さい」 少女サキのやっかいごとにいきなり巻き込まれたぼく。異世界のすご腕剣士にぼくまで命を狙われるはめに。なんで? 「それは遼太さん、あなたが鍵の乙女をひらく『開錠の者』だからです」 そんなこと言われても、平凡な大学生のぼくにどうしろと? でもひとり健気に立ち向かうサキをほっておけなくて、ぼくらは助け合い、かばい合い、一緒に逃げて、そして闘う。世界のエレメントを取り戻すために。 なんの取り柄もないぼくが世界を救う方法はただひとつ。火の鍵の乙女サキをひらくこと。そのためには……自分に惚れさせること? 誰だそんなギャルゲーみたいな設定作ったやつは?  世界の命運をかけた恋の駆け引き、ここにはじまる。 鍵の乙女は全部で6人。ぼくはすべての乙女をひらけるのか? かわいい女の子とラブラブになれるのか? それは嬉しいんだけど、いいことばかりじゃないみたい。 鍵の乙女をひらくごとに、ぼくは自分の何かを失う。五感、記憶、感情……。それでもぼくは、鍵の乙女をひらくのか? 世界と、少女たちを救うことができるのか?  「小説家になろう」でも連載中です。

転生墓守は伝説騎士団の後継者

深田くれと
ファンタジー
 歴代最高の墓守のロアが圧倒的な力で無双する物語。

異世界から日本に帰ってきたら魔法学院に入学 パーティーメンバーが順調に強くなっていくのは嬉しいんだが、妹の暴走だけがどうにも止まらない!

枕崎 削節
ファンタジー
〔小説家になろうローファンタジーランキング日間ベストテン入り作品〕 タイトルを変更しました。旧タイトル【異世界から帰ったらなぜか魔法学院に入学。この際遠慮なく能力を発揮したろ】 3年間の異世界生活を経て日本に戻ってきた楢崎聡史と桜の兄妹。二人は生活の一部分に組み込まれてしまった冒険が忘れられなくてここ数年日本にも発生したダンジョンアタックを目論むが、年齢制限に壁に撥ね返されて入場を断られてしまう。ガックリと項垂れる二人に救いの手を差し伸べたのは魔法学院の学院長と名乗る人物。喜び勇んで入学したはいいものの、この学院長はとにかく無茶振りが過ぎる。異世界でも経験したことがないとんでもないミッションに次々と駆り出される兄妹。さらに二人を取り巻く周囲にも奇妙な縁で繋がった生徒がどんどん現れては学院での日常と冒険という非日常が繰り返されていく。大勢の学院生との交流の中ではぐくまれていく人間模様とバトルアクションをどうぞお楽しみください!

処理中です...