憑かれて恋

香前宇里

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第三章

母と子 其の十六

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 女将さんが言ってた通り、旅館の裏手には、海に向かって木々に覆われた小道が続いていた。
 だけど左右の木がアーチ状に続いているせいで、月明かりがほとんど入ってこない場所だった。
「念の為に持っておいてよかった」
 またあの霊に会うかもしれない、廊下の明かりが消えるかもしれないと、浴衣の上に着た茶羽織のポケットに携帯を入れておいたのが役に立った。
 ライトで足元を照らしながら彼女の後を追う。
(昼間なら大丈夫なんだろうけど、夜は危ないな……)
 舗装されていない砂利道。 
 何度も小石に躓きそうになる。
 慎重に足元を照らしながら小道を抜け、広い場所に出る事ができたが、すでに彼女を見失ってしまっていた。
 どこに行ったんだろう……。
 辺りを見渡していると、近くに立てかけられた看板を見つけ、ライトで照らして確認する。
 その看板には『遊泳禁止』と大きく赤文字で書かれており、遊泳エリアへの道順が描かれていた。
(ここってもしかして、私が溺れた場所の近くじゃない……?)
 そう思い少し歩いてみると、見覚えのある岩場が並んだ場所を見つけた。
(やっぱりそうだ)
 ここは昼間、私が溺れた場所。
 遠くの方には海の家らしき建物がうっすらと確認できた。
(旅館の裏からだとここに出てくるんだ)
 サンダルを脱いだ場所に立って海を眺める。



 昼間とは違う……静寂の海。



 月明かりに照らされた海面が、キラキラと輝いている。
(綺麗……)
 思わずここに来た目的を忘れ、しばらく魅入ってしまった。




 今にも吸い込まれそう――――……




(って、危ない危ないっ! 海に落っこちちゃう)
 軽く眩暈を起こしたかのような錯覚を覚え、私は慌てて後ろへと下がった。
(そうだ、早く彼女を探さないと)
 ここに来た目的を思い出し、別の場所へ行こうと踵を返したその瞬間。
(――っつ!?)
 視界の端に何かを捉え、私は思わず息を飲んだ。




(――み、見間違い……よね?)
(そ、そうよ……見間違い)
 そんなはずはないと……何度も自問自答を繰り返す。



 だって……。




 ゆっくりとそちらに身体を向ける。





 私の視線の先には……少女が……立っていた。







 そこは海の中。
 夜に泳ぐ人なんていないはず。
 でも……あの子は昼間見た女の子。
 あの時と同じように……少女は立っていた。
 波に揺られずただ立っている。
 それを見て、改めて生きてはいないと実感する。
 でも私は……あの子を見て、怖いとか、逃げなきゃとか、なぜかそんな気持ちにはならなかった。
 なぜだろうと、しばらく少女と顔を合わせる。




 少女はそこから動かない。




 だけど……



(口が……動いてる……?)
 少女はこちらに向かって何か言っているように見える。
 だけどその声は波音で掻き消されてしまうのか、全く聞こえない。
(でも……あの子、何か伝えようとしてるよね?)



 誰に?





 私に?






「ずっとあの場所から動けないみたいなんです」
「えっ!?」
 背後から聞こえた声で、私は慌てて振り返る。
 そこには……白い帽子を被った、あの女性が立っていた。


「ずっと……あの子は呼んでるんです。ここで溺れてからずっと……」
 彼女の目から涙が零れ始める。
(もしかして……)
 昼間会ったとき、「昔は家族と一緒だった」そう言って彼女は悲しげな表情で海を見ていた。
(あの女の子は……この人の……)
 もう一度、海の中に立つ少女を見る。
 声はやはり聞こえないものの、さっきよりも必死にこちらに向かって何かを伝えようとしているように見えた。




 お母さんに会いたいのかもしれない。




 お母さんに何か伝えたいのかもしれない。




 そう思うと胸が強く締め付けられた。




「呼んでるんです……。あの子が……呼んでるんです……」
 彼女は言葉を繰り返しながらこちらに近づいてくる。
 その表情はとても暗く、月明かりのせいか青紫色をしていた。
(もしかして……あの子の所に行こうとしてるんじゃ……)
 私は慌てて彼女の前に立ちはだかり、両手を広げ行く手を阻んだ。
「駄目ですっ!! 行っては駄目っ!!」
「呼んでるの……すぐそこで呼んでるの……だから……」
「行っては駄目っ! あなたのお嬢さんはもう亡くなってるのっ!」
「あの子はそこに居るわ……待ってるわ……」
「駄目っ!! すごく……凄く辛くても、死んじゃ駄目っっ! 死を受け入れて……前に進まなきゃいけないのっ!!」
「でも……呼んでるの……待ってるのよ……」
 急に風向きが変わり、後ろから突風が吹く。
「――――っっ」
 その風で、彼女の帽子が高く舞い上がった。
 しかし乱れた髪を気にする事もなく、彼女は言葉を続けた。



「あの子が呼んでるの……」




「あの子が待ってるの……」




「だから……」









『 ア 
     ナ タ 
         が  



      行 ッ
          て  
           ア
             げ  
               テ


             チ ョ
                 ー
                   だ 
                     イ 』
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