憑かれて恋

香前宇里

文字の大きさ
上 下
57 / 109
第三章

母と子 其の十五

しおりを挟む
「じゃあこの住所に行けばいいんだな」
「あぁ、頼む」

 翠は少し苦し気に熱い吐息を吐いて、後部座席に身体を深く預けた。

 やはり熱が高く調子が出ないようだ。

 手っ取り早く用事を済ませて風空寺に戻ってやりたいと思って、アクセルを強く踏んだ。

 ところがそのタイミングで弟から停止するよう声がかかった。

「いや、ちょっと待ってくれ」
「なんだ? 流……忘れ物か」

 翠も急ブレーキに身体を揺らしながら、不思議そうに問いかけた。

「兄さん、先に風邪薬を飲もう」
「薬? でも持って来ていないよ」
「ちゃんと俺が用意してきたから」

 ガサゴソと弟が自分のリュックから薬を取り出し、翠に手渡した。

「まったく……兄さんは昔から風邪をひきやすいな。すぐに熱を出してばかりで心配をかける」
「……そうかな。自分ではあまり気が付かないけどね」
「いいから。さぁ飲んで」

 翠も弟のそんな言葉に、優しい表情を浮かべていた 弟の方は心底心配そうに翠の額に手を当てたり、薬を手のひらにのせてやったりと献身的だ。

 それにしても、まるで今にも口移しして飲ませそうな程、顔が近い。

 なんだ、この微妙な空気は。

 まるで俺がここにいることを忘れてしまったかのような濃密な雰囲気。

 兄と弟なのか……お前達は本当に。

「飲め」
「うん……ありがとう」
「とにかく熱が下がるといいな」
「この位なら大丈夫だよ。それより早くこの住所へ」
「道昭さん、急いでください」
「あっ、ああ……」

 まったく人使いが荒い奴だな。

 でも俺も大事な親友のためなら一肌脱ぐ覚悟だ。

「任せとけ」

 車は宇治から一気に京都市内の住所へと向かう

****

 丈が買ってくれデジタルメモ機の使い勝手は、すごぶる良かった。お陰で今日は学会のメモがスムーズだ。日中しっかりまとめておけば、宿でやることが減る。

 そう思うと仕事も頑張れる。

 気分よく仕事をこなしていると、休憩時間に高瀬くんがまた話しかけて来た。

「浅岡さん、やー疲れますね!随分とはかどってますね。やっぱりそのマシーンいいなぁ」
「はぁ」

 彼はなんだって、こうもお喋りなんだろうか。ひとりで過ごすことに慣れてしまった俺には少々鬱陶しいとすら申し訳ないが、感じてしまう。

「あっそうだ、知ってます? 張矢先生のこと」
「今度は何?」

 キーボードを叩きながら耳だけ貸していた。

「それがですねぇ耳より情報なんです! 昨日の夜は、張矢先生の病院の他の先生と偶然会って、四条河原町で一杯飲んだんですよ。せっかくだから張矢先生のこといろいろリサーチしたんですよ。聞きたいですか」

「……ちょっと待って。君はなんでそんなに張矢先生のことばかり調べているんだ?」

「あっそれ聞きますー?」

「……」

「だって、先生ってクールでカッコイイじゃないですか。背も高いし、顔も端正で」

「いや、だって……彼は、その……男だし」

 こんなこと俺が言っても説得力がないよなと思いながらも、あんまり高瀬くんが丈のことを絶賛するので気になってしまう。

「いや男でも惚れちゃうほどいいんですよ。あの包容力羨ましいな、っと話が脱線しましたが、そこでショックな話を聞いちゃって」

 急に高瀬くんの声のトーンが下がった。

「何を? 」

「それがですねぇ、どうも先生結婚しているようですよ。先生は何度聞いても詳しいことは教えてくれませんが」

 流石に、これには動揺してしまう。

 戸籍上の正式な結婚というわけでないが、今年の七夕の日に、俺は丈の家の戸籍に入った。それは丈との結婚を意味していると、あの式に参列してくれた誰もが認めてくれたことだ。

「そっそうなのか。何で知って?」
「だから昨日丈先生と同じ病院に勤めている先生が教えてくれて 」
「なっなんて?」

 こんな話を客観的に聞くと、我ながら驚く程気になってしまった。

 丈は周りに結婚していると伝えているのか。それともただの噂なのか。

 一体どうして、そういう話が漏れるのだろう?

 俺と丈の結婚というのは月影寺の中でも話し合い医師という立場上、もちろん外では内密にしていることだ。俺も旧姓のまま仕事をしているしな。

「それが丈先生の奥さんって。すごい美人だそうですよ。絶世の美女だとか。しかもかなり年下で滅茶苦茶可愛がっているから、丈先生はあんまり夜勤も入れたがらないし、休日をすぐ欲しがるとか」

「はぁ?」

「つまり尻にひかれているんじゃないかってことです」

「えぇっ?」

 自分ではそんなつもりはないのに、確かに傍から見たら、丈の態度はどう見ても……

 うわっ~っ、と思わずこめかみを押さえてしまった。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【凶悪妖怪限定】の妖怪退治屋さん

猫宮乾
キャラ文芸
妖狐と人間の混血女子大生の夜湖と、貧乏なお寺の息子の虎吉によるラブコメ。

【完結】領地に行くと言って出掛けた夫が帰って来ません。〜愛人と失踪した様です〜

山葵
恋愛
政略結婚で結婚した夫は、式を挙げた3日後に「領地に視察に行ってくる」と言って出掛けて行った。 いつ帰るのかも告げずに出掛ける夫を私は見送った。 まさかそれが夫の姿を見る最後になるとは夢にも思わずに…。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

jumbl 'ズ

井ノ上
キャラ文芸
青年、大吉は、平凡な日々を望む。 しかし妖や霊を視る力を持つ世話焼きの幼馴染、宮森春香が、そんな彼を放っておかない。 春香に振り回されることが、大吉の日常となっていた。 その日常が、緩やかにうねりはじめる。 美しい吸血鬼、大財閥の令嬢、漢気溢れる喧嘩師、闇医者とキョンシー、悲しき天狗の魂。 ひと癖もふた癖もある連中との出会い。 そして、降りかかる許し難い理不尽。 果たして、大吉が平穏を掴む日は来るのか。

処理中です...